2010年09月30日

替え歌でクビ

昨日新幹線を利用して博多に向った。業界会合への参加であった。
車中での時間がたっぷりあり、滅多にしないことだが日本経済新聞も鞄に入れて出かけた。

新聞は久しぶりに隅から隅まで目を通した。

社会面に囲み記事で《ドは毒殺のド》という見出し。
何のことか瞬間わからなかったが、読んでみて「こういうことも記事になるのか?」と思った。

記事の内容は、幼稚園の送迎バスの運転手が、ドレミの歌を替え歌で、「ドーは毒殺のード」と歌ったようである。一人の園児がその替え歌を歌っているところを母親が聞き、母親は園長先生に伝え、事態が明らかになったという。
そして運転手は交代になった。つまりクビになったという記事であった。


運転手にしてみれば、ほんの冗談のつもりだったであろうが・・・。
なんともコメントのしようがない。

幼稚園というのは保育園と違い、「教育的機関」であり園内だけでなく、送迎のバスの中でも配慮が必要である。
従って、好ましくない事態(今回の「毒殺」という替え歌)に対し、引率の先生が注意をすべきである。

記事によれば、その時バスには30人位の園児が乗っていたが、当事者たる一人の女児以外には聞こえなかったという。

信じがたいような話だが、その一人の女児が母親の前で替え歌を歌い、ことが発覚したのである。
そして記事になったのである。


しかし日本経済新聞社がこの内容を記事にした意図がよくわからない。
記事では、ドレミの歌の歌詞を「ドは毒殺のド」と変えて歌ったこと。しかも女児一人に対してである。その子の母親が園長に通報、運転手は交代させられた。これだけの内容である。

子供の教育という視点から問題にしているのであろうが、そうであるならば園長先生のコメントなどを載せるべきであったと思う。

それがないために、単なる世間話になってしまったように思う。




posted by 伊藤保徳 at 17:41| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月29日

米の消費拡大

日本経済新聞を購読していて、私の母親が唯一読んでいるのが「サンデー版」である。
「大図解シリーズ」と銘打っての内容は、誰にでも理解できるように配慮されていて、私も楽しみにしている。

9月26日の「サンデー版」は、「米粉」の特集であった。

日本人の主食は「米」といわれているが、食生活の欧米化に伴い、主食たる米の消費量がどんどん低下している。しかし、農業における米づくりは大事とばかり、生産者に対しおかしな保護政策が取られたきた。「減反政策」である。米を作らない農家に手当てが出るというものである。

こんな政策を長く取ってきたため、結果として農業の競争力はどんどん低下してしまった。

そして今、食料自給率が問題になってきている。日本は先進国の中で最低の40%といわれている。


こうした状況の中で、「米の加工品」が注目されている。
米粉を使った食品が増えているようだが、これは加工技術が格段に上がり、パンやケーキ、麺類などで新たな活用法が可能になったからだという。

我が家でもパンやケーキを焼くが、米粉で作ることもある。
米粉の特徴としては・・・
・もちもちの新食感
・米粉100%で小麦アレルギーにも対応
・油吸収が少なく低カロリー
・栄養バランスに優れる
・他の食材との相性もよい

といった具合である。

一方課題もある。
・小麦粉に比べて値段が高い
・原料米の低コスト化による安定供給
・学校給食など需要先の発掘・確保
・新たな用途開発

記事の通りに紹介したが、要は「需要創造」である。


「サンデー版」に、『コメをもっと食べよう』と題し、米屋武文氏(静岡県文化芸術大学文化政策学部教授)が一文を寄せている。
途中からであるが・・・
《(農産物の)輸入依存の体質を脱却し、国内で作れるものを食べるようにすることは、国際社会で日本の果たすべき責務である。それには、国内で唯一自給しうるコメをより多く食べることから始めるとよい。

毎年5百万トンの小麦を輸入してパン、麺、菓子が作られているが、これを可能な限り国産米で作る。そうすれば、わが国の食糧事情も大幅な改善が見込まれる。

農林水産省も現在1万トン弱の米粉需要を50万トンにまで高める政策を進めている。》(後略)


