2010年02月28日

おこしもの

昨日春を思わせるような天気であったが今朝はドシャ降りになってしまった。
今日は、「本地の米づくり」のなかでも人気のある収穫祭であった。

8年前から、本地の将来を考える会の自主事業として、地域の新旧住民のふれあいと、親子で農業体験をしてもらおうと企画したもので、休耕田を借りての「米づくり」を行っている。

6月の代かき、田植えから始まり、田の草取り、案山子作り、稲刈りと進み、収穫した米を使ってのイベントとしてこの時期、収穫祭を行っている。
始めた頃は「餅つき」がメインであった。しかし、なるべく多くの人が参加できることを考えると、「おこしもの」とか「五平餅」などが適当であると考えた。

今年からはこの二つをメインにし、豚汁のサービスを入れたイベントとなった。

まずは会場である。
水があって煮炊きが出来なければならない。加えて、雨が降っても出来ればいうことないである。

いろいろな場所で行ってきたが、三年前からは「尾張恵比寿」の建物を借りることにした。
子どもを含めて100人くらいの人数で「おこしもの」と「五平餅」を作るには十分である。

「おこしもの」というのは、子どもの頃から親しんだものだが、どうやらこの尾張と三河地域の特有のもののようだ。「おこしもの」とか「おこし餅」とか言うようだが、この地では「おこしもん」といっている。

木型に米粉の練ったものをはめ込み、型から取り出したものを蒸して出来上がりである。
木型はいろいろなものがあるが、昔のものは檜で、細かな彫がしてある。

この木型に練りこんで「おこす」ことから、「おこしもの」とよんでいる。
米粉は真っ白であるが、食用染料で赤、黄、緑の三色を用意、色とりどりなものに仕上げてもらっている。
参加されるほとんどの若いお母さん達はこの「おこしもの」を作った経験がなく、いつも最初に一通りの説明をして始めている。この役目は最初から私が担当している。

今こうして書いているが、現物を見せながら口で説明するのはさほど苦労はしなかったが、こうして文字で紹介しようとすると難しいものである。
「おこしもの」を見たことも聞いたこともない人は、きっと「何だろう?」という思われるであろう。

とにもかくにも、昔から、桃の節供にお供えするお菓子(餅)である。


参加者の皆さんは、この「おこしもの」がすむと次は「五平餅」作りである。
スタッフが、ご飯を作り少し米をつぶした上で、一人前づつラップに包む。それを専用の串に巻きつけるように形作るのである。

そして完成後は炭で少し焼き、味噌ダレをつけてその場で頂くのである。
この頃、豚汁も出来上がり、思い思いに食してもらった。

最後は蒸しあがった「おこしもの」を、お土産として分け、解散となった。


朝、準備をしている頃はドシャ降りであった。
雨の中ではあったが午前9時、受付を済まされた人たちが30人ほどいたので開始をした。その後、三々五々集まって頂き、9時半頃には、50人以上になった。

その後雨もあがり、五平餅を焼くのは屋外で行うことが出来、まずまず成功裡に終えることが出来た。

イベントの内容に目新しさはないが、重要なのは「続けること」だと思っている。
単なる遊びの時間ではなく、「文化の伝承」という認識が参加者に出来たならば、言うことはない。




posted by 伊藤保徳 at 16:45| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日中友好

昨日、2月とは思えない春陽気の中、瀬戸地区の日中友好行事が開催された。
この行事が毎年この時期に開催されていることは知っていたが、参加したのは始めてである。

正式には、「日本中国友好春節祝賀会」という。
我社にも研修生や実習生が何人か勤務しており、彼らと共に会社の関係者が参加させてもらっていた。

現在、日中友好協会の瀬戸地区会長が、お付き合いのある会社の社長ということもあり、出かけることになった。今回は、中国人研修生2名と彼らの職場の人2名との参加であった。

開会のセレモニーの後、アトラクションがありその後懇親会となった。
アトラクションでは、研修生・実習生・留学生らによる「龍舞い」の披露、その後地域で活動しているグループによる「和太鼓の演奏」があった。

「龍舞い」については、この祝賀会が始まる前のわずかな時間で練習しての披露であった。世話役の人による指導よろしくわずかな時間ではあったが、全員中国人でありそれなりに様になっていた。
あとで聞くところによれば、「初めての経験」とのことであった。


