2010年06月30日

同質性のあまえ

この所、ニュースといえば「ワールドカップ」と「大相撲の野球賭博問題」である。

ワールドカップは、決勝トーナメントには出場を果たしたが、残念ながら負けてしまった。

試合中継は観なかったが、試合後の選手達のコメントが素晴らしい。
チームメイトや控え選手を称え、サポーターやファンへの感謝の言葉が必ずあった。スポーツの良さを感じる場面でもある。

こういうチームを作り上げた岡田監督も素晴らしい。

多くの国民が、日本チームの活躍に感動したが、一方であきれるばかりの大相撲がある。


サッカーと相撲を比較するのは乱暴だが、たまたま同じ時期に両極端な話題で取り上げられた。そういう点では、否が応でも比べてしまう。

ズバリ、「多様性・異質性の厳しさ」と、「画一性・同質性の甘さ」の違いのようだ。

ということになると、大相撲の改革は、「サッカーの多様性・異質性を取り入れるべき」、という意見も出てくるのではなかろうか。
大相撲の「同質性」や「身内感覚」、「ごっつあん体質」などなど以前から大いに問題となっている。

今回の野球賭博問題も、刑事事件ということの他に、上申書を書かせ正直に申し出たものには目こぼしをするような協会の姿勢も問題になっている。批判の大合唱はむしろ「協会の姿勢」に対するものといっていいかもしれない。

まさに、国技として特別扱いされ、それがいつの間にかその地位に胡坐をかくようになってしまった。


本当に出直しをしようというのであれば、名古屋場所のみならず、地方場所は当面休止する。公益法人も返上し、大相撲の活動が公益性ありと認められるようになってから申請をすればよい。

スポンサーも自らみつける努力もするべきであろう。
そうする為には、力士経験者で協会運営をするのではなく、その道のプロに任すべきである。

力士経験者(親方)は「力士の育成」「相撲の普及」「伝統文化の継承」などに徹するべきで、興行などを担当すべきではない。


手厳しいが、これくらい大胆に変革するべきである。

今の予定では7月11日が名古屋場所の初日だという。
入場券の販売も芳しくないと聞く。
NHKの中継放送はおそらく中止。懸賞も極端に少なくなるだろう。

ほとんどの人が応援をしない大相撲名古屋場所。果たして開催する意味があるのだろうか。採算が取れないとすれば、その責任は誰が取るのだろうか?

せめて、つまらない週刊誌ネタの提供だけに終わらないようにしてもらいたいものである。




posted by 伊藤保徳 at 18:42| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

陸軍士官学校

先日、倫理法人会で勉強している仲間から本の紹介を受けた事を書いた。
特に印象深かったのは、『誇れる国』(中條高徳著、ワック株式会社発行)で、私も別途買い求めた。

著者である中條高徳氏はアサヒビールの名誉顧問で、「致知」の巻頭言にもよく登場されている。

本年4月号にも、「カルタゴの平和」と「人間の鎖」というタイトルで、国民に警鐘を鳴らしている。

この「巻頭の言葉」の最後に、次のような文があった。
《迷える日本人よ。世界の歴史が説く民族滅亡の三原則を心して聞けと叫びたい。
一、理想(夢)を喪った民族
一、全ての価値をもので捉え、心の価値を見失った民族
一、自国の歴史を忘れた民族 》

何と重い言葉か。
今の日本を言い当てているようで恐ろしい。


さて、中條氏の本とか「巻頭の言葉」を読み、どんな人なのか興味を持ち始めていた。アサヒビールで、スーパードライを大ヒットさせ、シェアbPを獲得した「立役者」であることは知っていたが、日本歴史に造詣の深いことや、人間学に精通されていることなどに興味をもっていた。

それらをどうして会得されたのか・・・と。


2週間くらい前のことである。
ふらりと立ち寄った本屋さんで、中條氏の本を見つけた。
『陸軍士官学校の人間学』(講談社(講談、2010、5、10)という本(講談社プラスアルファ新書)であった。

表紙にいろいろ書かれている。
「戦争で磨かれたリーダーシップ・人材教育・マーケティング」「倒産寸前→シェア1位 1ビールが証明する古きよき日本力」「戦争は究極の、人間の「研ぎ器」だ!」「ビジネスに勝つ「兵法」7つの秘訣!」など、大変勇ましい言葉が並んでいる。

