2010年08月31日

安否の確認

ひょんなことから高齢者の所在がわからないことが表面化し、問題となっている。
戸籍上では幕末の頃の人が生きているかのような記録も見つかったりしている。

それほど多い事例とは思わないが、父親や母親と何年も会っていないとか、音信が不通だとかいう話を聞くと耳を疑ってしまう。
但し、高度成長期頃から若者がどんどん都市に向い、田舎では年老いた親達がひっそりと暮らすという現実もある。

都会で働く息子達も親を思う気持ちはあるものの、現実的には自分の家庭が優先されてしまっている。
親孝行の一つは、親に顔を見せることだというが、あまり遠いとそれも適わない。
せめてお盆や正月は、と混雑覚悟の帰省をされているのだと思う。


昨日届いた冊子(野村週報・平成22年8月30日号)に、『進化する「安否確認」システム』という記事があった。
先端技術が人に代わって「目」や「耳」となり、高齢者の安否確認をするサービスが進化してきたという内容である。

二つのシステムが紹介されている。

一つは、NECシスムテクノロジーの開発した「24時間安否見守りシステム」というもの。
これは、冷蔵庫や電子レンジなど、高齢者が自宅で使用する家電製品の「使用状況」を観察し、日常と異なる使用パターンを自動的に発見、そこから予想される危険度に応じて家族に電子メールで自動通知する、というもの。

「観察する」、といえばカメラを想像するが、家電製品の使用状況(扉の開け閉めとか使用時間など)を観察し、「日常との違いを発見」するということは、高齢者のプライバシーも尊重されることになる。

以前、「電子ポット」と電話回線をつなぎ、使用状態の異常をいち早く察知するというシステムを聞いたことがあるが、今回紹介のあったシステムは数段進化している。


二つ目のシステムは、「高齢者施設」での安否確認システムである。
こうした施設において、過度の漢詩や拘束はストレスをもたらし、安全で安心な生活を脅かすという。そこで考えられたのが積水ハウスのシステムである。

これは、ベッドに横になるだけで、心拍・呼吸・体動の生体情報を計測・分析できる非接触・非拘束型生体センサーシステムとのこと。得られた情報から、入眠の判定、眠りの深さ、覚醒するタイミングの予測などができ、異常の早期察知と、睡眠の質の改善に役立つという。
すごい技術である。


やむなく親子別居をしなければならない。
高齢化が進み、健康面など心配である。それを補うために「安否確認システム」が開発、進化してきている。
これは、一つの現実であるが、「文明に頼りすぎている」ともいえよう。

それはそれでいいが、もっと人間的に解決できないものであろうか。
こんな思いを持つ。


社会の構造や価値観が大きく変わってきており、「昔のよう」になることは難しいだろう。
しかし、「人として」、「家族、肉親として」どうあるべきかという基本を忘れてはならない。

便利さを手に入れることは、代償として何かを失っていることを気づき、人としての生き方を改めて考るべきだと思うが・・・。




posted by 伊藤保徳 at 07:24| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

かっての産業

昨日、「地方文化」のことについて書いた。
その分野に入れることができるものの一つに、「かって盛んであった産業」があるのではなかろうか。
これは、ただ何のアクションもとらなければ歴史の一ページに過ぎないが、意図的に保存し、次代に伝えていこうとすれば、それは一つの文化といえよう。

このようなことを考えるのは、一つには我が郷土のまちづくりのベースになる考え方であること。そしてもう一つは、具体的な事例が今、芽吹こうとしているからである。


瀬戸市というのは、やきもの(陶磁器)の歴史が1300年あるといわれ、それだけでもブロンドである。加えて、陶器・磁器の神として、それぞれ「陶祖、加藤四郎左衛門景正」、「磁祖、加藤民吉」が祀られ、祭りとして今日まで受け継がれてきている。
この地の産業は、「陶磁器に関わるもの」であるが、時代によって「生産されていたもの」は随分違うようだ。

