2010年11月22日

人間を磨く

予てから、このブログの区切りとしていた「更新2000回」となった。
思えば、2006年の7月に開設以来、4年と3ヶ月よく続けられたものだと思う。

目標らしきものを持っていたから継続できたと思う。


さて、この節目にどんなことを書き込もうと考えたが、やはり「日々、感じること・・・」から、今考えていることを紹介したい。

それは、明後日(24日)に予定されている倫理法人会モーニングセミナーでの講話内容である。

モーニングセミナーでの講話は毎月1回担当しているが、かれこれ3年近くになる。
最初の頃は、このブログに書き込んだ内容をもう少し膨らまして話していたが、だんだんネタに困ってきた。そこで自身の勉強を深めることを兼ね、月刊誌『致知』の特集を講話テーマにすることにした。

『致知』11号の特集は「人間を磨く」である。


一通りレジュメの下書きは出来上がったが、ふと違うことが思い浮かんだ。
それは、横綱白鵬が今場所大記録(双葉山の69連勝)に臨んだが、残念ながら2日目に破れ63連勝でストップしたことである。

場所前から横綱の「磐石」の様子が伝えられ、多くの人が「ひょっとすると・・・」と思っていた。しかし、それは適わなかった。

私は、大相撲ファンであり、記録について気になるところだが、もっと興味があるのが、双葉山が記録の途絶えた時につぶやいた言葉である。『われ、いまだ木鶏になりえず』

「木鶏」とは、「ものに動じなく、まるで木で作られたような鶏(闘鶏)」のことで、中国古典の「荘子」にある故事にある。
「致知」の読者勉強会は、この故事から『木鶏クラブ』という名がつけられている。


私は、「修養」とか、「人間を磨く」ことの到達点の一つが「木鶏」であると考えている。
故に、「特集(人間を磨く)」から講話のレジュメを作りながら、双葉山の言葉が思い浮かんだのである。同時に白鵬の胸のうちにも同じような思いが湧いたのではないかと思っている。


「致知」の特集では、「人間を磨くこと」、即ち、古典の「中庸」に示されている精神を実践することだと感じた。
つまり、「天命を知って誠をつくす、生涯をかけて誠を尽くしきること」である。

改めて生き方を考える機会にもなった。



長い間読んでいただき感謝いたします。
ありがとうございました。

今後はホームページの中で書き込みをしてまいります。
機会があればぜひご覧下さい。



伊藤やすのり後援会
http://www.yasunori.jp/

 
 


 



posted by 伊藤保徳 at 08:10| Comment(3) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月20日

言葉に注意

昨日の昼時、会社食堂への通路で第一生命のセールスレディーから1枚のチラシをもらった。
何も珍しい事ではない。

もらったのは、日本5大新聞の1面にあるコラムだけがスクラップされたコピーである。
第一生命では、その日の朝刊に掲載された「コラム」を一覧にしたチラシを「関係作り」の一つとして配っているのである。
一覧で読んでみると、その時々の世相や話題がよくわかるものである。

私が興味を持つのは、同じ話題を何紙が取り上げているかということ。そしてその表現の仕方である。


昨日のチラシ、つまり11月19日の朝刊各紙の1面コラム。
「閣僚の言葉」について取り上げていたのは、朝日(「天声人語」)、読売(「編集手帳」)、産経(「産経抄」)の3氏であった。

柳田法務大臣の発言が大きな問題になっているが、仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置」という発言も問題にされている。


朝日「天声人語」では、柳田大臣の「二つの言葉」を取り上げ、これは「官僚の入れ知恵である」とし、これは旧政権となんら変わらないと皮肉っている。そして、「官僚の言葉」というのは死語だが、失言が「生きた言葉」として騒がれる皮肉を、大臣はどう考えるのだろうかと締めくくっている。

