2009年12月31日

お礼

読者の皆さん
今年一年、私の拙い文章をお読み頂き誠にありがとうございました。

2006年の開始以来、いろいろな人から励ましやご指導を頂き継続できていると思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いします。


皆さんが輝かしい新年を迎えられますことを祈念し、御礼のあいさつとします。

ありがとうございました。



posted by 伊藤保徳 at 09:17| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

釈迦の教え

今年も最終日となった。
反省することばかりの一年であったが、一つのケジメであり、心の整理が必要だと思う。

ケジメの一つとして、新しい手帳への「情報移し」ということをしている。昨日全てを終えたが、一年間使ってきた手帳をざっと見て、来年も必要だと思われる情報を新しい手帳に再記入している。情報の多くは「言葉」だが、ポストイットに記入していたり、切抜きなどもある。

その切抜きの一枚に、『釈迦の「八正道」に学ぶ』という新聞か雑誌の記事があった。
恐らくは、これを見たときどこかで話のネタにしようと切り抜いたものである。


今年初めから「論語」を少しばかりかじり始めた。また、人間学も「致知」の読書勉強会を通じて定期的に行うようになり、学ぶ楽しさを実感しているところである。
これらは全て、「ひとづくり」のための啓発事項であるが、日頃意識しているのは、「何が正しいのか」、ということである。

このことを具体的に示しているのが、『釈迦の八正道』なのである。
(切り抜き記事は、流通システム研究所参与水野博文氏の執筆)

一、正見(しょうけん)・・・・・・・・・見方
二、正思(しょうし)・・・・・・・・・・・思い方、考え方
三、正語(しょうご)・・・・・・・・・・・言葉
四、正業(しょうごう)・・・・・・・・・活動
五、正命(しょうみょう)・・・・・・・・習慣
六、正精進(しょうしょうじん)・・・努力
七、正念(しょうねん)・・・・・・・・・意識
八、正定(しょうじょう)・・・・・・・・集中力

最後の「正定」だけはわかりにくいが、あとの七つは「言われるとおり」である。

自身の感情が平常でない時、これら「八正道」に反する行いをしてしまいがちである。
日々心しておきたい項目である。


新しい手帳にも、この切抜きは挟み込み心の糧にするつもりである。



posted by 伊藤保徳 at 09:07| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

今年の誓い

今年は前年暮に「2009今年の誓い」を立て、それなりに意識をして一年を過ごしてきた。

「今年の誓い」というのは、瀬戸市倫理法人会が発足した2007年の暮れ、会員の一人から提案があった。その時は、「100の誓い」ということで、100項目の誓いを立てようということになった。

果たして何人の人が「100の誓い」を立て、それを実践されたのか確認をしていないが、自ら挑戦して、とても大変だったという思いがあり、殆んどなかったのではないかと思っている。

まず第一に、「100項目」書き出すことが大変である。日常活動を余程意識していないと、100項目を書き出すことは難しいことである。
私は07年暮に、「2008年私の誓い」100項目を作った。
大した項目ではなく、思いつくままに100項目書き出した、というものであった。

昨年の今頃、その実践状況を確認しながら自己評価をしてみたが、かろうじて実践できた項目が三十数項目であった。

その時感じたことは、「心に決めても実践は難しい」ことを再認識したが、逆に言えば、100項目書き出したので30数項目実践できたし、書き出したことにより意識して生活できたということもできる。つまり、「誓い」は意味があるということである。


さて今年の場合であるが、倫理法人会で格別「誓い」について約束事はなかったが、私は書き出してみた。前の年、実践できるのは30項目位であることを経験しており、出来そうな範囲ということで30項目書き出した。

日常生活では、「即行即止」をテーマに、まずは「朝起き」、「先手あいさつ」、「ゴミ拾い」など。自己啓発関係では、「論語の勉強」を中心に、「本屋に出かける」、「本を読む」、「読んだ本は感想を記録する」など。そしてまちづくり関連では、「所属団体の活動整理」、業界活動では、後継者づくり」など、半分以上は「今年の目標」のようになってしまったが、「今年の誓い」として書き留めておいた。