アトラクション後の懇親会では、いろいろな話をさせてもらった。
特に話題となったのは、「上海万博」のことである。
この日演奏された和太鼓のグループも、上海万博に出演が決まっているとのことだ。

私の身近では、愛知県少年少女合唱団も上海万博に出演が決まっており、それらは皆8月の予定である。ひょっとすると、今年の8月は我社の上海工場への訪問が目白押しになるかもしれない。間もなくのことである。


今年の「春節祝賀会」に参加して、こうした民間レベルのしかも草の根的な活動はとても大切だと思った。彼ら実習生達が母国に帰ったとき、必ず日本での生活と共に日本人の対応を話すことであろう。
それが彼らのとって好ましいことであれば友好がより深まると思う。


日本人は「友好を深める」というと、「接待」に近い対応をしてしまうことが少なくない。
それは、「中国人とは・・・」という思い込みがあるからで、やはり相手を見ての対応が望ましい。

彼らを知ること。それはまず我々の事を正確に知らせることである。
その上で、隣人として、相手を思いやる心をもつべきである。

その心さえあれば・・・と、しみじみ思った一日であった。



posted by 伊藤保徳 at 07:25| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月27日

名言録

かの孔子は体験を通して、「聖賢の教えに学ぶ」ことこそ益があると悟ったという。
聖人や賢人の教えに学ぶとは、そうした人たちの「言葉」に学ぶことである。

中日新聞に、「先人たちの名語録」というコーナーがあり、作家の童門冬二氏が一文を寄せている。連載記事だと思うが、土曜日の文化欄に掲載されている。

丁度1週間前の2月20日は、札幌農学校のクラーク博士の「名言」が紹介されていた。
クラーク博士といえば、「少年よ大志を抱け (Boys  be  ambitious)」が有名である。しかし、本欄では、この言葉とは違う一言が紹介されていた。


文章は、クラーク博士を札幌農学校に招聘する経緯から始まっている。

《明治初年、北海道開拓使長官になった黒田清高(薩摩藩出身)は、北海道を見て「米作はムリだ。この地に適する農業振興が必要だ」と考えた。

物色した結果、アメリカのマサチューセッツ州が、北海道によく似ている条件を備えた土地だと判断した。そこで、州立農業大学学長の、ウィリアム・S・クラーク博士を招くことにした。博士も快諾した。》


サラリと紹介してあるが、明治の初年に「北海道に農学校をつくろう」とか、「外国から指導者を招こう」という決断をした黒田清高という人物も凄い。
気候や風土というものは、滞在して1〜2ヶ月でわかるものではないし、同じような緯度のマサチューセッツ州に目をつけた理由など、もっと詳しく知りたいところである。

ハッキリしているのは、「まずは人づくり」であるということである。

黒田は自分の理想実現のために、農業学校(札幌農学校)の副校長としてクラーク博士を招き、農業技術だけではなく、地域の指導者になる新しい農政家の育成を目指したという。

いよいよクラーク博士が来日し、黒田自身の構想と共に、博士への期待と校則案を示したという。
そのやり取りは記事をそのまま紹介する。

《博士は黒田の構想には双手あげて賛成した。しかし校則案には首を横に振った。黒田はマユを寄せた。
「博士はこの学校に校則はいらない、とおっしゃるのですか?」
「双ではありません。拘束は勿論必要です。でもこの案は項目が多すぎます。学生には守りきれません。」
「ではどうなさるのですか?」
「校則はただひとつです。」
「ひとつ?どんな?」
「ビー・ジェントルマン(紳士たれ)」
黒田はあきれた。しかしすぐ感動した。》

この辺りの表現は、作家ならではものである。

この「紳士たれ」というのは、校則というよりも「教育理念」であったようだ。
この教育理念というのは重要である。人づくりの根本でもある。

この札幌農学校の二期生には、内村鑑三や新渡戸稲造がおり、彼らはこの《ビー・ジェントルマン》の趣旨を呼びかけたという。

新渡戸稲造は、「武士道」の著者としても有名だが、《ビー・ジェントルマン》の趣旨がその底流にあることは容易に想像できる。


クラーク博士の「少年よ大志を抱け」、教育理念としての「紳士たれ」は、名言である。


posted by 伊藤保徳 at 08:24| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

グローバル化

冬季オリンピックの最中ではあるが、ここ数日マスコミではトヨタのリコール問題が大きく取り上げられている。昨日、トヨタ社長が米国公聴会に出席した様子が細かく報じられていた。