私は、「陸軍士官学校」と、そこで兵法の教科書として使われていた「統帥綱領」と「作戦要務令」に興味が強く、早速買い求めた。


読み終えての感想は、「人間には確固たる精神的支柱」が必要である、ということを思った。

アサヒビールが失地回復を願い、生まれ変わりを図りながらシェア1位になるプロセスで、中條氏が「陸軍士官学校で学ばれた兵法を遺憾なく発揮されたこと」が、とてもわかり易く述べてあった。


もう一つ、「統帥綱領」や「作戦要務令」についてであるが、私が初めて耳にしたのは、昭和42年のことである。
それは、我社が合資会社から株式会社の改組したときのことである。

ある面、会社の生まれ変わりということで、「理念」「基本方針」「行動指針」、そして「役職者の心得」などが制定された。
私は、入社二年目の頃であり、発表されたことをもらっただけに過ぎなかった。しかし、いろいろと説明してある文章の中に、少々難解な表現もあり、どなたが作成されたのか知りたかった。

それは間もなくわかった。
それが時の総務部長であったことを知り、文章の意味などを訊ねた。その時総務部長から、『参考にしたのは、「統帥綱領」と「作戦要務令」である』、と聞いた。
以来、『そういうものがあった』、ということだけは頭の片隅に残っていた。

その時の総務部長は既に故人であるが、役員退任まで実に多くの事を教えてもらった人である。

終戦時、「大尉とか中尉」だったと聞くので、おそらくは陸軍士官学校を出てみえたのではないかと思う。


今回買い求めた本を読みながら、「戦略とか戦術」の話が多くでてきたが、そうした言葉の端々に、40年も前の総務部長の話がダブった。

改めて、「理念」や「経営方針」を読み返し、その意味を再確認しようと思った。
従業員行動指針として明示された五つの誓い(五誓)は尚更である。



posted by 伊藤保徳 at 11:34| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幸福度指標

先進国で「幸福度指標」を作る機運が高まっているという。
サルコジ仏大統領が提唱した他、日本政府でも検討中とのことである。

以前、この「幸福度指標」について書いたことがある。
ブータンの前国王が、『国民総生産より、国民総幸福量の方が大切だ』という発言があり、全くそのとおりだと感じた。

でも、個人それぞれが違うと思われる「幸福」ということを、どうして測ることが出来るのだろうか?と、疑問ももった。


少し前になるが、6月21日の日本経済新聞の「インタビュー・領空侵犯」欄に、「幸福度指標」についての記事があった。
タイトルは『幸福度指標は無駄』、見出しには『物差しより政治哲学を』とあった。語っていたのは元世界銀行副総裁の西水美恵子氏であった。

内容は、タイトルと見出しのとおりである。
読んでみて納得し、同時に考えさせられるものであった。

「幸福度指標を作ることの反対理由・・・」
《そもそも幸せは測れないもの。国民総生産は生産物を市場価格に換算して足し合わせる。ところが幸福は、人それぞれ、市場価格などで換算できず足し算できない。『測れるものは必ず管理される』という言葉があります。

国民の幸福を無理に数値化すると、国が間違った指標を管理して危険なことになります。》と、誠に明快である。

更に、手本とされている「ブータンの国民幸福量」について・・・
《これは誤解です。国民総幸福量は指標ではなく、ブータンが長年貫いてきた政治哲学です。》

つまり、前国王の発言『国民総生産より国民総幸福量の方が大切だ』、という言葉が独り歩きしているというのである。「幸福量」という言葉から、「測れるもの」と誤解しているというのである。

氏は言う。
『国民総幸福量の追求は公共政策哲学なのです。』・・・と。

そしてこの後の発言が重要だと思った。


『ブータン2020』という国家ビジョンの説明である。

《自然環境や文化伝統を破壊し、家族や友人、地域社会のきずなを犠牲にするような経済成長は追求せず、人が安らかに住める国をつくると宣言しています。
こうしたビジョンを掲げながら一人当たりの国民所得が南アジアで2位となるまで成長を遂げた。》