氏の肩書きが意外である。
「文化政策学部」の教授であり、「食文化」という視点でも日本人の「コメ主食」への回帰を考えてみえるのかもしれない。


地域で行っている「親子体験農業・本地の米づくり」でも来月稲刈りを予定している。
収穫祭は来年2月の予定だが、「米粉」にしていろいろ加工して楽しむのも「コメの消費拡大に」につながるのではないかと思った。


posted by 伊藤保徳 at 06:18| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月28日

高校評議委員会

県立高校の評議委員に本年度から任命され、先日評議委員会に出席をした。
大学の評議委員は経験があるが、高校は初めてのことである。
聞けば、本年度から始まった制度のようである。

その県立高校とは、私の母校である愛知県立愛知工業高等学校のことであるが、評議員を選任するに当たり、同窓会から2名指名することになったようだ。
現在同窓会は各科別にあり、全部で八つ。その連合体が「愛工会」という全体同窓会となっている。

どうやら、各科別の同窓会の会長が輪番で担当することになるようだ。
私が担当が最初に回ってきたということになる。


さて、評議員会というのは、学校の運営について保護者や地域住民などから幅広く意見を聞き、その支援や協力を得て、地域に開かれた学校づくりを進めるために設置された機関である。

具体的な中味はといえば、学校説明の後、「平成22年度の教育方針と重点目標」の解説があり、それに対する意見、提言を述べるというものである。


私は母校の「教育方針と重点目標」を初めて聞いたが、予想していた以上に充実した内容だと思った。
これは方針だと思うが・・・
『あたらしい発想と教師全体の協力体制のもとに、人間教育を徹底し、地域に愛される工業高校目指す』とあった。

工業高校はともすれば、「技能習得」に走り、資格取得こそが究極目標のようなところがある。しかし、今の校長は「人間教育」であるといっている。生徒達は本当にいい校長にめぐり合ったと思う。

資格取得がいけないわけではない。しかし、それより優先することがあるというのである。
それを校長は「人間教育」といい、重点目標として「しつけ」を取り上げている。

重点目標その1は、『身だしなみ、清掃、あいさつ』の3つを徹底する、である。
校長自ら校門に立ち、だらしのない服装をした生徒には校門をくぐらせなかったという。

以下、7つの目標が掲げられている。
・厳しさの中にも温かみのある生徒指導をし、教師と生徒の豊かな人間関係を作る。

・キャリア教育を推進し、生徒に目標を持たせ意欲を引き出す。

・わかりやすく、興味の湧く授業を工夫する。

・専門教科だけではなく、普通教科も大事にし、教養を身につけたり身体を鍛えることの大切さを教える。
(人間としての成長なくして、技術に成長はない。)

・企業との連携だけでなく、高大連携を拡大し、進学体制も強化する。

・名古屋聾学校との新たな連携を模索し、人間教育に役立てる。

・110周年記念行事を実りのあるものにする。


いかにしたら生徒が人間的成長を遂げられるのか、常に考えられていることが想像できる。
特に、教師と生徒の「豊かな人間関係」とか、外部から実習の来る他校(名古屋聾学校)との連携を、人間教育の視点で模索している事などは、大変素晴らしいと思った。

そして、「人間としての成長なくして、技術に成長はない。」という言葉は、至言である。
技術者が心に持ち続けなければならない重い言葉でもある。


16歳から18歳という多感なときに、こうした教育環境で学べることは幸せなことである。

未来に羽ばたこうとしている後輩達の、限りない可能性に期待をしたい。


posted by 伊藤保徳 at 17:30| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幕末教育の復権

NHKの大河ドラマは、一つの社会現象を起こす力を持っているようだ。
今、放映されている「龍馬伝」も、土佐はいうに及ばず、彼の舞台となった地域は観光名所となり、多くの人が訪れているという。

町おこしに、NHK大河ドラマの誘致を真剣に考えている所もあると聞く。
すがりたい気持ちにさせるほどの影響力があるといってよい。


龍馬の活躍したのは幕末であるが、そのことに肖ったわけでもあるまいが、『幕末教育の復権を』という記事があった。

日本経済新聞9月20日の「オピニオン」のページ。
私の好きな『インタビュー領空侵犯』の欄である。
今回は、国際グリーン購入ネットワーク会長の山本良一氏のインタビュー記事であった。