瀬戸生産物の一つに「ノベルティ」というものがある。
「ノベルティ」とは、陶磁器製の人形類や装飾品の総称のことで、主として海外輸出用につくられ、瀬戸の戦後復興を牽引したといわれている。しかし、昭和50年代に入り注文が減り、平成に入ってからは受注は殆んどなくなってしまった。

この「ノベルティ」に、今スポットを当てようとする動きがある。

これこそが、「かっての産業を文化」に高めることだし、文化とすれば次代に伝え、長く保存することも可能である。課のである。


「文化」とは、広辞苑によれば以下の通りである。
《人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。
衣食住を始め技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。

文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神生活に関わるものを文化とよび、技術的張ってのニュアンスが強い文明と区別する。》


一番のポイントは、そのこと(かっての産業など)を、市民が文化として認識できるかどうかにかかってくる。

そういう観点から言えば、9月1日号の『広報せと』(bP166)の特集は評価できる。
『ノベルティの魅力を伝えたい・・・』と題した特集は、「絵付師」さんのインタビュー記事、「せとノベルティアーケードin末広」を展開している商店街の紹介、そして「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」のコメントなどで構成されていた。

瀬戸市民の中に、ノベルティを知っている人がどの位いるのだろうか。

私くらいの年代だと、昭和30年代後半の頃に、「内職」を通じてノベルティを知っている人が多い。

ノベルティを文化として甦らせることは、ある面産業の振興であると思う。
つまり、モノの生産という産業から、そのモノ(コト)の見学を促進することによって生まれる経済効果。これは一つの「観光産業」といえよう。これが私の考えるまちづくりである。


今回はノベルティを取り上げたが、こうした視点も持てばいろいろなアイディアが浮かぶ。

過去は否定することも、再現することもできない。
唯一つ、「どのように活かすか」にかかっている。



posted by 伊藤保徳 at 07:07| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

地方文化

今朝の日本経済新聞に、「地方文化」に関する二つの記事があった。
私は、この「地方文化」こそが今後のまちづくりにおけるキーワードだと思っており、興味深く読んだ。

一つは、1面のコラム「春秋」で取り上げてあった。
もう一つは、文化庁が、郷土料理など衣食住に関する「くらしの文化」の情報収集し、日本固有の文化として保護、伝承を図るという方針を固めたという記事であった。


1面コラムでは、地方の生活文化の違いに関心が集まっているとし、地方発の商品などを紹介している。山形県発祥の「冷やし商品」など、酷暑をブランド作りに生かす逆転の発想を評価している。
また、名産品の「お取り寄せ」は、通販市場拡大に一役買っているという。

こうした地域の食自慢は、バブル時代と大きく様がわりをしており地方文化台頭の時代だとしている。

まとめとして・・・
《例えばバブルのころ食自慢といえば、少数民族や欧州の田舎など海外の珍しい料理が話題となった。いま視線は国内生まれの個性へ。地に足がついたのか、ゆとりの減少か。ともあれ衣食住遊、独自の生活文化を守ってきた地方にはチャンス到来。中央からの補助金で、東京をまねるばかりが地域振興ではない。》

同感であるし、まちづくりの基本的な考え方だと思う。

文中『衣食住遊』とあったが、私はこれに『俗』を加えたい。
祭りや慣習なども是非加えるべきだと思っている。


二つ目の記事も歓迎できるものである。
見出しでは、『くらし変わり行く中で・・・衣食住の文化を伝承』・・・文化庁、郷土料理など調査・・・とあった。

「地方文化を国として認知し、伝承させてゆく仕組みをつくろう」、ということのようだ。
私のような、「地方文化を伝承すべき」という人間にとっては朗報ながら、「何のためにするのか」、狙いがあまり明確ではない。(少なくとも記事では目的が鮮明ではない。)


地方文化を保護し、後世に伝えていくにはそれなりの仕組みが必要である。
私は、「まちづくりや地域振興のキーワード」として「地方(地域)文化の保護と伝承」をとらえたい。