読売「編集手帳」では、仙石官房長官の「自衛隊、暴力装置」発言を取り上げている。
これは、かって評判を呼んだ『北の国から』というドラマのひとこまから、自衛隊の役割を説明。官房長官の「自衛隊は一種の暴力装置」というのは認識不足ははなはだしいと批判している。

そして、産経「産経抄」では、『言葉力』という視点から、閣僚達の軽はずみな発言に対し警告を発している。
ヒトラーの言葉を引いている。
『政治の世界で歴史的ななだれを起こしたのは、書かれたことばの力ではない。それは語られることばの魔力だけだ』。


改めて言葉には注意をしたいものである。


夕べミニ集会を開いたが、私の「話し言葉」をチェックしてもらった。
幾つか指摘をしてもらったが、思いと違う受け取られ方をする場合もあり、もっと注意をして言葉を発しなければならないと感じた。



posted by 伊藤保徳 at 06:56| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月18日

内定率最低

景気の低迷により、来春大学卒の就職内定率が過去最低であるという。

菅総理が、民主党代表選の時「一に雇用、二に雇用、三に雇用」といっていたが、具体的な施策が打たれないまま、最悪の状況にあるようだ。

11月13日の毎日新聞によれば、「大学就職内定率は57.6%」とのこと。
これは10月1日現在のデータで、前年同期比4.9ポイント減。調査を始めた96年以降で最低とのことである。

短大生も6.5ポイント減の22.5%で過去最低という。
この「短大生22.5%の内定率」は驚きである。
5人の内、4人近くが短大卒業前に就職内定がないということであり、その人たちはきっとアルバイトの延長のような形で働くことになるのだろうか?
では、何のために(短大に)進学したのだろうか?新たな疑問も湧く。

思えば、我社も短大生を滅多に採用していない。


この記事と同じ面に、もっと深刻な記事があった。
『今春の高卒者、今も職探し』という見出し。
《雇用底冷え「待つしか」》、《非正規への流入懸念》などの文字が並ぶ。

「国の奨励金事業、効果今一つ」という問題提起の記事であった。

冒頭、次のように書かれていた。
《この春に卒業したものの、今も職探しを続ける若者がたくさんいる。雇用情勢の厳しい地域を中心に、全国で1万人近くに達する可能性もある。国は9月、大学・高校の既卒者を正規採用に向けて試験雇用した企業に奨励金を出す事業を始めたが、効果は今一つだ。

学校やハローワークとのつながりを絶つ卒業生も多く、専門家からは非正規など不安定な雇用に流れることへの懸念の声が上がっている。》


やはり問題である。

少し前のことであるが、仲間と若者の雇用について話し合ったことがある。
結論は、真の雇用対策とは、「国が雇用すべきである」というものであった。

民間企業は、企業の存続こそが究極の責任でありそこに「雇用促進策」を施すのはナンセンス。永続発展をする環境を整えることこそが雇用を促進させることになる。

こう考えると、「新しい仕事を創造すべき」であり、それによって雇用機会を生み出すべきである。
それができるのは国である。
それは衰退している一次産業への投入であったり、国防的な仕事なのかもしれない。


政府の「雇用促進」を狙いとする奨励金などの事業より実効的ではなかろうか。



posted by 伊藤保徳 at 09:01| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月13日

さすが・・・

今帰宅をした。

今日は、午後1時20分から東京ディズニーシーにある「ホテル ミラコスタ」での結婚式、披露宴に出席してきた。
さすが・・・ディズニーである。


「ディズニーランドでの結婚式?」
なにかしら子供っぽく感じていた。
しかし、実際に参列し、心憎いばかりの演出とサービス。素晴らしい結婚式、披露宴であった。

60歳を超え、久しぶりに感動もした。


縁あって招いてもらったが、主役は我社の社員である。

私の知っていた結婚披露宴は、「家と家とのお近づき」という意味合いが強く、主役たる新郎新婦より両家が前面に出る場合も少なくなかった。祝辞、スピーチ、余興も両家のバランスを取りながらの出番があったように思う。