このニュースは、なるべく多面的に見ておきたいと考え、関連新聞記事は切り取っている。じっくり時間をかけ読み返し、ものづくりの教訓にしたいものである。

さて今回の問題についてその原因が語られる時、「グローバル化」の影響を指摘している人が少なくない。
我社も中国でものづくりを始めて10年以上になるが、日本でのものづくりとは様子が違う。つまり、文化の違いが色濃く出るのである。設計や細かな作業手順を決めてあったとしても、必ずしも「同質のものづくり」ができないことがある。その理由を具体的に説明出来る知識をもち得ないが、「何か違う」のである。

従って、グローバル化への対応は、もっと根本的に考えなくてはならないと思う。

そのヒントになるような情報があった。
それは、あるコンサルタント会社の研修案内である。


先日、株式会社ビジネスコンサルタントから、「担当が変わったので・・・」と訪問があった。いろいろな意見交換の後、帰り際にもらった資料が「グローバル研修」の案内書であった。

全部で7コースあったが、その中で一番最初に紹介があるのが『ダイバーシティマネジメント基礎研修』というものであった。
狙いは、《多様性を受け入れる前提となる「自国についての理解」を深める》とあり、その内容として次の通りの説明がある。

「プログラムの特徴」
《海外ビジネスでは、お互いを理解する為に、「日本」について質問されることが多々あります。しかし、日本人の私たちには当たり前すぎて、上手に伝えられなかったり、意外と自分自身も理解できていない為に、伝えられないことがあります。

また、今後、ますますグローバル化が進む中では、日本と諸外国という発想ではなく、世界を一つに見て多様性を受容するという、ダイバーシティの考え方が求められています。その為の前提として、日本の強みと弱みを理解することが必要不可欠です。》

案内書に書かれた文章をそのまま紹介したが、私の考えていたことと同じである。
私は、「グローバル化とは、自国や自身の事をキチンと説明できること」が前提だと思っている。それは、今から27〜8年前、年に数度アメリカへ行く機会ができ、10年近く継続していた。その時の経験として、「まずは日本のことを正確に説明できる必要性」を痛感したのである。


私がこの研修に特に興味を持ったのは、事前図書が指定してあったことである。
何と、昨日ブログで紹介した、『日本を創った12人』(堺屋太一著、PHP文庫)であった。この本を事前に読み、研修会に参加するということになっている。

確かに、日本という国の文化や慣習、そして価値観形成などをこの本は教えてくれる。

この12人の行った事柄が文化や風土の基礎をつくっていることは確かで、この事を知ったうえで、改めて『日本の歴史・風土・文化』を系統的に学ぶことは意義あることである。


余談ながら、ここまで書いて思いついたことがある。
私の主宰する河村経営塾では、「会社のことをキチンと説明できる」ことを狙いとしており、社風や価値観の理解促進は、この「グローバル研修」と同質である・・・と。



posted by 伊藤保徳 at 10:30| Comment(2) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

学ぶ姿勢

倫理法人会の経営者モーニングセミナーで「学ぶに如かず」というテーマで話をしたが、それに関連する情報が届いた。

「今週の倫理」第652号(2010.2.20〜2.26)に、「そのまま受けて自分を一変させる」という見出しで、学ぶ姿勢について述べている。

本文の書き出しで、「日本人はランキングを好む。しかし「評価」を控えなければならない分野は数多くある。その代表的なものが先生や師匠という学びの道の指導者に対する評価である。」・・・と。

加えて、「生徒や弟子による評価は、その指導者に対する不利益よりも、学ぶ側が本物の学びを得ることができない」、という不利益につながっていくという。
なるほど、その通りだと思う。

次に、神戸女学院大学教授で思想家・エッセイストの内田樹氏の言葉を紹介している。
《人が学び始めようとするその時、就いて学ぶべき師を正しく選択できるよう、師たちを客観的に適正に格付けできる予備的能力を要求されたなら、人は一生学び始めることができないだろう。》

更に、《私たちは、これから学ぶことの意味や有用性を、学び始める時点では言い表すことができない。それを言い表す語彙や価値観を、まだ知らない。その『まだ知らない』ということが、それを学ばなければならない理由である。』とも・・・。


書きながら、随分昔のことを思い出した。
今から30年以上前のこと、当時の我社常務が、私にこんなことを話された。
「伊藤君、人生死ぬまで勉強だが、最近《わからないこと》がわかってきた様な気がする」と。