人材育成の面では「個性や郷土愛を育むこと」になるし、産業(地域)振興の視点でいえば、人口の都市集中が解消されるかもしれない。


私は大きな可能性があると思っている。

故に、「何のために地方文化を・・・」という狙いを明確にするべきである。

posted by 伊藤保徳 at 14:32| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手書きの効用

パソコンや携帯電話の普及で、自分の気持ちを手書き文字で伝える機会がめっきり減った。
私自身、「手書き」にこだわっているのは年賀状くらいである。かといって全てが手書きではない。


8月28日の日本経済新聞「NIKKEI PLUS1」の11ページ下段に、『手書きの大切さを考えよう』と題した広告記事があった。

手書きの価値・意義・楽しさを、親子の会話を通して伝えている。

先ずは文字の起源。
紀元前数千年の頃の土器に、記号(絵にも文字にも見える)が刻まれており、それが人間の意志伝達の手段として作り出された文字のルーツ。

それらは記号のようだが、物を表していた。(象形文字)
そして長い時間を経て、確実に読めて、美しく書ける文字が追求されていったといわれている。

手書きの効用としては、理解力や記憶力が高まるとし、個性も色濃く出るという説明であった。


私自身の実感として手書きの効用を考えると、「理解や記憶が進む」が先ず一番である。
学生の頃、記憶しなければならないことは、何度も書いて覚えたものである。記憶する方法には、私のような「手書き派」と、声に出しで読む「音読派」があるようだ。

20年近く前に管理者養成学校(通称、地獄の訓練)で、約600文字(行動力基本動作十ヶ条)を暗記する科目があった。この時は、十ヶ条の文章が配布されるわけではなく、教官から一条ずつ口(言葉)で伝えられるというものであり、やむなく声に出して暗記したが随分苦労した。その時、私の記憶法は「手書き派」であることを再認識をした。


私は問題解決にも「手書き」を使っている。
ある問題を解決しようとする時、まずは「問題」をノートなり紙に書いてみる。書かれた文字を見ているといろいろなことが思い浮かぶ、それをまた書く。こんな事を続けていると、そのことが本当に問題なのかもわかってくる。

瞑想だけではこうにはならない。


もう一つ、手書きの効用がある。
むしろこちらの方がより高いかもしれない。

それは「気持ちが伝わる」ということでる。
コミュニケーション手段としての手書き文字。サイン(署名)からは個性、ひと言のメモからは「気働き」、そして葉書や手紙からはその人の想いが伝わってくる。

署名は別として、「気持ちが伝わる」とは、書く人が「気持ちを込めている」からである。
言葉を変えていえば、書いているその時は、その人のこと心に描き、頭で言葉を選び文字にしているということである。

これは、その人のことを想っているということなのである。
とても感情的な行為である。


「パソコンや印刷文字では気持ちは伝わらない」、「いや、気持ちより正確に伝えることを優先すべきだ」、などと議論はある。
「ヘタな文字よりも、正しい文字で、感情は絵文字で・・・」という意見もある。

どうあるべきかを議論するのは意味がないような気がする。
「人間それぞれであってよい」、これが私の考えである。


今後とも、手紙や葉書は手書きで出そうと思っている。

年賀状1枚を書く1〜2分、その人のことを想う。
こういう時間を今後も持ち続けたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 09:11| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月28日

文化と慣習

私は50歳の時大学院に縁をもらい、改めて学ぶ楽しさを感じた。
以来今日まで、いろいろな会に関わりを持ちながら学ばせてもらっている。

そんな中で、本業である企業経営についてある方向が固まりつつある。

思えばごく当然のことであるが、当時はそうとは考えず、無条件に取り入れようとしていた。それは、「欧米発の各種経営管理手法」のことである。そして、固まりつつある方向性とは「日本型の経営管理手法」への回帰ということである。

こんな事を書こうと思ったのは、今朝の『私の履歴書』(日本経済新聞)を読んだからである。

今月は、元ヤクルト、西武監督の広岡達朗氏であるが、管理野球の元祖とも言える人の考え方には「さすが」と思わせることが多い。選手としてよりも、マネジメントの視点が素晴らしいと感じている。