今日の披露宴、主役は新郎新婦ではあるが、ミッキーマウスとミニーマウスの登場で一気に盛り上がった。
素晴らしい演出であった。


何となく、「お客さまたちが主役」と感じた。
写真の被写体は新郎新婦が圧倒的であるが、その場にいたことが素晴らしい思い出になったような気がする。
今までにない感想である。

さすがディズニーである。


今後、ますます進化していくと思うが、一つでも二つでも参考にして取り入れたいものである。

満足をせず、ひたすらにお客さまの満足度を高めようとしている姿勢に大きな刺激を受けた。


posted by 伊藤保徳 at 22:18| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

しばし・・・

間もなく東京に出発する。

今回はいろいろな催しに参加することになっているが、明日帰宅して直ぐにまた上海に出かける用事がある。
そんな事情から、明日以降しばしの間ブログの更新をすることができない。

わざわざこんな断りを入れるのは、間もなくこの「役員サロン」を一段落させようと考えている。


2006年7月から始めたこのブログも、4年3ヶ月で「2000回の更新」となる。
私としては丁度良い区切りだとも考えている。


いろいろなコメントや感想をもらいながら今日まで更新し続けてきた。

そのことに対して総括に入りたいと思っている。
posted by 伊藤保徳 at 05:32| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

日本語スピーチ

昨日、第3回NIHONGOスピーチコンテストが開催された。
日本に住む外国人による日本語でのスピーチコンテストである。

これは、瀬戸市国際センターの主催で、私も所属する瀬戸北ロータリークラブが共催している事業である。

私は第1回から参加しているが、いささか盛り上がりに欠けている。
素晴らしい企画だが残念である。


この事業は、瀬戸市国際センターの主要事業である「多文化共生事業」の一つという位置づけである。

案内パンフレットによれば・・・
「多文化共生事業」
・在住外国人支援として、外国語相談窓口を開設
・在住外国人向けに、日本文化理解・体験講座や市民との交流イベントを開催
・在住外国人向け日本語教室の情報提供や日本語学習者へのサポート

・・・とある。

理事長の挨拶によれば、「異なる文化を理解し尊重する」ということで、この「NIHONGOスピーチコンテスト」は、外国の人たちの「日本文化の理解」を知る絶好の機会である、ということである。
私も同感である。

しかしながらこのスピーチコンテストは盛り上がっているとは言いがたい。

約300人入ることのできる会場は、半分以上の空席があった。
これでは関係者だけの催しであり、とても「多文化共生」とは言いがたい。


開催3回目ともなれば、もっと知名度が上がり盛り上がりを見せてもよさそうなものである。
運営が「役所仕事的」で、前例に従い開催することが目的になっているように見える。

素晴らしい企画であり、運営方法にひと工夫すればもっと盛り上がり、異文化の理解が進む機会になると思う。


今回コンテストに出場した、留学生7人と社会人7人から、広く感想を求めるといい。
彼らにとって、このスピーチコンテストの意義は主催者の意図することと違うのかもしれない。

価値観を確認しあうことも必要であろう。


posted by 伊藤保徳 at 06:08| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

皮肉という言葉

今日は、祖父の47回忌法要を営んだ。
ごくごく身内で、ということから我が家族と弟家族のあわせて7人でのお参りであった。

菩提寺は曹洞宗であり、毎月発行されている『禅の友』という小冊子をいただくのが楽しみの一つである。
10月号も読んでおらず、10月号と11月号の2冊をいただこうと思っていたが、置いてあったのは10月号だけであった。


