2006年09月16日

地獄の訓練・2

訓練所の生活であるが、当時の学校は規模の小さなもので、応募者の急激な増大で学校拡張の時期であった。従って私達の班は、学校で訓練を受けるのではなく、西湖(富士五湖)のほとりにあったバンガロー村(富士パラマウントパークという名前であったと思う)での訓練であった。
 
入校し、まずは「訓練服」に着替えたが、これが何でも「英国水軍」に模したものであり、それに名札と訓練札をずらりとつけるのである。名札は理解できるが「訓練札」(訓練名の書いたビニールのリボン)は意味がわからず教官に質問した。教官は、「今にわかる」といっただけであったが、間もなく気持ちを追い詰める小道具であることを知った。
 
13項目の訓練があるが、開始時には全員13枚の札をつけているわけだが、これが、項目一つ合格するごとに外してゆくのである。
@礼儀訓練、Aラジオ体操訓練、B電話報告訓練、C報告書訓練、D発声訓練、E早書き訓練、F歩行訓練、G歌唱訓練、Hスピーチ訓練、I素読訓練、J暗記訓練、K道順案内訓練、L共感訓練、・・・思い出すままに書いてきたが、もっとあったような気がするので13項目以上だったかもしれない。
ともかく、自身の訓練服につけられたリボンは、それが合格するまで外すことができないために、最初の頃は良いが、訓練中盤頃になるとリボンがどんどん外れてゆき、合格の経過が他人にも一目瞭然なのである。これは大変なプレッシャーであった。
 
さて一日のスケジュールであるが、起床は午前4時30分、寝具の片付け、洗面を済ませると「朝礼」が行われた。各班ごとの点呼があり、一人でも遅れると連帯責任で進行がストップ、全員揃ってから訓話を聞く。富士の裾野での10月早朝は、とても寒く、直立不動で訓話を聞いているとき、訓練服に霜が降りてくるような感じであった。寒さに追い討ちをかけるようにその後上半身裸になっての寒風摩擦。一気に目が覚めた。
 
朝食をとった後、わずかな休憩があって訓練の開始である。この訓練が、スケジュール表があるわけではなく、次から次へと行われ、最初の頃は教官に、もっと計画的にできないものかと意見を述べたが、それは全く無駄であることを知った。後に聞いたが、「管理者たる者、二つ三つのことを平行してできなくてどうする」ということだったそうだ。
こうした訓練が、昼食をはさみ夕食まで連続して行われた。夕食には、一人当たり1本の缶ビールがついており、班友の中には飲まないものもいて、それも頂いていたが、入浴時間が決まっていることや、午後9時30分の消灯までに暗記訓練をしなければならず、とても晩酌を楽しむことはできなかった。
 
暗記訓練は、600余文字の「行動力基本動作十ヶ条」全てを暗記し、2分間で発表するもので、試験では時間内であること、文字の間違いは数文字までという基準で判定される厳しいものであった。班の中にこの訓練だけが最後まで合格できなかった者もいた。
24年たった今、ほとんど間違えずにいえる自分に驚くが、本当に必死であった。
 
次回は訓練項目ごとの内容や今感じていることについて述べてみる。
 
(正確を期すため、当時の記録を探してみる。)
 
つづく
posted by 伊藤保徳 at 22:12| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。