2009年02月22日

消える里山

本地の将来を考える会で行っている、「親子農業体験・本地の米づくり」の最後のイベントである、「収穫祭」が今日行われる。

昨年6月に田植えを行い、10月に稲刈りを行い、収穫した米を使ってのイベントである。
内容は、餅つき、五平餅づくり、そして「おこしもの」づくりである。
その準備のため、昨日午後から会場に出かけたが、山の上から改めて地域全体を眺めて見て、懐かしい里山風景が殆んどなくなってしまっていることに一抹の寂しさを感じた。

会場は、小高い山の頂上にある「尾張恵比寿」の境内であり、ここからは地域全体を見渡すことが出来る。正確には、見渡せるようになったのである。
数年前から、その山のふもとの開発が進み、「尾張恵比寿」の社のみが孤立したような形になってしまったのである。

地権者の同意があってのことであろうが、もう少し地域全体のことを考え、話し合うべきだと思った。

この場所は、自宅から二キロ余のところにあるが、昔は緑豊かで麓の家々から煙が立ち昇る「里山」であった。
農業の衰退と共に、住宅開発などが進められたが、この山だけは残っていたのである。それが、今や周り木々が切り倒され、地肌が丸見えになってしまったのである。


この山は、その昔(小牧長久手の合戦)、徳川家康が進軍の途中でしばしの休みをとったとの言い伝えがあり、陣笠を掛けたという「笠がけの松」が残っていたり、権現様が歩いたということで、「権道路」(ごんどうじ)という地名も残っている。


その地域に住む人はその人たちなりの事情があることは分る。しかし、もう少し全体のことを考えたならば、今進行中の開発には躊躇されたのではなかろうか。
いうなれば、自己中心で、「世のため人のため」という考えに欠けていたのであろう。

積極的に「世のため、人のため」というのではなく、「そのままにしておく」という役立ち方もあると思う。


農業をやっていたときは、地域の連帯こそが基本原則であり、自己の「権利主張」は後回しであったと思うが、代も変わり、地域の全体を考える心が喪失してしまったと思う。

「時の流れ」だと、簡単に片付けてしまってはいけない。
個人の権利を尊重しつつも、もっと話し合いをするべきであった。


一度消えた里山は二度と復活をしない。

「残す」「守る」ために、我々の生活そのものを見直すことが必要だと思う。

開発が済んだ頃、今までにない問題に遭遇し、「昔を懐かしむ」というようなことにならないことを望みたい。


posted by 伊藤保徳 at 06:41| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。