自分自身の問題であり、格別に張り出したりはしなかったが、振り返ってみて70%くらいは実行できた。


昨年書いた「2009今年の誓い」を振り返りながら、2010年はどうしようかと考えている。

せっかく二年継続したのだから今後も、という思いはある。

明日、大晦日に考えてみようか・・・。



posted by 伊藤保徳 at 21:08| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

後始末

年の瀬となり何かと慌しい日々である。
昨日は会社の最終日であったが、この日をどういうわけか「仕事納め」という。
多くの会社が4月1日を新年度のスタートにしているが、3月31日は仕事納めとは言わず「年度末」と言う。

これも日本独特の言い方であろうが、「仕事納め」にしても「年度末」についても、その年を総括する「区切りの言葉」として使っているようだ。
従って、区切りとして「整理整頓」をしたり「大掃除」をしたりするのであろう。


昨日出社すると、机の上に2枚の資料。
倫理研究所が発行している「今週の倫理」が2枚あった。(644号と645号)年末年始にかけての2週間分が送られてきていた。」
その一枚(644号)は、「後始末はスタートなり、一年を清々と終えよう」という見出しであった。

年の終わりに「後始末」のテーマはピッタリだと思ったが、よく考えてみるに、この「後始末」という言葉、純粋倫理の勉強を始める前は、殆んど使っていなかった。


瀬戸市倫理法人会がスタートして間もない頃、モーニングセミナーでこの「後始末」の言葉を聞き、それがとても印象的であった。
その時の講師は、愛知県の前会長であったが、自社のモットーは『返事、あいさつ、後始末』とし、「間髪入れない返事」、「自ら先手のあいさつ」、そして「完璧な後始末」という説明のあったことを記憶している。

私はこの言葉に大いに触発され、会社の営業部門の責任者に紹介し、参考にさせてもらい我社のモットーをつくった経緯もある。

今回の資料でもう一つ印象的なことがある。それは資料の中で、「勝海舟の言葉」が紹介されていることであり、この話は、瀬戸倫理法人会が正式に発足した時の記念講演会で法人局局長が話された内容なのである。
これもまた「後始末」の重要性を説いた言葉である。


事、未だ成らず、小心翼々
事、まさに成らんとす、大胆不敵
事、既に成る、油断大敵

こういう言葉である。
実行前は、細心な研究、調査、計画のもとに十二分な準備をせよ。それはあたかも「小心」と思えるほどに。実行に当たっては一切の不安を捨て、一気呵成に行え。成就の後も油断せず、緊張を持続せよ。

こんな説明がついているが、この中で最も難しいのが「事成った時の油断せぬこと」といわれている。
つまりは「後始末」のこと。

純粋倫理を勉強する前の私は、「後始末」とは「後片付け」に極めて近い意味だと理解していた。
しかし「後片付け」も含まれるが、真の意味とは、『けじめであり、感謝の表現形式であり、次の働きのスタートとなるもの』、なのである。

故に、「後始末こそが重要」なのである。

今年の終わりに、改めて勉強をさせてもらった。



posted by 伊藤保徳 at 06:46| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

日本に成長を

昨日、来年度の予算について「バラマキ」だと批判をしたが、それは将来が見えないという背景が大きく影響している。
政権交代となり、首相の所信表面演説や各大臣の抱負を聞いている範囲では期待の持てる新政権だったといえる。

首相の金銭問題も大きな要素となり、このところ内閣支持率は急低下、ついには50%を割ってしまったという。
マスコミ、特にワイドショーではこれを面白おかしく取り上げ、今後の政局運営は来年の選挙を軸に変化をするような論調である。つまり、鳩山首相では選挙に勝てない、従って首相の交代がありうるという。それは「菅さん」だと・・・。