現代日本の指導者にかけているものは『賓師』であり、何もすべての事を自分一人でやろうとしないことだ、と述べている。
『賓師』とは・・・
辞書も見てみたが、記事の中でも説明がある。

『賓師』とは、客分として遇すべき師のことで、高度な知識と見識を持ち、ある分野については耳を傾けざるをえない圧倒的な権威者というべき存在のことだそうだ。
つまり指導者は、こうした『賓師』をもち、耳を傾けることができれば覚悟の決断も生まれというのである。

よく理解できる。


そしてタイトルでもある『幕末教育』の必要性であるが、まさにこの『賓師』を求めての学びであったという指摘である。

以下、記事にある印象的な言葉を紹介する。
《明治維新を支えたのは、幕末に藩校や私塾などで教育を受けた若者達です。細切れの知識ではんく、本源的なありようを学んだのではないかと思っています。》

《字面だけで哲学や倫理を学んでも、判断力にはつながりません。幕末の教育は、書物に書いてあることを、現実の政治状況に当てはめて、どう応用すべきかを若者たちに議論させていました。(中略)古典から出発し、知識の先、人間の行動から学ぶことが人格陶冶には不可欠です。》


ともすれば、「知識を得たらそれで終わり」という風潮のある現代の教育。
人づくりという観点からいえば、耳の痛い言葉であろう。

山本氏は、「幕末教育こそが人づくり」といっているように思う。
それは知識偏重ではなく、その知識の先にある本源的なもの。中国の古典で言う『致知』『良知』『致良知』という、人間の心の奥にある良心を耕すことが肝要であるということである。


全く同感である。
言葉を変えて言えば、「人間学を学ぶ」ことであり、「人(『賓師』)に学ぶ」ということなのである。


「知識の先にあるもの」、心に残るフレーズである。
意識したいものである。


posted by 伊藤保徳 at 07:13| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

魅力的な街

今朝、「住みたい街」と題して「人とのつながり」がとても重要だということを書いた。
その後、朝刊を読んでいたら、《「魅力的な街」札幌首位奪還》という見出しが目に入った。日本経済新聞の社会面である。

これは、民間シンクタンクの「ブランド総合研究所」が発表したものであった。
記事によれば、全国1000の市町村と、47都道府県を対象に、認知度など63項目についてインターネットによるアンケートを実施。20代から60代の男女3万4千人から回答を得た結果だという。

記事では、市区町村の魅力度ランキングベストテンが紹介されていた。(カッコ内数字は昨年の順位)
@(2)札幌市
A(1)函館市
B(3)京都市
C(4)横浜市
D(6)小樽市
E(5)神戸市
F(7)鎌倉市
G(8)富良野市
H(9)金沢市
I(13)長崎市

調査は今年で5回目ということであるが、私は初めて知った。新聞で取り上げられるようになり、調査結果の認知度も上がりつつあるところだと思う。

記事の最後に、本調査結果のトピックスが紹介されていた。
長崎市が昨年の13位から10位に躍進したのは、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響か?とか、東京スカイツリーが建設されている東京墨田区は202位から158位に上がった・・・と。


私はベストテンを見て、北海道は魅力度が高い市町村が多い、ということを再認識すると共に、11位以降の市区町村の順位を見たくなった。

今日、帰宅後インターネットでこの調査を覗いてみた。
第1000位までは公開されておらず、有料の調査報告書が用意されているようだ。しかし、100位までの紹介はあった。


どの都道府県が多いのか興味はあったが、同時に私の住む愛知県の市町村で、100位に何ヶ所登場するのかも興味を持った。
まずは100の市区町村リストをざっと見た。
目に付くのはやはり北海道である。

27位、旭川市
33位、釧路市
42位、登別市
48位、帯広市
57位、美瑛町
60位、ニセコ町
67位、千歳市
73位、稚内市
78位、南富良野町
79位、室蘭市
100位、根室市

北海道内の市町村が、100の中に何と15地区も登場している。
皆さんがよく知っていて登場しないのは、「網走市」くらいである。

関東、東海、関西などで催される「物産展」で、北海道の産品を扱えば必ず盛会となるといううが、うなづける。


さて気になる愛知県であるが、100位以内に登場するのは名古屋市(21位)だけであった。
わが町「瀬戸市」が何位なのか、ますます気になってきた。

ホームページによれば、『地域ブランド力を消費者視点で測定する』という説明があり、まちづくりを進めるとき、一つの目標値にはなりうると思った。お金を出してでも、調査報告書を手に入れたいものである。