その常務は読書家であり、あれだけ勉強して見えるのにどこまでも貪欲だと感じた。同時に、「それがわからない」とか、「それを知らない」ということが学びの動機だということも知った。今、当時の常務と同じくらいの年齢にはなったが、このような達観した言葉はなかなか出てこないのが実情である。


さて、この資料の結論であるが、倫理研究所の創設者・丸山敏雄先生の教えを紹介している。

「ものを学ぶ秘法は、何も考えず、ただただ教えられるとおりに、全てをそのまま受けて、何の疑いも持たず実行することである」(『純粋倫理原論』第二章「学道」)と、書き記し、無心・虚心の道を推している。

つまり学ぶ姿勢とは、「無心・虚心の境地」になることであり、ただただ教えられるとおりに全てを受け入れることである。
とても重要だと理解できるが、なかなか実行は難しい。

ともすれば学びに効率性を考えたりするが、それは大きな間違いであることは認識できる。

改めて心に思う。
「学ぼう」・・・と。
同時に、極力無心・虚心の境地になることを。


posted by 伊藤保徳 at 16:50| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読み返しの効用

昨日、瀬戸市倫理法人会の経営者モーニングセミナーのことについて書いた。

「学ぶに如かず」というテーマで、話をしたが、その最後は「読書」、「記録」そしてそれを継続することの重要性を強調し、「偉人伝」から学ぶことが効果的だとまとめた。

その中で、「偉人伝」ではないが、一冊の本を紹介した。
堺屋太一氏の本で「日本を創った12人」(PHP文庫、2006年)である。この本は文庫本であり2006年の刊行であるが、私が最初に読んだのはそれより7〜8年前のことである。

1997年頃に刊行された、PHP新書『日本を創った12人』(前編)と(後編)を読み、何か大発見をしたように感じたものである。その後、経営塾などでしばしば紹介をした。

私の手元には、「新書」「文庫」両方があるが、今回モーニングセミナーで講話をするにあたり、この本を読むことを薦めようと思った。それは、日本歴史上の偉大な人物を知ると共に、日本の文化や慣習の起源をも知ることが出来るからである。

セミナーでは、ほんの少しだけ紹介することにしたが、そのために改めて本を開いてみた。

私の読書は「精読」ではなく、乱読に誓い。
従って、詳しい内容については忘れてしまっていることが少なくない。
改めて読み返してみて、記憶が甦ってくることもあるが、再発見という項目もあった。まさに読み返しの効用である。


「毎週1回は本屋に出かける」、「本を買う」、そして読む。
これが私の読書パターンであるが、今回のことで、「人に薦める」、そのために「読み返す」ということを加えたいと思った。

これも一つの「学び」である。


posted by 伊藤保徳 at 07:15| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

学ぶに如かず

随分久しぶりに書き込むような気がする。

先ほど名古屋から帰ったところだが、今日水曜日は倫理法人会のモーニングセミナーの日。
今日の講話は私が当番であったが、いつもより準備が遅れ昨日ようやくレジュメを完成させた。

先週木曜日から土曜日までは札幌。日曜日から月曜日にかけては研修と、まとまった時間が取れなかったのである。


少し追い込まれた気分だったせいか、今朝は4時に目が覚めた。
「目覚めたら起きる」というのが習慣化し、多少早かったがそれだけ準備の時間が取れた。

今回のテーマは「学ぶに如かず」で、「致知」2月号の特集を材料に話を組み立てた。

「学ぶに如かず」とは、孔子の言葉から引用されている。
『吾かって終日食わず、終夜寝ねず、以って思う、益なし。学ぶに如かず』・・・と。
意味は、《自分は若い頃、一日中食べることを忘れ、一晩中寝ることをやめて思索をめぐらしたが、何も得ることはなかった。やはり聖賢の教えを学ぶことの方がはるかに益があると悟った。》

これは、孔子が体験を通して得た実感であるという。

この言葉から、「学びの重要性」と共に、聖賢(聖人・賢人。知徳の最も傑出した人)の教えや残した言葉から学ぶ有効性を感じた。
換言すれば、「偉人伝から学ぶ」といっても良い。

歴史についても《歴史上の人物を通して学ぶ》ことが良いといわれているが、やはり「人物から学ぶ」ことが重要であり、効果的だといえる。
故に、人間学を学んでいるといえる。