そして、なぜブータンではうまくいったのか?の問いに・・・
《人口約70万人のブータンは、北に中国、南にインドと大国にはさまれ国家存続の危機感を常に抱いています。武装しても勝ち目はない。国を守るのは人心しかないのです。国民総幸福量は、国家安全保障戦略でもあります。》

とても重要な視点だと思う。
「国を守るのは人心」とは、弱小国ならではの発想であるが、昨今言われ始めた「地域社会づくり」とか、「地域力向上」などと相通ずるものである。

日本としても改めて謙虚になって考え直す時かもしれない。
今や、「経済大国」として国際舞台で前の方に立っているわけではない。


「経済の成長は重要だが、あくまで手段」、「目的は国民の幸せ」、国の役割は、「国民一人ひとりが努力して幸せになる上での障害を取り除くこと」。

西水氏が語られている要旨である。


身の回りのことから見直してみようと思った。
自然環境のこと、文化のこと、家族や友人のこと、そして地域社会のきずなのことを。


posted by 伊藤保徳 at 07:37| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

エチカの鏡

もう2年近く放送されていたのも関わらず、初めて観て「いい番組だ」、と思った。
日曜日の午後9時から東海テレビ(フジテレビ系列)で放送されている『エチカの鏡』という番組だ。

一昨日の日曜日、昼間は浜名湖に出かけたが、夕方から約束していた会合があり、それに出席し帰宅したのが午後9時半過ぎであった。

何気なくテレビを見たら、タモリが司会をしていた。
番組は、「死ぬまでにやっておきたいこと55」というタイトルで、次から次に「やっておきたいこと」が紹介されていた。

最初はその意味がわからず、何のことかと思ったが番組も最後のまとめに入ったようで、「やっておきたいことベスト3」を今から紹介するというのである。
画面を見ながら様子がわかってきた。
「親孝行の具体的な内容」を、視聴者からの投票で55項目選び、それをストーリーとして紹介していたのである。

因みに、「ベスト3」とは・・・
1、親に会いに行く
2、親に「ありがとう」を伝える
3、親に手紙を送る    であった。

私が観たのはものの10分くらいだったと思うが、早速番組名を新聞で探した。
それが、「エチカの鏡」という番組であることがわかった。

テレビ番組がどんどん低俗化していく中にあって、いい番組だと思った。


そこで、ネットで「エチカの鏡」を検索してみた。
「ウィキペディア・フリー百科事典」に詳しく紹介されていた。

まず、番組名の「エチカの鏡」である。
新聞の番組欄で「エチカの鏡」という番組名を知ったが、「エチカ」の意味は知らなかった。

百科事典によれば・・・
『エチカ』とは、ラテン語で『倫理』という。『人の生きる道』 『人の生き方』の意味。
『鏡』とは、「自分の心を映し出す鏡」の意味を示し、「生きていく為のヒントが膨大に詰まった、自分を見つめ直すためのお話」である。

翌日は月曜日という週の初めで、心を新たな気持ちにして、1週間を頑張ろうという気にさせる応援番組。

このような説明があった。


観たのは10分程度であったが、番組の説明を読み意図を納得した。
この時代、親孝行を話題にする番組のあることが嬉しい。

考えてみれば、ごく当たり前のことである。しかし、現実は目の前の事に忙殺され、親のことはもとより他人を思いやる気持ちが失われてしまっているように思う。

「エチカの鏡」を通じて、そうした「当たり前のこと」に改めて気づき、「自分もやってみよう」と何人かが決意をしたと思う。


「フリー百科事典」には沢山の情報が掲載されていたが、ほんの一部しか読んでいない。
バックナッバーの紹介もあるようだし、じっくり目を通したいものである。


posted by 伊藤保徳 at 06:40| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

仲間と小旅行

昨日の日曜日、仲間との小旅行に出かけた。
行き先は、浜名湖・館山寺温泉であった。

三年ほど前に誘ってくれた人がいて、このグループ(「スマイル会」)に加えてもらった。誘ってくれた人は中学生の時の先輩である。
瀬戸市内の事業家が中心であり、ユニークなグループといえる。


昨日の朝、8時少し前に集合、小雨の中総勢20名で出発した。
日曜日にしては高速道路の通行量は少なく、目的地近くまで随分早く到着をした。そこで、予定にはなかった「フラワーパーク」を見学することになった。

