11月1日は第一土曜日であり、恒例の瀬戸木鶏クラブを開催した。
今回で4回目となり、勉強会2時間の時間配分も定まりつつある。
木鶏クラブは、人間学を学ぶ月刊誌「致知」を教材に、輪読したり読後感を話し合ったりしている。前半は、「巻頭の言葉」の輪読と意見交換、そして後半は出席者各自の読後感の発表である。
今回は11月号を使用したが、「巻頭の言葉」はアサヒビール名誉顧問の中條高徳氏が「乱れた日本の国語と日本人の卑しい発言」と題して苦言を呈している。
先の大戦を境にして、日本の教育が大きっ変わってしまい、大事にすべき文化や伝統がなくなりつつある。中でも日本人の国語力の低下は目を覆うばかりである。
言語の乱れは心の乱れであり、もっと人間教育に力を注ぐべきであり、これこそ国家の課題と言える。
以上のような内容であるが、出席者が大いに共感したものであった。
特に「言葉の乱れは心の乱れ」、という点において沢山の意見が出た。
「言葉遣い」、「敬語の使い方」、「読めない名前」、「漢字には意味がある」などなど意見は多岐に及んだ。その中で、一人の出席者から、小さい頃の言葉についての体験披露があったが、それは示唆に富んだものであった。
子どもの頃(小学校低学年)のある日、登校途中で近所の人が自宅の庭のみならず、道路まで掃除をしていた光景を見た。子供心に「ご苦労様」と言ったところその人は、何かしら怪訝な顔をしたという。
下校後、母親にそのことを話したところ、「かける言葉が違う」、との話をしてくれた。
「ご苦労様」とは、その人の仕事に対する労い言葉であるが、道路清掃は「善意の行為」、そういう場合は「ありがとうございます」というのです。
こんな母子のやり取りがあったという話である。そして今でもその時の事を鮮明に覚えていると言う。
聞いていた参加者は一様に、「小学生がよくもそのような言葉がかけられたものだ」、とビックリしたが、加えて、母親が子供きちんとした言葉を教えられたことにも感心をした。
「正しい言葉遣い」、実践すべきではあるが、我々大人が正しく指導できているだろうか?間違った言葉遣いをしている人を見て、冷笑しているだけではなかろうか?
言語の乱れを憂いているだけでは少しもよくならない。
大人である我々が、もっとその気になってキチンと教えるべきである。
勇気を出して叱るべきである。
この時代に生きる大人の一人として、一つの責任であるように思う。
木鶏クラブにおいても、今後「言葉」についてはこだわっていきたいと思う。特に「意味」は。
まずは自分自身から、そして身の回りで「言葉遣い」について意識をして行こうと思う。



いつも大変お世話になります。
今回は「乱れた日本語」と「挑戦者たち」の2点に絞った意見交換・感想発表となりました。
参加者の自発的な意見発表を聴かせて頂くと、その人が育った環境や自我・こだわり等が伝わってきて実に刺激となり楽しいものです。
挑戦し続ける姿勢は尊い〜佐村河内さんの『生きること・そのものが挑戦!』という言葉は実に重く心に響きました。五体満足な私にとって「健康の有り難みや生かされていることへの感謝」は『致知』に出会ってからよく考えさせられます。
<本日の学び>
親として地域の社会人として恥ずかしくない言動に努めます!
私のとっても皆さんの話はとても刺激的です。
いろいろな気づきを頂いていますが、自身としても経験から得たモノを披露していきたいと思っています。
かといって、あまり肩に力を入れますと苦しくもなります。
自然体で臨みたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。