アンケートの「調査項目」こそが「まちづくりの個別目標」になりうると思うからである。

posted by 伊藤保徳 at 21:35| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

住みたい街

日本経済新聞に「未来面」がある。
これは、テーマごとに2020年の日本の姿を描きながら、読者の意見や提言で構成されている。

9月21日号では、『世界一、《住みたい街が多い》国、の本へ』というテーマで、幾つかのアイディアが紹介されていた。
第11回目ということだが、8月にこのテーマで募集をしたところ、187件のアイディアが寄せられたという。


寄せられたアイディアを層別し、それに時間軸を重ね合わせて「目標実現のロードマップ」として紹介している。

一つは、「住民同士が触れ合う街」である。
・住民同士が共同食事会
・銭湯を増やし、コミュニケーション活性化
・あいさつを義務付けた街道を作る

二つ目は、「環境に配慮した街」
・移動中の景観にもこだわる
・質の高い水を守る条例を制定
・電気自動車以外は乗り入れ禁止

そして三つ目は、「外国人が住みたくなる街」
・外国人に部屋を貸す場合に補助金支給
・外国人を田舎に誘致
・英語・中国語も公用語に

寄せられた「住みたい街」のアイディアを整理すると以上のようになったと思うが、私が思う「住みたい街」は、何といっても一つ目の「住民同士が触れ合う街」である。

まちづくりを考えるとき、その街にすむ人達が主体でなくてはならない。
つまり、そこに住む人たちにとって「住みよい街」であることが大前提である。

要は、「住みよさ」の中味である。
子育てや教育環境、生活の利便性、自然環境、行政サービスなどなどいろいろの要素があり、その価値の認識も千差万別であろう。

問題は、それら要素ごとの満足レベルを共有しできるかどうかである。
そのために、住民間のコミュニケーションは欠くべからざるものであり、「住民同士が触れ合うこと」がとても大切である。


私はこれを、「人がつながるまち」だと考えている。


posted by 伊藤保徳 at 07:04| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

おかげ横丁

お伊勢さんに行って内宮、外宮をお参りするのは当然ながら、町の散策も楽しみの一つである。

23日からお伊勢さんに出かけた我々の行程にも、昼食を兼ねた「おかげ横丁」の散策が入れてあった。
24日、鳥羽から近鉄で五十鈴川駅下車、コインロッカーに荷物を預けタクシーで内宮まで。宇治橋の手前でガイドと合流した。

普通の参拝ならば、概ね1時間位だと思うが、ガイドからの説明をしっかり聞き、質問なども出したりしたので所要時間は1時間半ほど要した。
そして合流した場所でお礼を述べた。
その折に、おかげ横丁の案内図をもらった。B4サイズの1色刷だがなかなか趣がある。

我々の昼食は、おはらい町通りを北に進み、真ん中辺りにある『すし久』で「てこね寿司」をいただくことになっていた。
この場所は、おかげ横丁の入り口に近いところである。

ボリューム満点の「てこね寿司」をいただいた後、おかげ横丁を覗いてみた。
10年位前に来たことがあるが、じっくりと散策をしたわけではなく、初めてといってよい。


案内図に歓迎の挨拶文がある。

《ようこそお越しくださいました。
伊勢はニ千年の昔から、
神様が鎮座される所です。

ここに住まわせていただいております私たちは、
くらしのすべてが神様のおあかげであると感謝しております。
そのような想いから「おかげ横丁」が誕生しました。

江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の人情と風情を再現し、
商いをさせていただいております。

本日はどうぞごゆっくりとお過ごし下さい。》

さりげない文章だが、人として、あるいは商人として素晴らしい心構えである。

この地域で中心的な役割を果たしているのが『赤福』でることは容易に想像できる。
ただ、赤福一社だけがいくら頑張ってもまちづくりは難しい。
リーダーとなる人(会社)の、心構えがより「公的」であるかで決まると思う。

つまり、「おかげさま」という謙虚な心があるかどうかということになる。


今日初めて「おかげ横丁」のホームページを見てみたが、「みんなで盛り立てよう」という気持ちが伝わってくる。
43店舗の「店主のささやき八丁」、横丁住人による「てくてく歩録」というブログはほのぼのとしていて、「人」を感じる。