管理というと、合理的な考え方ばかりを想像するが、読んで気がつくのは、氏の考え方は、日本人や日本の文化が基盤になっていることがわかる。つまり、「日本のプロ野球」はどうあるべきかを考えられていたのである。


今朝は、日本プロ野球の発展のため、指導者育成の場を作ろうとした苦労話であった。
その中で、フリーエージェント(FA)と複数年契約のことが出て来た。

この制度は、多民族国家で契約社会の米国ならではの仕組みであり、日本には馴染まないという議論があったという。この制度が生まれたのは、球団が選手を拘束して酷使していたという歴史があるというのである。つまり日本は、「長期雇用は美徳」という文化があり、「勤め上げる」という慣行に拍手を送る民族なのである。

広岡氏は次のように述べている。
《残念ながら、FA制度は日本でも93年から採用され、FA制度による他球団への流出を防ぐ意味での複数年契約も日常化してしまった。FA制が日本選手の米国流出に拍車をかけたのはもちろん、これらが年俸の高騰を招いたのは周知の通り。複数年契約は選手のやる気をそぐ副作用も露呈した。》(後略)

本場がアメリカといわれる野球の世界でも、文化や慣習に馴染まないことは取り入れるべきではない。
この広岡氏の態度は共感できるものである。


企業経営もプロ野球でも、国際的には共通のルールの下で戦っているのだが、勝つための方法論はその国の「文化や慣習」を基盤においたものでなければ、100%の能力発揮はできないのではないかと思う。食事などはその典型である。


企業経営において、欧米から多くの管理手法が紹介されている。
単に「先端」、というだけで安易に導入するのは問題である。文化、慣習が違うのだから・・・。

日本型の経営システムについて、一つづつ理論構築をしているところである。

そのためには、日本の本質をもっと知る必要がある。


posted by 伊藤保徳 at 17:48| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

環境大学

我社が環境管理活動のISO認証を取得したのは1999年のことであり、以来更新審査を受けながら今日に至っている。
その審査が、26日、27日の両日行われ、昨日終了会議が開催され私も出席をした。

審査は現場での活動状況を中心に行われるが、経営陣への質問もある。
昨日の午後、審査員との面談があり、30分ほどではあったが方針や活動の力点などについて質問があった。

その中で、「環境管理活動は地域全体で推進されるようになると効果も大きい」、という話が出た。
私は「地域挙げての活動」は、水俣市を手本にすべきであることを述べた。


水俣市の環境管理活動を正確に説明することはできないが、我社水俣工場の活動や社員の日頃の言動、そして一部の催し物への参加を通じ、地に足の着いた活動であり、実を結びつつあることを実感している。

二十数種類にわたる「ゴミの分別」、小学校からの「環境授業」、そして活動成果発表会、ホテルなどの「水俣版環境認定」などなど。地域が一体となっての活動は大いに参考になる。
事業所で行われている環境管理活動というのは、ISO認証の取得・維持のためだけに行われていることが多いと認識しているが、水俣の活動からもっと多くを学ぶべきだと思っている。


特に、小学生の活動成果発表会は今でも記憶にある。5〜6年前のことだと思う。
学校名などは忘れてしまったが活動内容は、学校での「水道水使用量の削減」というテーマであった。

現状の把握から始まり、使用量の明示(よく言われる「見える化」)、使用量のばらつきに注目し要因の分析、対策案の検討と実施。結果として使用量がこれだけ削減することができた、という内容であった。
私が素晴らしいと感じたのは、「結果」よりも、そのプロセスを楽しみながら取り組んでいたことである。

授業の中で、いろいろ工夫がされていると思うが、こうした学びを経験した子ども達が、家庭や地域でどんな行動をするか、である。「事実をキチンと見る」、「データでものを言う」、「モノを大切にする」などなど、ある面大人に大切なことを気づかせるキッカケをつくっていると思う。