 

私は初めて入園したが、素晴らしい施設である。
帰宅してからネットで調べてみたが、浜松市の市制施行60周年の記念事業の一環として、昭和45年(1970年)に開園している。

広さは30万平方メートル、「花卉(かき)園芸の振興及び浜名湖館山寺温泉観光施設拡充に資する」という目的のもと、3000種10万本の花卉が植えられているという。
四季折々、違った「顔」をみせているようだ。

今回の見学は3〜40程度ということもあり、「温室」だけをみてきた。
なかなかのスケールであった。


時間調整の後、「浜名湖遊覧」を経て、お目当ての昼食である。
ホテルに到着後、お風呂を使うことも出来、30分後から食事が始まった。とても豪華であった。

このグループは「よい食事」がメインのようで、毎回趣向を凝らした内容である。


料理もお酒もたっぷりと戴いた。
新参者ということもあり、カラオケを披露することになった。本当に久しぶりのことである。

ホテルの売店で土産物を求め帰路に。
一路瀬戸への車中ではほとんどの人が睡眠。無事に帰ってきた。


本当に久しぶりの旅行であった。

参加者20人の人たち全てを知っているわけではなく、緊張感もある。皆さんに声をかけてもらいながら、(小雨の中とはいえ)楽しい一日を過ごすことができた。

浜松フラワーパークには、改めて行こうと思った。

次回の例会が今から楽しみである。


posted by 伊藤保徳 at 05:34| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

三方よし

今、私が大学院で担当している講座は「経営システム研究」であるが、我社の経営史を通じ、21世紀の日本型経営のあるべき姿を模索する内容である。
以前にも紹介したとおりである。

その内容の一つに、「三方よし」の考え方がある。
これは近江商人の考えだした「経営理念」といわれているが、以前から大変興味をもっていた。

この、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という『三方よし』というのは、商売(事業)の理想である。

しかし現実を見てみると、「三方」どころか、「買い手」のことも考えない「一方」(自分だけ)の「よし」しか考えない商売(事業)が何と多いことか。


1980年代まで右肩上がりで来た日本経済。
それはそのまま企業活動の成果であったといってよい。

バブル経済の崩壊を経験し、企業経営の観点から言えば「今までの日本的な経営を総括し、継承すべきことと、変えるべき事を明らかにし、改革の道を進むべき」であった。それは、「日本的経営」から、「日本型経営」への脱皮であり、自律の道だったと思う。

しかし、残念ながら多くの企業は「アメリカ的経営」にキャッチアップをしてしまった。

このことで、日本的経営といわれる「素晴らしい理念や仕組み」の多くを捨ててしまったのである。


21世紀の日本型経営の在り方とは、新たに創造するということではなく、日本の伝統的な「思想や慣習」、高度成長に導いた「理念や仕組み」などを再評価し、企業経営に活かそうというものである。

その中の一つが、近江商人の「三方よし」の理念である。


勉強を進めるといろいろな発見がある。
ネットで、「三方よし研究所」の存在を見つけた。
まだ詳しくは見ていないが、歴史ある「NPO法人」であり、内容は大変参考になりそうである。


昨日の授業で、この「三方よし研究所」の存在は紹介した。
勉強の幅を広げてもらいたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 06:54| Comment(2) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

中国セミナー

一ヶ月ほど前、名古屋学院大学の先生からセミナー講師の依頼を受けた。
依頼の内容は、「外国語学部中国コミュニケーション学科」の講座の一つに、外部講師によるセミナーが計画されており、そこで中国での事業の取り組みや、将来展望について話をして欲しいというものであった。

「私に出来る範囲で」、ということで引き受けた。
(依頼のあった先生には、いろいろ世話になった経緯もある。)


さて、我社の中国との関わりは、1997年の「生産委託」が始まりである。
その後、生産品目の拡大や合弁での企業設立などを経て、現在上海市の西方にある「青浦地区」に自前の工場を持つまでになった。

手探り状態からのスタートであり、数々の失敗もあったが、進出当時と大きく変わったのは従業員の賃金である。


一ヶ月前くらいから新聞を賑わせているが、賃上げ交渉でストライキにまで発展し生産がストップしてしまう事態が発生しているようだ。
本年4月、当局から20%以上の賃上げ要請が出ており、それに応えることが最低の条件のようである。