テレビは視聴率だけを考え、政局を面白おかしく伝えているだけだが、「放送倫理」とか「社会使命」の観点で顧みた時、今のままで良いとはとても思えない。

このブログへのコメントに、『いまや日本の国民は、各論によって動いている』という指摘があったが、全くその通りであり、そうなってしまっている大きな要因はマスコミにあると思っている。
その昔、評論家の大宅壮一氏が、「テレビは1億総白痴化にする」という指摘をしたことがある。

本質の理解が出来ていたり、価値観を確立している人ならばどんな情報が流れても全く問題は無いが、今の状況はそうではない。とても問題である。


将来への展望という点から言えば、「成長戦略」とか、日本の「将来図」など、めざす方向を国として明らかにするべきである。
今日本に最も重要なのは、この「成長戦略」である。
バラマキだと批判した予算であるが、そうした現象面の是々非々の議論から、「全体の一部分」という議論にシフトすべきだし、これが「成長戦略のどんな部分」となるのかを明らかにすべきである。

企業経営の立場から言えば、「理念」があり、方針があって戦略がある。
企業の戦略とは「成長戦略」に他ならず、これなくしては企業経営はありえない。こんな基本的な事を政治家が理解できていないと思いたくない。

参考にすべき材料は多く示されている。
日本経済新聞が12月7日より4回のわたって「日本に成長を」、という特集記事が組まれていた。私はそれを切り抜き、何度も読んだが参考になると思う。

そのまま我国の成長戦略にしてもいいと思える。


意のある代議士、あるいは政党から是非発信してもらいたいものである。



posted by 伊藤保徳 at 07:26| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

ばらまき予算

12月25日、政府は2010年度予算案を閣議決定をした。
その規模は過去最大の92兆2992億円となった。26日の各紙朝刊ではトップで報道であった。

一言でいって、「時代錯誤のバラマキ予算」という感想である。
政治に詳しいわけではないが、昨今の経済状況に対しその回復を願う者にとって、予算は興味の対象である。

今年の3月4月、麻生政権の経済対策について何かと注文をつけ、その効果が出る前に選挙戦、結果は民主党が圧勝で、政権交代が起こった。
二大政党制とか、マニフェスト選挙とか言われたが、結局は「バラマキメニュー」に目を奪われた浮動票が民主に流れたのだと思っている。

そして初めての予算編成。
「事業仕分け」などで、無駄をなくすと大気炎であったが、結果は公約実行のため歳出は膨らみ、その分を借金でまかなうという、実に無責任な予算となった。

日本経済新聞でも批判的な論評があった。
「ばらまきで安心得られず」というタイトルで、経済金融部長の実哲也氏が一文を寄せている。

この中で、まずは「時代錯誤の予算」という指摘。
ある経済団体幹部の感想として、「20年以上前の時代感覚でやっているとしか思えない」・・・と。当時日本はバブル時代。税収は右肩上がりで伸び、予算の大盤振る舞いが繰り広げられた。今は、といえば、低成長とデフレで苦しみ、日本の財政は先進国で最悪の状況である。

そんな時代に、過去最大の予算を組むなんて時代錯誤もはなはだしい。

次に、菅直人副総理の発言を取り上げている。
《「自民党政権の政策は企業優先で、家計は成長の果実を得られなかった。」鳩山政権は家計に安心感を齎すことで成長を促すのだと主張する。》
これに対し記事では、《雇用が不安定になる中で、時代にあった安全網の整備は必要だ。だが、国債発行により後世代にツケを回す形で国から施しを受けて、本当に国民は安心するだろうか。》・・・と。

この所が筆者が最も指摘をしたかった部分だと思うが、同感である。
《・・・国から施しを受けて》という表現は強烈である。
そう、バラマキ予算というのは鳩山政権の「施し」なのである。

因みに「施し」とは、《ほどこすこと。めぐみあたえること。》のことであり、いつから国民は政府から、なさけをかけられるようになってしまったのだろうか?
そして、施しを受けた国民が本当に喜ぶと思っているのだろうか?


