2009年11月30日

労働の尊重

先日、瀬戸市のキャリア教育のことを紹介した。
キャリア教育がクローズアップされた背景には、ニートやフリーターといわれる人達の登場と深い関係がある。

家庭でも学校でも、「働くことについての意義や意味」が教えられることなく、学業を終えたら社会に放り出されてしまう今の社会構造が、大きな要因であるとしている。
従って、キャリア教育では、「労働観」や「職業観」を養うことが一番の狙いとなっている。

問題は、この「労働観」とか「職業観」というものである。
一つの価値観であり、統一した意味づけをどのようにするのかが問題である。現状は、学校の教育現場にお任せ状態である。


こういう問題意識もあって、「働くことの意味」を考え続けている。

それに対するヒントとなるような新聞記事があった。
中日新聞、11月22日の「言論欄」に、哲学者の内山節氏が『互いの労働を尊重できない不幸』というタイトルで、一文を寄せていた。

《大陸ヨーロッパで近代産業が生まれ、資本主義社会が形成されていったのは19世紀のことであった。その当時の労働者達が書いたものを読むと、次のことに気づく。
それは、貧しさや長時間労働への批判が前面には出ていなくて、「労働の誇り」を失ったことが、資本主義への批判として語られていることである。》

私は読んだことはないが、資本主義が形成された当時から、その批判があり、内容が「労働の誇りが失われた」というのは驚きである。


《誇りをもてない労働と引き換えに賃金をもらって生活をし、夕方には一杯の酒を飲んでうさをはらす。それが人間的な暮らしなのかと彼らは訴えていた。

誇り高い労働とは、自己満足できる労働のことではない。人々に尊敬される労働、他者から価値を認められるような労働のことである。
当時の労働者たちは、資本主義の形成によって、労働をさげすむ社会が生まれたと感じていた。

人間を物のように扱い、すべてをお金が支配し、労働が心身の消耗でしかない社会が作られたと。》


今日、この労働者たちの思いは解決されておらず、ますますひどくなっているのが現況といえよう。

《大学新卒者の4割近くが非正規雇用の労働者になっていく現実を、私たちはどう考えたらよいのか。

ひと昔前までは、お米も野菜もお百姓さんの労働が生み出したものという気持ちを、私たちの社会は持っていたが、今では労働に対するそんな尊重の意識もうすれ、価格や農産物という効率化のことばかりが議論の中心になっている。

他人の労働を尊重しない、あるいは尊重できない社会とは、自分の労働が尊重されない社会のことである。》


こういう社会は悲しい社会であると指摘し、「働く意味」が、生きていくための手段にはなるが、人生の目的にはならないと断言している。
私にはよく理解できる。

この一文を読み学んだことは・・・
好ましい「労働観」や「職業観」を養うためにキャリア教育を行なっているが、そんな格調高い説明よりも、「他人様の労働を尊重する」、ということを教えればよいということに気づいた。
又、このことならば、家庭でも十分教えることはできる。

「他人様の労働を尊重する」、とは・・・「おかげさまの気持ちを持つ」ことに他ならない。




posted by 伊藤保徳 at 16:30| Comment(2) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

日本語スピーチ

昨年、瀬戸北ロータリークラブの設立30周年の記念事業として、外国人による「日本語スピーチコンテスト」が開催された。

瀬戸市国際センターとの共催、そして瀬戸市の後援ということもあり、まちづくりの今後にとって意義あるj行という評価であった。そして継続されることになった。

今年は第2回目として、今日午後から開催され、留学生の部7名、一般の部7名のスピーチがあった。今年は、テーマが事前に決められており、「私の夢」、もしくは「私の異文化体験」のどちらかで、持ち時間は5〜6分だったようだ。

出場されている人の出身国は、韓国、中国、台湾、ミャンマー、ベトナム、フィリピン、インドネシアの七ヶ国であった。


内容はいずれも素晴らしいものであったが、特に印象に残ったスピーチを紹介する。
・中部大学留学生、韓国出身朴さん
彼女のテーマは「私の異文化体験」であったが、原稿もメモも全く持たずに登壇されたのは驚いた。スピーチコンテストであるから、「原稿の朗読」はないものの、殆んどの人は原稿持参で登壇する。そんな中にあって、手ぶらでの登場であった。

更なる驚きは、「茶道」での所作や立ち振る舞いをはじめ、亭主の心構えがスピーチの題材であったことである。
ところどころ怪しげな発音があったものの、「一期一会の精神が茶道の究極であること」、そしてそれが、「もてなしの心であり、私自身出会いを大切にしたい・・・」、と発言され、脱帽である。

「茶道」の文化性を的確に理解されていることに驚いた。


もう一人。
・台湾出身で、4歳の子どものある楊さん。
お子さんは、日本で出産されたようだが、来日して4年ほどとのこと。子どもの環境への順応性(日本と台湾での生活)に驚きつつも、その異文化への適応が重要であることを述べられた。そして、自身の日本語力の成長と比較しながら、ほほえましくも「子ども教えられる。勇気づけられている。」というまとめは、親として慈愛に満ちた話であった。

紹介した二人とも入賞はならなかったが、内容としてはトップクラスだと感じた。


この「日本語スピーチコンテスト」には、《多文化共生》というキャッチフレーズが付いている。
《多文化共生》とは、なかなか難しいことではあるが、「異文化を理解し、共に尊重し合う社会」とでも言うのでしょう。