こうした取り組みこそが、地に足の着いた活動といえよう。

更には、9月から「みなまた環境大学」が開設されるという。
短期セミナー「水俣入門編」として、9月13日〜17日の5日間開講される。

『開催趣旨』(「募集要項」より)
《公害の原点である水俣病。その経験を教訓として「環境モデル都市づくり」をすすめてきた水俣。「再生する水俣」の現在(いま)を知り学ぶことで、水俣病の教訓を次世代につないでいくとともに、自分で考え、行動することのできる人材を目指します。》

水俣全体が一つの大学とし、いろいろな現場が教室、そして地元の人たちが講師だという。
環境管理に軸足をおいた人材育成事業だと思った。しかも、地域挙げてのことである。

恐らくこの先、もっと大規模なものになり、事業として成り立つのではないかと思う。
公害病の研究とか、保養施設も必要ではある。しかし、こうした前向きな人材育成事業は「人の交流が活発になり、新しい文化が生まれる」ことになるのではなかろうか。


環境管理活動とは、地球への負荷を少なくしていこうとする活動だが、根本は人としての営みを見直し、自然と共生する生活に変えていくことに他ならない。
そういう意味で、人材というかけがえのない資産を、地域で育成することは極めて意義のあることだと思う。


我社の環境管理活動も更に成長させなくてはならない。


posted by 伊藤保徳 at 07:08| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

花火のふるさと

今朝、花火大会について書き込んだ。

その後、手元にあった資料を整理していたところ、先日の水俣出張で持ち帰ったいろいろな資料があった。
その中の一つに、利用したJR九州の車内誌『プリーズ』の8月号があった。
特集は、「花火のふるさと」であった。

車内ではざっと目を通し、面白いそうだったので持ち帰ったのである。

花火の発祥地について、考えたこともなかったが、記事によればルーツは中国。日本では徳川家康が最初に花火を観たというのが通説のようだが、どうも違うらしく、豊臣の時代に九州で始めて花火があげられたとのことである。
故に、「花火のふるさと」は九州、ということで特集が組まれたようだ。

このあたりのことを、記事から抜粋して紹介する。

《花火のルーツは中国といわれる。戦争の際の「のろし」が始まりで、一説によれば、今から二千年ほど前、硝石や硫黄、木炭からなる黒色火薬が生まれたことにさかのぼる。その後、火薬はヨーロッパに伝わり兵器となった。観賞用の花火が登場したのはずっと後で、14世紀後半、イタリアのフィレンツェで初めて行われたという。》

日本では、慶長18年(1613年)に、徳川家康が最初に見たといわれているそうだが、とても説得力がある。
しかしそうではなく、九州では文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参陣した佐竹義宣のもとに唐人が訪れ、花火を上げたという記録があるという。(現在の唐津市鎮西町の波戸天狗岳付近)

日本で生まれたものではなく、外国から伝わってきたものだと考えると、「九州」の方が古いように思える。

その証拠というわけでもないだろうが、ゆかりの波戸岬では毎年花火大会が開かれている。


特集では、九州各地の花火大会を始め、唐津にある創業明治33年の花火工場などが紹介されている。

その中で、特に興味深い記事は、久留米の「筑後川花火大会」であった。
もともとは、「水天宮奉納花火大会」とも呼ばれていたようで、神社の夏の大祭として行なわれる珍しい花火だそうだ。
規模は比較にならないが、今朝書き込んだ、本地地蔵祭りの花火と同じような趣旨である。

記事では・・・
《慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主・有馬忠頼が現在の社殿を寄進した際、落成を祝って藩の砲術指南役が花火をつくり、興を添えたことに始まるという。以来、地元の有力者達によって支えられ、戦時中以外は継続。今年で351回を迎える。》

350年以上続いているということは凄い。


特集を読み、多くのことを知った。
九州各地の花火大会は、時間とお金をかけても観る価値はありそうである。

九州のみならず、各地の花火大会に出かけてみたくなった。


posted by 伊藤保徳 at 16:17| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花火大会