もう一つの視点。学び方については《本居宣長のいう学び》を参考にさせてもらいながら私見を述べた。

「致知」2月号から本居宣長が膨大な記録を残すことにこだわった理由を紹介する。
《宣長は学問をするにおいて、最も大事なのは「継続」であると述べています。継続するためには、まず生活を安定させることが必要になってくる。

宣長は、町医者であったため、昼は医業に精励し、夜は門人らに講釈を行い、深夜まで書斎で学問に励みました。

多忙な中で学問を継続していくには、ご近所や親戚付き合いなどを、いかにそつなくこなしていくかといったことが大切になってきます。また、支出の無駄を省いて書物を買い、必死に捻出した時間を学問に励む時間へと充てました。

つまり宣長の遺した多くの記録類は、日常生活をいかに効率的に過ごしていくかを記したマニュアルでもあったのです。
またその記録は、自分が果たすべき役割を見失ってしまわないための、行動規範ともなった側面がありました。》

ここに、学びにおける記録の重要性を感じるのである。
日記を付けるにしても、ただ事実のみを書き記すのではなく、そのことから感じたこと、あるいは学んだことを記録することが肝要なのであろう。

2006年7月から書き始めたこのブログ。
事実だけではなく、感じたこと(まさに日々感じること)を文字にすることにより、自身の考えが固まってきていることを実感している。


このようなことを話し、「学ぶに如かず」のまとめとした。


posted by 伊藤保徳 at 22:42| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

和様化

「和様化」とはあまり聞きなれない言葉である。
「今は、和様化に徹すべき」という見出しで、「文化の鎖国で独自価値を・・・」という意見を述べているのは、建築家の磯崎 新(いそざきあらた)氏である。

2月22日の日本経済新聞、毎回楽しみにしている「インタビュー領空侵犯」の記事である。

歴史は繰り返されるといわれるが、氏は歴史の変化を次のように指摘している。
「外圧」→「内乱」→「大陸からの文化や技術の輸入」→「日本的なものに洗練(和様化)」→「今までなかった野蛮なものを持ち込んで転換」という変化である。

古代から中世にかけての変化を示しながら、現代の状況を述べている。

《変化のサイクルは年々短くなっています。以前、1サイクルに3、4世紀かかったのが、明治維新以降は1世紀ほどになり、現代は更に短縮しています。

変化のターニングポイントも見えにくくなっています。今こそグローバル化により外から持ち込まれたものを和様化する、文化の鎖国時代に突入すべきだと、私はとらえています。》

具体的には・・・
《アニメや漫画、秋葉原に象徴されるようなオタク文化のようなもの,あるいはネット社会で生まれたブログサイトが和様化して一大文化に成長するかもしれません。》(後略)


和様化とは、「外国の文化や技術を日本的なものにすること」、と理解すると、これは日本独特のような気がする。
外国では、自国の歴史伝統文化を大切にし、それに加えて外国の文化や技術を取り入れていると聞く。

この主張に一定の理解が出来るのは、身の回りには「外国から入ってきて、いつしか日本的に変化をし」日本社会に溶け込んでいることが幾つかあるからである。
その代表的なものが「QCサークル」だと思う。

品質管理(QC)は、統計学をベースに米国から入ってきた。しかし、その活動を組織に根付かせ、しかも全員参加で行うようにしたのは日本であり、特に「自主的に活動するグループ」であるQCサークルは日本独自のものである。

明治維新以降、外国から多くの文化や技術が入ってきたが、幾つかは「和様化」され、日常生活に溶け込んでいるといえよう。


氏の言われる「文化の鎖国」の理解が十分ではないが、今一度身の回りを見回し、「和様化」を試みるのは意味あることのように思った。

それは、企業経営の中で多くあるように思っている。
欧米生まれの「経営管理技術」や「経営手法」を、そのまま導入しようとして自社の良さをつぶしてしまっている事例は多い。
バブル経済崩壊以後の日本企業の経営は、一気に欧米化してしまった。

株主最優先や短期利益の追求などは、日本の企業経営にはなじみにくい方策である。

今こそ、これら欧米的な「技術」の和様化に取り組むべきである。


posted by 伊藤保徳 at 21:32| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認識の違い