中国ビジネスセミナーを引き受けようと思ったのは、こうした現状をどのように捉え、どう対処していくかということには職務上関わりが深いと考えたからである。

つまり、中国では今後「ひとの問題」が重要になってくると考えている。

今は、賃金が大きな話題となっているが、その前提として「躾」や「教育」が必要になろうし、仕事や改善のためのスキル向上なども課題である。
「モノづくり」という現場において、日本と中国で大きく違うはずがないからである。

加えて言えば、「ヤル気」や「チームワーク」という、仕事への取り組み方を如何に高めていくかということである。仕組みと処遇だけで実現できるとは思えない。


こうした背景を持ち、セミナーのレジュメ(パワーポイント)を用意した。
会社全体の紹介や、やメーカーとしての「モノづくり」についての考え方を説明しようと考え、全部で30シートになった。

セミナーは、来週月曜日の予定である。


posted by 伊藤保徳 at 07:22| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月25日

人材育成の歴史

株式会社リクルートワークス研究所が発行している『Works』という雑誌がある。
二ヶ月に1回発行という変則型だが、今回届いたのは「100号」であった。

会社で人事関係の仕事を行っていたこともあり、リクルート社との付き合いは20年以上になる。おそらく、この『Works』は創刊号から読んでいると思う。
毎号、内容はとても濃い。


さて第100号であるが、「人材育成」の特集が組まれていた。

編集後記に、《80ページの大特集は、『Works』誌100号の歴史の中でも初めてのことです。しかし、それだけのページを費やしても、「人材育成」というテーマを語りつくすことは出来ませんでした。繰り返しになりますが、本号は議論の出発点であり、今後もこのテーマに真摯に向かい合いたいと思います。・・・》とあった。

80ページというと、「1冊全部」ということである。


一口で感想を述べることは出来ないが、特集の一番最初に「日本の人材育成の歴史」がとても上手くまとめられており紹介したい。

「人材育成」の思想は?仕組みは?歴史から日本の特徴を振り返るとし、編集部によってまとめられている。(P−8)

・武家統治期(鎌倉時代)武家がルールを決める時代
「教育が武家や庶民に浸透」
公家だけでなく、武家や庶民にまで寺社仏閣を中心に教育が施される。

・混乱期(室町・安土桃山)強いリーダーが率いる時代
「リーダーの思想が育成法を決める」
戦国武将のようなリーダーの思想が、そのまま人を育てる仕組みに。人の育て方が多岐にわたる。

・安定期(江戸時代)江戸の長期安定政権の時代
「近代経営の萌芽、OJT・OFF−JTの仕組みが存在」
巨大な商家も生まれ、当時すでに、ジョブローテーションや業務後に「読み・書き・そろばん」を学ぶ育成の仕組みが存在した。

・開国期(明治時代)世界をキャッチアップする時代
「世界を視野に、エリート教育」
エリート教育に多額の資金を投入し、海外へ人材を留学・派遣した。知識人も多数出る。

・成長期(昭和時代)日本的経営が確立される時代
「育成の仕組みが多くの企業内部に」
長期継続雇用と企業内技能形成を目的とした「職能資格制度」「年功序列制度」などが生まれる。

・成熟期(平成時代)経済成熟の時代
「育成が逆走状態に」
バブル経済崩壊。また、成果主義導入などに伴い、企業の育成機能が低下。


本特集の問題意識は、一番最後の「成熟期」での「人材育成機能の低下」にあることは言うまでもない。


表紙のコピーが印象的である。


人材育成「退国」から「大国」へ

人は育つのか。
育てるのか。
日本企業復活の道は、
その議論から始まる。


全くそのとおりだと思う。

いつの時代にあっても、「人を育てる」ことは大変重要なことである。


posted by 伊藤保徳 at 07:09| Comment(4) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月24日

ケーブルテレビ

昨日、グリーンシティーケーブルテレビの第19期株主総会が開催された。
この会社と当社は深い関わりがある。

グリーンシティケーブルテレビは、20年ほど前に発足した名鉄瀬戸線沿線をエリアとした放送事業会社である。

この会社の設立が検討されていた頃、我社は創業70周年という時であった。その70周年事業として「社会貢献」も検討しており、この「ケーブルテレビ事業」への出資を決定した。