「企業よりも家計」という発想もわからない。
予算措置とは、そこから何かが生産(生み出)される事を期待して行われるものだと思うが、今回の「家計へのバラマキ」では、何も生み出されず預金に回るだけのような気がする。


とにもかくにも問題の多い予算であり、国会での予算審議に健全なる野党からの「国のためになる議論」を仕掛けてもらいたいと思う。

政治にもう少し興味を持って注目したいものである。


posted by 伊藤保徳 at 16:28| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

内部にある敵

人間学を学ぶ月刊誌「致知」の11月特集は、『知謀、湧くが如し』であった。
そして、11月の倫理法人会経営者モーニングセミナーでは、その特集の中から作家の童門冬二氏と元キャスターの松平定知氏の対談記事を中心に話をした。

その中で、徳川家康の「智謀」について取り上げられていたが、一言でいえば「待つ」というもの。そして、それは人質時代にかなりの勉強をしたことが基礎になっているということが紹介されていた。中でも、鎌倉幕府の盛衰を描いた『吾妻鏡』(あずまかがみ)は愛読書だったようだ。


この事に関連した新聞記事があった。
12月26日の中日新聞。「文化ページ」に、『先人達の名語録・童門冬二』という欄がある。そこに、徳川家康の言葉として紹介があった。
「平氏を亡ぼす者は平氏なり、鎌倉を亡ぼす者は鎌倉なり 徳川家康」

この言葉こそ、人質時代の家康愛読書、『吾妻鏡』からの教訓であるとの説明で、自らを戒めた言葉であるという。


《家康が関心を持ったのはおそらく源氏三代に対してではなく、むしろ北条氏の政治の取り方だろう。鎌倉幕府を開いたのは源頼朝だが、それは前政権である平氏をほろぼして成立した。家康はクールな目で、「平氏はなぜほろびたのか、源氏はなぜほろびたのか」という分析をおこなう。

結局家康が得たものは、「平氏政権も鎌倉政権もほろびたのは、敵にほろぼされたのではない。敵は内部にあったのだ」、ということだった。

内部の敵というのは、油断、不和、裏切りなどである。こういう現象がなぜ起きるかといえば家康は、「すべて生活がゼイタクになったためだ。武士の初心原点を忘れたためだ」、と気づく。》(後略)


時代は大きく違うが、「組織論」とい視点からいえば、現代にも通じるものである。まさに、「汝の敵は、汝なり」である。

童門冬二氏は、家康の言葉を現代流に解釈すれば・・・と、
《「ほろぼす敵は自分の内部ある。お前の敵はおまえだ」、ということになるだろう。危機に面した時の一致結束がいかに大切かを如実に語っている。敵に勝つには、まず内部の敵をほろぼすことが先決なのだ。》

これがまとめの言葉でもあるが、現況、企業経営者が心すべき言葉でもある。
次なる飛躍機会に備え、総点検を行うべきであろう。

社内の一致結束のためにも。

posted by 伊藤保徳 at 10:16| Comment(1) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

まとめ

今から26年前、一年間の活動を総括し、課題を明らかにする会議(セッション)がスタートした。
これは、先代社長が二度目の発病をされ長期療養を余儀なくされ、いやおう無しに現社長へ経営バトンタッチがされた時から始まったものである。

当時私は社長室で、経営計画の策定を中心とする仕事に従事していたが、一番の狙いは「計画を重視する企業体質」にすることであった。
それは、従来、良くも悪くも先代社長の強いリーダーシップの下で経営活動が行われてきたことからの脱皮を目指したものであった。

「計画を重視する企業体質」とは、計画化した事柄をキチンと総括し、評価し、課題を明確にした上で次なる計画に反映させることである。
つまり、「PDCA」のサイクルをキチンとまわすことである。