私の住んでいる瀬戸市本地地域で、夏祭りといえば「本地地蔵祭り」である。

もともと8月23日に開催されていたが、準備のことや参加者を増大させようと、23日近傍の土曜日に開催されれることになった。従って今年の場合は先週の土曜日(21日)に開催された。

地元のことであり、本来はこの地蔵祭りに参加すべきではあったが、今年は水俣の「桜ヶ丘観音祭り」が同日開催となり、私は水俣の方に参加させてもらった。


さて、本地地蔵祭りのメインは「花火」である。
規模は小さいが、私の小さい頃から行われており、全てが「奉納花火」であることと、それが会社や商店だけではなく、個人奉納の数が増えてきている点が珍しいといえる。

先日も川崎市の花火大会の事をテレビで取り上げていた。
「花火を見るのが有料に・・・」という視点であったが、何でも市の費用で7千万円ほど掛けているという。企業等からの協賛金もあるようだが、この経済状況の影響もあってか、7百万円と前年に比べ2百万円も減ってしまったという。

そこで考え出されたのが「有料席」を売り出そうという企画。
1席5000円で、6000席を売り出したが当日売りを含め、半分程度しか売れなかったということ。

テレビ局調べでは、全国の花火大会で有料席を取り入れているところが相当数あるということであった。


夏の風物詩の代表が「花火」であり、夜空を一瞬彩り、すぐに消えてしまう様は、日本人の感性に合うものである。しかし、お金も相当にかかるのである。

日本経済が右肩上がりで、どんどん成長している頃は「企業の協賛」だけで、それなりの「花火大会」が維持できていた。しかし、昨今の状況はその頃とは大きく違ってきた。同じようなやり方では上手くいかないのは当然といえよう。

川崎市の場合でも、企業協賛が減った分を「有料席」によって賄おうとされたが結局は「市民負担」「受益者負担」ということである。ただ、こんな風に考えてしまうのは寂しい限りである。「夏の風物詩」というより、「イベント」というニュアンスが強くなる。


各地の花火大会は、それぞれ「主旨」が異なると思うので、それに沿った改革がなされていくと思うが、本地地蔵祭りの「奉納花火」は一つの方法だと思う。

奉賛会が組織され、奉納花火の募集、奉納者の名前やメッセージを入れた花火プログラムの作成と配布される。そして当日、地域住民は家の二階や物干し場から、あるいは庭先で焼肉を楽しみながらから花火を楽しむ。
奉納者はプログラム片手に、「その花火」のあがるのを待つ。
とてもよい風景だと思う。

メイン会場は我家の菩提寺でもある「宝生寺」である。
参道には屋台、境内では盆踊りと、多くの人でにぎあうが、花火の時間だけは踊りもストップ。それぞれの場で天を見上げて花火を楽しむのである。


私は昨年から4寸玉を2本奉納している。
一人でも多くの個人が、先祖を偲び、長寿・健康に感謝し、子どもの成長を願いながらの花火奉納に参加してしてもらいたい。

そして、長く続けてゆきたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 06:41| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

湯の鶴温泉

水俣に出張した時、利用するホテルは市街地のホテルか「湯の児温泉」のホテルである。
水俣は温泉で有名だが、先ずは「湯の児温泉」である。こちらは海岸沿いの温泉であるが、山あいにあるのが「湯の鶴温泉」で、市街地から車で15分ほどの所にある。

先日、水俣に行った時、日曜日の昼間にこの「湯の鶴温泉」に出かけた。
久しぶりである。

この温泉街には知り合いがいて、二度ほど私的に宿泊したことがある。もう30年近く前のことである。
その当時に比べると、お客も少なくなったようで、些か寂しい気がした。

今回この「湯の鶴温泉」の事を紹介しようと思ったのは、新水俣駅にある案内センターで面白いパンフレットを見つけたからである。温泉と共にパンフレットの内容も紹介する。


先ず、「湯の鶴」とは、《昔、傷ついた鶴が、川岸の水溜りで傷を癒しているところからこの名が付いたという温泉地》である。山あいで、「滝」や「森林」など豊かな自然に恵まれたところでもある。
私は、豊かな森林は知っているが、「滝」はまだ見ていない。