こうして関わることになったが、出資だけに止まらず、人材を派遣したり、監査役を拝命したりしてきた。

4〜5年前に、大きな転換期が来た。
一つはケーブルテレビ事業者の再編成である。1980年代後半から、大小さまざまなケーブルテレビ会社が設立されたが、合併や併合が行われ再編成が時代の流れとなった。

もう一つは、発足時から事業主体であった会社がケーブルテレビ事業から撤退したいという意向が固められたことであった。
会社業績は、初期の大型投資を経て累積の赤字も解消されていた。


事業主体会社が変わるタイミングに、我社も株式譲渡を決めた。

当時私は非常勤の監査役であったが、これはもう1期継続して欲しいということから、昨日の株主総会も監査役として出席をした。

思えば、20年の歴史である。

名鉄瀬戸線沿線をエリアとして、ケーブルテレビ、インターネット、IP電話の接続事業が行われてきたが、一定の社会貢献をしていると思う。

コミュニティのメディアとして、もっと活用方法があると思う。
地方自治体との連携が肝要だが、瀬戸市、尾張旭市、守山区(名古屋市)とは、少しづつ関わりが深まってきている。


私は今後、「教育」に利用できないかと思っている。

会社が番組や情報の提供者だと決め付けず、視聴者や市民にもそうしたことを担ってもらえるような仕組み(活用)を是非検討してもらいたいものである。

それが実現できたならば、地域にとって無くてはならない存在となることであろう。



posted by 伊藤保徳 at 07:18| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月23日

説明する能力

「日経ビジネス」という雑誌がある。
会社で購読しており、特集などを中心に読むようにしている。

6月14日号は、《人づくり危機「不安3世代」》という特集であり、私の職務にも関係があるので目を通した。この特集内容については、別の機会に紹介しようと思うが、他に目にとまった記事があった。

「時事深層」というページに、永守重信氏(日本電産社長)へのインタビュー記事があった。
タイトルは、『指導者は反対を恐れるな』である。


最初は、日本の首相が4人続けて1年程度で辞めてしまったが、企業の経営のトップとしてどのように感じるかという質問である。
「本当の政治家ではない人が増えた」、と端的な回答だが、「リーダーシップが欠如していること。自分の選挙区だけを考えている。」とも付け加えられている。


次の回答が印象的である。

《指導者に何が欠けているのか》の問いに、「説明する能力だ」、ときっぱり。

前の回答でリーダーシップのことが出ており、「方針や目標の明示」とか、「率先垂範」のようなことを想像したが、ものごとを「説明する能力」という言葉は意外に思った。

その説明を記事から(抜粋)紹介する。
《経営や政治の最大の仕事は、苦痛なこと、嫌なことに早く手をつけて、いい話に変わっていくようにすることだ。だが、それには大体副作用がある。

理想に燃えるのはいいけれど、やっぱり会社の経営も、国の経営も理想どおりにいかない。現実にはどろどろしたものがいっぱいあって、毎日問題が出てくる。それをてきぱきと決断して処理しないといけない。

社員にとって楽しいこと、嫌なこと、五分五分だ。


「今からこういうことをやろうとしているけれど、全部いいことではありません。でもその副作用は税金などで埋め合わせる仕組みをつくりますよ」と。

国会で資料を棒読みするのではなく、指導者自身がキチンと説明できて、説明しつくさねばならない。》・・・と。

つまり、そのことを理解してもらい、納得してもらうためには、指導者自らが説明し尽くすことである。そして、永守氏がそのことを「能力」といっていることに興味を持った。

「説明する」、ということが難しいと思えるのは、「説明した」という事実ではなく、相手に理解され・納得されて初めて「説明した」ことになるからである。
改めて考えてみるに、これは一種の能力といえよう。

責任ある人たちの「説明責任」がよく問われ、記者会見などで説明されているが、聞き手にとって「理解・納得できる」ことは殆んど無い。といってよい。


リーダーたる人。
改めて「説明する能力」について判定してみる必要がありそうだ。

posted by 伊藤保徳 at 17:26| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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