このことの確認をするため「役員セッション」と称した会議を12月初旬3日ほどかけて開催するようになった。今年も12月9日から3日間開催された。

26年間も続けてきているが、マンネリや形式的にならず、毎回エキサイティングな時間を送ってきた。


毎年のことながら、「しんどい」と思うのは、このセッションが終了してからである。
会議では、案件ごとのアウトプットが出され、当該の役員はなすべき事が明らかになるものの、会社全体の方針については文章的には完成されておらず、その担当が私なのである。

内容や意味については確認されているが、「文章化」した上で承認されるかどうかは別の問題なのである。セッションが終了し、文章化の作業に取り掛かるが12月のこと、何かと飛び込みの用事もあり、集中して取り組む時間が取りづらいのである。

もう一つ「しんどい」のは、方針を実施していくうえでの「スローガン」である。
これも1983年から行っていることで、我社では「方針と対のもの」という位置づけである。

セッションで一番最後の「検討項目」が「スローガン」である。
こちらは、方針の文章化よりも更に難しく、会議では殆んど決まらず社長の専任事項となることが多い。しかし、私の立場上幾つかの「スローガン案」を提示しながら、トップの「真意」に迫っている。


私はこの仕事を「セッションまとめ」と名付けているが一年のうち、最も頭を使う時期でもある。
一方で、26年間続けてきて、最も勉強になっている仕事でもある。
「トップの想いを言語化する」、ということになるが、これはなかなか難しい。

結局は、いろいろな視点から、あるいはいろいろな表現で、幾つか表現し、選択してもらったり修正されたりしてよりいいものにまとめ上げることになる。
発言されたとおりの事を文字にするだけなら「書記役」だが、そうではなく、社員みんなに理解しやすい表現、行動を誘発する言い方などを考え「まとめ」をしている。


今年も残りわずかとなり、ようやくまとめあがった。
まだ十分ではなく、来年1月下旬の方針発表会までに、細かな修正は出てくるだろうが山は越えたと思っている。

これで今年も終わり、新年を迎える準備に入る。



posted by 伊藤保徳 at 09:54| Comment(2) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

郷土を元気に

数日前に知り合いから電話があり、「話を聞いてもらいたいが・・・」とのこと。
早速会うことにし、昨日の夕方約束した場所に出かけた。

電話をもらったのは陶器商の人であるが、日頃からまちづくりのことや社会貢献活動にも熱心であり、その辺りの話しだと想像していた。
約束場所に着いたところ、もう一人同席者がいるという。そして程なく到着し人は十数年前から付き合いのある人であった。

付き合いの始まりは、愛知万博の誘致活動にあわせて設立された「未来創造21せと市民の会」というまちづくりグループのメンバーとしてである。
私も縁を頂き、世話人の一人として、愛知万博を誘致、瀬戸での開催、もって瀬戸市を元気にしようといろいろ活動を行った。

その時の一人が同席ということで、「今日の話」の見当がつかなくなった。

四方山話の後、「今日の本題ですが・・・」と、テーブルの上に「夫婦茶碗」を並べだした。
「実はこれらの製品は、陶磁器のリサイクル材が50%含有しており、エコ製品として東京のデパートで売れ始めている。ブランでは「リセット」という・・・」との説明。

「リセット」と聞き、全てが飲み込めた。

同席者の本業は窯業原料メーカーで、各種先端的な研究をしている人である。

十数年前、市民団体として活動している時、「エコ製品」に取り組んだことがある。
それは、愛知万博が「環境博」といわれるほど、環境への関心の高まりがあったからでもある。

生ゴミの堆肥化をはじめとし、ゼロエミッションをめざした活動を行ったが、その中で、「陶磁器のリサイクル」に取り組んだのが彼であった。
リサイクル材30%を成功させ、これを瀬戸市活性化の起爆剤として、「リセット」と命名した。