このパンフレットには、「滝」(七滝)が詳しく紹介されている。
そしてこれは、水俣高校商業科の生徒6人が、課題研究という授業で、「水俣の観光の活性化」のために作成したものであった。
観光客視点で、わかり易く、興味を引く内容といってよい。

「滝」は全部で七つあるそうだ。
下流から順番に、
「座頭滝」、高さ5〜6メートル。
STARTから5分、1つ目の滝が見えてきたよ!水の量も多くて、光のさしこみ具合がとてもきれい。
こんな調子でそれぞれの「滝」が紹介してある。

「のれん滝」、高さ7〜8メートル。
「小滝」、高さ約12メートル。
「大滝」、高さ20メートル。
「箱滝」、高さ13メートル。

以上のように、5つの滝が紹介されている。
あれ?7つではなかったのか。
これに対して、《七滝は普段5つの滝しか見ることができません。しかし、雨が降ったら幻の2つの滝があらわれるかも?》の解説。
とても神秘的である。

スタート地点(舟迫橋)から「箱滝」までの距離、それぞれの滝の写真とわかりやすい案内である。


人口3万人足らずの小さな町だが、行政、地域だけではなく、学校教育の中でも観光集客が取り上げられ必死である。
何とか応援したいものである。


posted by 伊藤保徳 at 15:18| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年少人口比率

一昨日、瀬戸北ロータリークラブの例会があった。
この日の「卓話当番」は、我が委員会(会員増強委員会)であり、一ヶ月ほど前にメンバーである幼稚園経営者にお願いをした。

個人的には「幼児教育」に大変興味があり、お願いしたが、むしろ「少子化」が大きな問題であるとし、卓話のテーマは「少子化時代と幼児教育」としてもらった。
話を聞き、日本の将来に大きな不安を持った。


人口問題は、21世紀の国力を考える場合の中心となる。
情報が瞬時に地球を巡る時代にあって、国力の差は人を含めた資源となる。
従って日本のように少子化の進行と、総人口の減少というのは競争力の減退となるのである。

こんな気持ちもあり、人口に関するデータをいろいろ見ながら「将来日本は大変だ・・・」という気持ちになった。


先ずは、出生率の年次推移、そして年少人口、老年人口の推移について解説をしてもらった。
(年少人口は0〜14歳、老年人口は65歳以上)

世界各国との比較の中で日本は、年少人口比率が1番低く、老年人口比率が1番高いという結果である。
この人口の中間である15歳〜64歳までが労働人口といわれているが、この比率だけは今のところ世界平均と同じ程度である。

世界平均と日本の比較

        0〜14歳   15歳〜64歳   65歳以上
・世界     28.4%    64.4%      7.3%

・日本     13.3%    63.9%     22.7%

このような結果であり、日本はまさに「少子高齢化国家」である。
参考までに、韓国、アメリカ、中国は・・・
・韓国     19.1%    71.6%      9.3%

・アメリカ   20.8%    66.8%     12.4%

・中国     22.0%    70.4%      7.6%

データを見て、年少人口比率が少ないということは、今後生産人口比率は低下し、老年人口比率が上昇することを意味している。従って、出生率の向上策がいろいろ行われているところである。
しかしながら、その出生率はなかなか向上していないのが実情である。

年少人口を増やすことが基本対策ではあるが、なかなか難しい問題である。

都道府県別の合計特殊出生率(2008年)を見てみるに、地域別にバラつきがある。
最高は沖縄の「1.78」で、最低は東京の「1.09」である。
これは、地域特性があるということであり、全国一律的なことより、地域別のキメ細かな施策が必要であろう。


「少子高齢化」はますます進行する中で、大きな舵取りが政治に求められている。


posted by 伊藤保徳 at 10:49| Comment(3) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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