毎号興味深く読むのは、『仏教の言葉』欄である。
10月号は、「皮肉」という言葉についての解説であった。

三重県の泰応寺副住職の上月泰龍師が執筆している。
10月5日は、ダルマさんのご命日ということで、ダルマさんに因んだ話の紹介である。

ある時、ダルマさんが4人の弟子達を集め、私から学んだことを訊ねたという。
弟子達はそれに正直に答えたが、ダルマさんは自分の身体に例えて評価をした。

具体的には・・・
「お前は私の皮を得た」「お前は肉を得た」「お前は骨を得た」「お前は髄を得た」と。

その後、「髄を得た」と評された、弟子の慧可(えか)さんがダルマさんの跡継ぎとなったため、やはり髄を得た慧可さんが一番で、次が骨、皮や肉の人は劣っていた、と考える人がでてきたというのである。

こんな考えから「皮肉」という言葉ができたとのこと。


「皮肉」を広辞苑で見てみると・・・
@皮と肉。転じて、からだ。
A(骨や髄にまで達しない所の意)うわべ。表面。理解の浅い所。
B骨身にこたえるような鋭い非難。
C遠まわしに意地悪く弱点をつくこと。あてこすり。
D物事が予想や期待に相違した結果になること。


このように「皮肉」は人を低く評価したり、貶めたりする言葉として使われるようになったが、道元禅師はそういう考えは間違っていると言われている。

《祖師の身心は、皮肉骨髄ともに祖師なり。髄はしたしく、皮はうときにあらず》・・・と。

意味は、《皮も肉も骨も髄も、どれも大事なダルマさんの一部です。髄が優れ、皮が劣っているわけではありません》である。(「正法眼蔵」葛藤巻)

つまり、皮肉骨髄それぞれに優劣があるのではなく、4つが協力し合うことによって「大きな力」となるという教えだという。

皮肉という言葉に、そんな意味があったとは・・・。


posted by 伊藤保徳 at 21:30| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月30日

ノンアルコール

アルコール成分を全く含まないビール風味飲料が売上を伸ばしているという。

ビール党からは、「ビール風味というが、全く違う・・・」などと言われてしまいそうだが、私は結構気に入っている。
積極的に飲むほうではないが、宴会の中で一口いただく限りでは、ビールそのもののような気がする。

この、いわゆるノンアルコールビールについての記事があった。


「野村週報」の裏表紙に、『天眼鏡』というコラム欄がある。
その第3247号に、「酒飲みの人にオルニチン」というタイトルの一文があった。

《百薬の長と称される酒も、飲みすぎれば健康を害する。

世界保健機関(WHO)は、「アルコールの有害な使用を減らす世界戦略」を打ち出している。その中に、酒類の値引き販売や居酒屋の飲み放題サービスの禁止・制限も含まれているというから驚く。酒好きの人は、「タバコの次は酒が標的にされるのか」と、戦々恐々かも知れない。》

そして、アルコール成分を含まないビールの話である。


《4月に発売したキリンビール(株)の「キリン 休む日のAlc.0.00%」は、年間販売予定数を当初の40万ケースから80万ケースに上方修正した。

アルコールフリーというだけではなく、1缶当たり400mgの機能性素材オルニチン(しじみ900個分)を含む。オルニチンは肝機能向上の効果があるといわれ、人気が高い。》(後略)


ひと頃、休肝日を作れとやかましかった。
今は、その休肝日に「しじみ900個分のオルニチンの入った、ノンアルコールビールを飲む」のが流行る気配とか。


コラムでは、『こうした対処法も一種の健康増進策であり、国民医療費の抑制につながれば社会貢献でもある』と結んでいた。


自身の年齢や、体調に合わせながらお酒を楽しみたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 09:57| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

読書週間始まる

読書週間のあることは知っていたが、10月27日から始まったことは知らなかった。

「致知出版社 おかみさん便り」(メール)に紹介があったことと、日本経済新聞の全面広告から知った。

「おかみさん便り」には、読書週間のことが簡潔に紹介してあった。
《読書週間の第1回目は、戦争の傷痕が残る昭和22年11月17日だそうです。

2回目からは文化の日を中心に2週間、(10月27日〜11月9日)と定められ、その後読書週間は全国に広がり、日本の国民的行事として定着して、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。。