「陶磁器を生まれ変わらせる、新しい瀬戸づくり」、という願いを込め、『Re瀬ッ戸』と表現した。
これに関するシンポジウムなども開催した。

各方面に積極的にPRしたが、いろいろな障害もありいつしか下火になってしまった。

そして昨日の話しである。

東京のデパートから生産の打診。リサイクル材50%の含有という高いハードル。
これらを試行錯誤しながら成功し、デパートでの売れ行きもまずまずとのことであった。

陶器商の熱い語りは続く。
「今、やきもの産地として元気がない。このままでは、伝統や技術はいつしか霧散してしまう。そうなってからでは遅い、何とかしたい。この『Re瀬ッ戸』を旗印に、瀬戸の底力を発揮し、元気を取り戻したい」、との思い。
とてもよくわかるし、大いに賛同するところである。


まずは、瀬戸の企業(市民)が、この「Re瀬ッ戸」の存在を知り、自ら活用法を考え実行することであろう。我社でも、工場視察のお客さまへのお土産品として検討してみようと思う。


久しぶりの熱い話であった。
本題はもとより、まちづくりのこと、子どもの教育のことなど、話題が尽きることはない。

時に、熱く語りあうことはとても必要だと思う。



posted by 伊藤保徳 at 09:20| Comment(1) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

地道な努力

倫理研究所から毎月送られて来る小冊子「職場の教養」は、刺激になる話題満載である。
この小冊子は、朝礼で活用する狙いで編集されており、1ページが450文字ほどにまとめられており、朝礼時に朗読するにしても、輪読するにしても適当な長さである。

私は朝礼には出ていないが、毎月1冊手元においている。
それは、楽習会(月2回)に活用しているからである。

朝礼ではサッと読み感想を述べる。
楽習会では、感想を中心に議論を深めるという使い方をしているが、時にブログを書くときなどにページをめくったりすることがある。

昨日、何気なく12月号を読んでいて倫理研究所の活動の一つを知った。
報告書などで断片的な情報は得ていたが、その事業はよく知らなかった。それは砂漠の緑化活動である。

12月6日に、「心の緑化」と題した文。そして今日の心がけとして、「地道な努力を続けましょう」とあった。

《二十年ほど前は見渡す限り不毛の砂漠だった、中国・内モンゴルのクブチ砂漠に、緑の森が広がりつつあります。クブチ砂漠は緑化は、日本砂漠緑化実践協会初代会長の故・遠山正瑛氏が、八十六歳の時に一人で挑んだことが始まりでした。

氏の活動に賛同した倫理研究所は1999年、クブチ砂漠の一角に「地球倫理の森」を創成し、毎年、緑化隊を派遣して植林活動を続けています。

十年の間に、第一次緑化隊から第四十四次隊まで約1500人を派遣し、地元の中国の人たちとの共同作業で、三十万本のポプラの苗木を植えました。

この緑化活動は、砂漠を緑に変えたばかりでなく、中国人関係者の感情を変えました。緑化隊の明朗・愛和・喜働の実践や人柄、態度に接するうちに、「これが本当の日本人の姿だ」と感じ、尊敬する気持ちが湧いてきたというのです。

砂漠の緑化は、乾いた砂だけでなく心にも潤いを与えたのでしょう。「継続は力なり」といいます。十年間の地道な実践の積み重ねが、「地球倫理の森」を「砂漠緑化のモデル」「日中友好のシンボル」に育てたのです。》


「地道な努力」、「継続は力」
その時点では大きな変化は見られないものの、続けることにより大きな成果となる。

緑化もさることながら、現地の人たちの感情を変えたという点は素晴らしい。

100のプランより一つの実践を実感する情報だと感じた。
一人でも、たとえ小さくても「一歩を踏み出すこと」の重要性も・・・。


posted by 伊藤保徳 at 07:37| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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