昨日、全トヨタ労連の発行している小冊子【全トヨタ労連・ゾーン】の特集記事を紹介した。

そこには、「考える・話す・聞く」という視点で、職場の意思の疎通を高めるため各自が自己点検をし、お互い「相手の心の声、聞こえていますか?」という呼びかけであった。
この記事の最初は、「考える」ということから、通常よく使っている「すぐやります」の「すぐ」の認識の違いをデータを示して説明をしていた。

2006年にビジネスパースン400人を対象にじっしされた「時間感覚に対するアンケート調査」によると、「すぐ処理する」の「すぐ」の平均時間は「22.5分」だったとのこと。

更に、その内訳も詳しく紹介している。

「すぐ」のトップは、約半数の53.5%が回答した「10分」。2位は21.8%の「30分」だったそうで、1位と2位の開きが何と20分もあるのである。

又、全体の8.5%の人が「1時間」と答え、1.8%の人が「2時間」と答えたという。

アンケートの聞き方(時間の選択か自由記入)によっても違ってくると思うが、「すぐ」という時間は曖昧で、各自の認識には大きな開きのあることはよくわかる。


さて、昨日はシニアマネージャー対象の研修があり、営業関係の人達は宿泊し今日の午前中まで研修予定がある。従って昨晩は夕食の後、一つの部屋に集まり情報交換(通称、ナイトミーティング)を行った。
この情報交換会では、参加者からの研修内容についての質疑を始め、日頃思っている問題など幅広い意見の交換を行う場であるが、随所で「言葉の認識の違い」を感じた。

もっとも、そうした場所では認識の違いを発見することも狙いの一つであり、発見すれば改めて説明を行い再認識をしてもらえば良いのである。
気の長い話ではあるが、そうして一つづつ認識の違いを正していくしかないと思っている。

「正確に、しかもわかり易く話した」、というのはあくまでこちらの言い分。要は、聞き手(受け手)が同様の認識をしてくれたかどうかである。多くの場合、「キチンとは伝わっていないのでは・・・?」と考え、時を見つけて質問をすべきであろう。そして確認をすることが大切である。



昨晩、「すぐやる」の「すぐ」というのはあなたにとって「何分?」という質問はしなかったが、おそらく幅広いう認識が示されることであろう。

因みに私の「すぐ」というのは「10分以内」という認識であり、もっとも一般的な認識である。
posted by 伊藤保徳 at 06:55| Comment(1) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

働く人の特集

今日、午後からシニアマネージャーの研修会である。
会場は、豊田市にある「全トヨタ労働組合連合会研修センター・つどいの丘」である。

素晴らしい施設で、トヨタ関係者以外でも利用することが出来る。
会議や研修施設が中心であるが、テニスコートや体育館もあり、リフレッシュするのに格好の施設である。

案内パンフレットによれば、全トヨタ労連結成10周年を記念して、1984年に設立されたとのこと。自然に包まれた緑豊かなロケーションで、研修・会議・合宿は勿論、リフレッシュとリラクスの空間としてスポーツや親睦会などの最適です・・・、とある。
珍しい利用法としては、結婚式を挙げた人もいるという。

瀬戸市から車で30分足らずのところであり、数年前から研修などで利用をしている。

ここに来るたびに楽しみにしているのが、月刊の【全トヨタ労連・ゾーン】という小冊子である。
ロビーの書架に備え付けられており、「自由にお持ち下さい」、とある。

今回手にしたのは2月号で、「働く人の特集」として、「考える・話す・聞く・・・相手の心の声、聞こえてますか?」というものであった。

一般的な労働組合の広報誌ではなく、働く人に焦点を当てた内容である。
「全トヨタ労連生き方提案誌」という名称があるようだ。


さて特集であるが、
「考える」については、「すぐやります」の「すぐ」ってどれくらい?というテーマで、「すぐ」という言語について、とらえ方に大きな開きのあることをデータで紹介している。

「話す」については、ネットトヨタ宮崎労働組合の3人が、コミュニケーションについて思うことを語っている。

そして、「聞く」については、言語学博士の大岡治恵氏が、「言葉では伝えきれない、その思いを受け止めるには。」と、いろいろなアドバイスをしている。


私はこの特集を見て、職場における「意思の疎通」にスポットを当て、それぞれが自身を見直す良い機会提供だと感じた。
「考える・話す・聞く」について、キチンと意識をすることを求めているのであり、「生き方提案誌」ならではの企画だと思った。

大いに参考になる。



posted by 伊藤保徳 at 17:17| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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