丁度「来る福招き猫祭り」の開催中であった。(9月18日〜29日)
今年で16回目とのことだが、我が瀬戸市でも昨日今日の二日間、「来る福招き猫祭り」が開催された。瀬戸は第15回である。

「おかげ横丁」挙げての12日間の祭りと、市街地中心で繰り広げられる二日間の祭り。
同じネーミングなれど、「環境」が全く違う。

おかげ横丁のそれは、「福を招く」に力点が入っているようだし、瀬戸の場合は、「招き猫」そのもの、しかも陶磁器製にスポットが当たっている。


まちづくりにおけるイベントは導火線であると言った人がいる。
私もそう思う。

「祭り」をまちづくりに活かそうとするには、祭りに「文化性」が必要になると思った。
おかげ横丁の祭りの方が文化性に富んでいるように感じる。


posted by 伊藤保徳 at 21:10| Comment(3) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

式年遷宮

9月23日から1泊2日の予定で、伊勢に出かけた。
自宅から伊勢に出かけるとすれば車での移動がほとんどである。しかし今回は列車を利用しての旅であった。

23日は近鉄伊勢市駅で下車、雨の中外宮参拝と神宮徴古館を見学した。
そして鳥羽へ移動して宿泊、懇親会となった。

利用したホテルは有名で利用客もとても多かったが、部屋の冷蔵庫のビールの値段には驚いた。缶ビールのレギュラーが580円(530円?だったかもしれない)である。
館内自販機では350円で、このくらいは致し方ないと思うが500円を超える値段設定には首を傾げてしまった。結局全く利用しなかった。


24日はホテルを10時に出発、鳥羽から五十鈴川駅へ。
23日にお願いしたガイドさんと内宮前で合流した。まずは式年遷宮の説明が始まった。

この行事のことは、「20年に一回、神殿などを新しく作り変えること・・・」程度の知識しかなかった。
今回の旅行が決まった以後、『永遠の聖地 伊勢神宮』(千種清美著、株式会社ウエッジ、2010、8、20第1刷)という本を読んだりし、少し知識は増えたが現場で現物を前にしての説明とは天地の差である。

とてもよくわかった。


説明を受けた後に、改めてパンフレットなどの解説を読むと、一層理解が深まるものだと感じた。

式年遷宮について次のような解説がある。
《式年遷宮とは、二十年に一度新しい神殿を造り、御装束、御紳宝を古式のまま調進して大神様にお宮遷りをいただく神宮最大のお祭りです。

遷宮制度は天武天皇がお定めになり、持統天皇4年(690)に内宮で最初の遷宮が行われてから1300年余継承されてきた世界に例を見ないお祭りです。》(後略)

御装束とは、御正殿の内外を奉飾する御料の総称で、525種、1085点あるという。
また、御神宝とは、調度の品々で、189種、491点もあるとのこと。これらを当代の名工が真心を込めて制作するという。まさに「技の伝承」でもあある。

こうした一大行事が20年に1回行われるというが、第62回の式年遷宮が3年後に迫っている。
全てのものが新しくなるということであり、その準備も大変である。第62回の場合、その行事は平成17年から始まっており、8年間に亘って行われるという。
神殿を造る「用材」を切り出すことから始まるのだから大変である。

そして昨年11月3日、内宮の五十鈴川に架かる宇治橋が新しく架け替えられた。
私は昨年、この新しい橋の渡り初めの行事の前日にお参りに来ていた。
「その日」であることは全く知らなかったが、新しい橋の前で準備をされていたのでそれを知った。


1300年以上前から続いていることに驚く。
こんな立派で、確固たる根本のある我国の事をもう一度キチンと教育をするべきである。

原生林の中を進み、御正殿の前に着く。
石段を一段づつ登りながら抱くのは、感謝の心《おかげさんで・・・》という気持ちである。


何度出かけても抱く気持ちである。


posted by 伊藤保徳 at 06:45| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月25日

雨の外宮参拝

三年後に「第62回式年遷宮」を迎える伊勢神宮をお参りした。

私が初めて伊勢神宮に行ったのは小学6年生の修学旅行であった。
記憶にあるのは、内宮の五十鈴川の水がとても冷たかったこと、参道脇の大きな杉の木に圧倒されたことくらいである。