日本の復興を願う人々により、「読書の力によって、平和な国家を作ろう」という決意のもとにスタートし、回を重ねて今年は64回目。世界有数の「本を読む国民の国」とまでいわれた日本の今の現状はどうでしょう・・・》


胸にグサリとくるメッセージであった。
「読書週間」と聞き、それに関しての具体的な活動は何もしていない。国民的行事と言われているのも関わらずである。恥ずかしい限りである。

「読書週間」という言葉、私にとっては遠い昔のことになってしまっていたようだ。
小学生や中学生の頃、この読書週間に因み「読書をし、感想文を書いた」ことは記憶にある。

父親の影響だが、小さい頃から身近に多くの本があり、読書は好きなほうであった。それは今も続いている。


こんな訳で、読書週間と聞いて改めて読書を考える機会になった。


日本経済新聞の全面広告は、明治大学の齋藤孝教授のインタビュー記事であった。
読書について、「目からウロコ」の内容である。

本は読むもの・・・。こんな風に思い込み、スピードや冊数にこだわり、結果として「読書から遠ざかっているのでは?」
こんな前提に立ち、齋藤教授独特の発想が紹介してある。
大いに参考となった。

・本を飾る。
・本を読むというより、著者の言葉に耳を傾けることを意識する。
・その本の内容を語る、という意識を持つ。

身近に本を置き、本に触れる生活をするようにすることが根本のようである。
そのためには、通勤・通学の途中に「寄り道できる本屋」をつくることを勧めている。
これも本に触れる生活の一部であろう。


読書を目的化しないことであろう。


posted by 伊藤保徳 at 06:35| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

政治の責任

ごく些細な事ではあるが気になっていることがある。

みのもんたの「朝ズバッ」という番組がある。
格別ファンというわけではないが、朝食の時間にはほとんどこの番組をみている。

数日前の事だが、「朝刊見出し」についてのコーナーで、高齢者医療保険のことが取り上げられていた。
自民党時代に、「後期高齢者」などという不思議な言葉が登場、物議をかもし出していたが、このたび新しい保険料負担の内容が示された。この事に対する論評である。

テレビ画面には、「現役へのしわ寄せか・・・」などというコピーがあった。


私が気に留めたのは、当日のコメンテーターの発言である。

みのさんからの問いかけに対し、「誰がどれくらい負担するか気になるところだが、《現役へしわ寄せ》というのは問題だ。こんな風に考えるようになった日本社会は問題であり、これこそ政治の責任である」、と発言があった。

更に続いた。
「お年寄りの医療について、現役である若い世代が喜んでその負担をする」、こんな社会にするべきであるとの意見であった。

なんでもまずは反対、自分のことは棚に上げ対案を述べない批判。
こんな現況の中で、「お年寄りに感謝し、面倒を見させてもらえることは喜び」、というような発言は実に清々しかった。
まさに、そうあるべきである。


このコメンテーターの発言に、みのさんも「なるほどねー・・・」と、次の句が出なかった。

このやり取りに気を留めた人が何人いるかわからないが、わたしは大いに共感した。


ただ、この事象が「政治の責任であるか否か」、それはもっと考えてみる必要性を感じる。
一見そうした風潮は「教育」がつくっているようにも思える。

「孝悌」という言葉がある。
「父母に孝行をつくし、よく兄につかえて従順であること」という意味だが、これは人としての「職分」(人としての役割)である。親孝行から発展して「お年寄りを大切にする」ことにつながっている。

教育などと身構えるものではなく、ごく「当たり前の」ことなのである。


お年寄りの面倒見ることが、「しわ寄せ」などというようになった主要因は分らないが、マスコミが「それはおかしい、本来は喜んでする事、させていただく事だ」、と言い続ければ良いのである。

視聴者の興味を引くことばかりを考えることから、ことの正義を主張するスタイルを確立してもいい頃合かもしれない。


こんなううに考えると、やはり「政治の責任」なのかも知れない。


posted by 伊藤保徳 at 20:50| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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