それから幾度も出かけたが、いつも駆け足でのお参りであった。
今回は一泊二日でのお伊勢参りであり、いろいろ勉強になった。外宮・内宮ともに観光ガイドさんについてもらった。初めてのことである。


さて、初日の23日は名古屋から近鉄特急で伊勢市駅へ。
駅から徒歩で外宮表参道まで行き、ガイドさんと合流した。
この日の予定は「外宮参拝」と「神宮徴古館見学」であり、その後鳥羽に移動して懇親会というものであった。

あいにくの雨模様の中、大きな鳥居をくぐり「手水舎」にて作法どおりに身を清めた。
ほどなく「御正殿」の前に、早速お参りをしたが、ガイドからは「ここでのお参りはお礼とか感謝の気持ちを述べるように・・・」とのこと。

その後、「風宮」「多賀宮」「土宮」をお参りしたが、初めてのことであった。
神さまの説明を聞いてのお参りは、一層気持ちが入った。

総勢15名の小団体であり、説明を聞きながらのお参りは1時間近くかかった。

その後は「神宮徴古館」に行くことになった。
バスもあるということで停留所に行ったが15分後しかこないという。聞けば「神宮徴古館」まで歩いても15分くらいとのことなので、全員で歩き出した。

雨は途中であがったものの、蒸し暑い。
歩き始めたものの、15分経ってもそれらしきものが見えてこない。その内バスが追い越していった。


建て看板が見えた。
だらだらとした坂道の始まりである。「神宮徴古館」まで500mの表示を見て、もはや修業をしているような境地になり、黙々と歩を進めた。
結局1時間以上歩いて到着をした。後で聞いたら外宮から4.3キロあるという。とても15分で歩ける距離ではなかった。

当然ながら、帰り(伊勢市駅まで)はタクシー利用であった。


見学をした「神宮徴古館」は大変素晴らしい。
日本の神話に関する絵画も展示され、日本国家の原点を学ぶに大変有効だと思った。
パネルに説明がされていたが、ガイドさんに解説してもらえたならばもっと理解が深まったと思う。

もう一度出かけたいところである。
今度は車で・・・。


posted by 伊藤保徳 at 16:48| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜中の文章

昨日、伊勢神宮の参拝から帰ってきたが、帰宅する前の午後6時から別の会合があり、食事も一緒した。
当然のことながら、アルコールも入りすっかいいい気分になって帰宅した。

24日中に、今回の旅行の概略だけは書き込もうと頑張ったが、なかなか文章が出てこないのである。

それでも、何とか搾り出しながらキーボードを叩いたが、一向にまとまらない。
いたずらに時間だけ過ぎていった。
気がつけば、午前零時をまわっていた。

 

急いで保存したが、更新は25日となってしまった。
その一文が「勉強になった」(9月25日 0時05分)である。


今朝読んでみて、あまりひどかったので一部修正をしておいた。
今日の、午前5時半前に読まれた方は、意味がよくわからなかったのでは?と思っている。

いつかも書いたが、夜中の文章はまずい。


このブログを始めた頃(2006年7月)までは、夜型人間を名乗っていた。
夕食や会食で少々のお酒を戴いても、寝る前に(質は別にして)文章は書けていた。

瀬戸市倫理法人会での朝の勉強会に参加するようになったのが07年の8月からである。
最初の頃は、モーニングセミナーのある水曜日だけ午前4時半に起きていた。しかしその早起きがだんだんと習慣化し、三月も経った頃、ほぼ毎日早く起きるようになった。

午前4時半から5時頃の起床である。

その頃は折角早起きしたのだから散歩をしようと思い、何日か行ったが長続きはしなかった。
それではと、ブログの更新を早朝に行うことにした。

しばらくして、夜中に書いていた頃に比べ、文章が変わってきたことを感じた。


朝の文章は総じて前向きである。
それに比べて夜中の文章は「女々しい」と感じ、これは朝に書くべきだと思った。

従って2年以上にわたって早朝書き込みを続けていることになる。


というようなわけで、昨日の深夜の文章は保存しただけであった。
お恥ずかしい限りである。

posted by 伊藤保徳 at 11:38| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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