しかし私は、もう少し踏み込み、「人間尊重」の精神を高めていくことだと考えている。
人間尊重が基本にあり、その上での文化習慣の理解と尊重であろう。


印象に残った二人のスピーチ。
その印象は、「文化の理解や尊重」に止まらず、「朴さん」や「楊さん」の人間性をうかがわせる内容であった。
そしてそれは、国籍に関係があるとは思えない。
きっと素晴らしい人だと思う。

来年以降、ますます盛会になることを望みたい。



posted by 伊藤保徳 at 21:46| Comment(1) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

保養所

我社には、浜名湖の近所に二十数年前に取得した保養所がある。
私が利用するのは、「保養」ではなく「研修」の場合が多いが、昨日から泊まりで利用させてもらい、今帰宅した。

今回は研修ではなく、昨年の経営塾生(第11期生)との懇親会であった。
昨日土曜日、現地午後2時に集合し、庭でバーベキュー、夕方銭湯を使った後、時間無制限の「ナイトミーティング」という予定であった。

全てを自分達で行うことから、その準備や「手際」などを注目していたが、「バーベキューについては上手」である。
家族で何度も経験しているようで、炭の追加なども手際が良い。

炭火で焼くとしても、「干物」は少し勝手が違うようで、事前に「焼き方のコツ」など指導をしてもらったようで、メモを見ながら調理をしてもらった。


私は食べるより調理をするほうが好きであるが、昨日は勧められるままにたっぷり頂いた。しかし、時間の経過と共に、口も手も出すようになり、夜のおでん鍋にに至っては、仕切りよろしく「鍋奉行」をやっていた。

とにもかくにも楽しいひとときを過ごすことができた。
幹事や参加メンバーに感謝の気持ち一杯である。


さて、一泊二日の保養所利用であったが、設備や備品などを見ながら30年位前の事を思い出していた。場所も浜名湖の近くのマンションでのことである。そこは、今は亡くなられたが、同じ業界の会社会長のものであり、近くで会合のあった帰りに招かれたのである。

掃除が行き届き、きれいな部屋であったが説明によれば、4家族が利用されているとのことであった。
会長は、技術畑の方で、日常生活も「システム」として考えるような人であり、このマンションの利用方法についても合理的な約束事をされていた。

「食品は全て持ち帰ること」
「小物は全て、整理箱に収納のこと」
(はさみ、ナイフを始め、クリップ、輪ゴムなどだったと記憶している)
「気がついたことは申し送りノートに記入すること」
などであった。

「申し送りノート」には、いろいろなことが記入されていた。
常に快適性を維持することや、利用のうまい方法を蓄積する狙いがあったようだ。

その時はビックリしたが、今やその内容ほとんど忘れてしまった。ただ、いまだ忘れられないことが一つある。それが「時計の電池」のことである。

「申し送りノート」に、《時計が止まっていたので、電池を変えておきました。次回取り替える期日を備品チェック表に記入しておきました。》というような内容だったと思う。
つまり、利用した人が「止まっている時計」の電池を入れ替え、それを報告し、「次回の取替え日」まで申し送った、ということである。

それを見たとき、「すごい!」と思った。


こんな昔の事を思い出したのは、昨日保養所に到着した時、「時計が止まっていた」ことに気付いたからである。
この保養所もいろいろな社員が利用し、設備維持のための規則は決められ、利用者はそれを守ってもらってはいるが、「快適性の維持」とか、「気づいたことの申し送り」については、全くアクションがとられていないのである。

今回、そうした目で見てみると幾つか修理をする個所や、処分すべき備品などがあった。

早速処置はするものの、今後の事を考えると「申し送りノート」のようなものを用意し、保養所を長く快適に利用できるようにしたいものである。



posted by 伊藤保徳 at 11:02| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月28日

寿司屋のように

「寿司バーコンセプト」、これは鍋屋バイテック会社の事業コンセプトである。

昨日、会社見学に伺いいただいた「会社案内」のトップページにも「寿司バー」の文字。説明文を読んでみると、会社の「ものづくり」に対する姿勢であった。

会社概要の説明を受け、その理解が深まった。
特に、2007年テレビの「カンブリア宮殿」に取り上げらて、同社の岡本会長が「寿司バーコンセプト」について語られたVTRを見せてもらいとてもよくわかった。

「会社案内」の最初の説明には・・・

《お客さまの必要なものを、そのときに、要るだけお出しする。
NBKは、ひとつひとつ丁寧に、手際よく、
腕を振るう寿司職人のようにしごとをしたいと、
「ものづくり」に磨きをかけています。

最高の品質をつねに保持する。
1個流し、全数検査の「ものづくり」と、
1個でも、いつでも、どこでもお届けする即納体制。
応えていけるNBKをめざします。》
(※NBKとは、鍋屋バイテック会社の略である)

寿司屋のカウンターで、客はネタを品書きを見ながら「好き勝手」に注文する。カウンターの中の大将は、「あいよ!」と応え、手際よく寿司を出してくれる。
そんな状況を、「ものづくり」の究極としている。

しかしながら、それを実現するのは「設計・製造」はもとより、購買・配送など、全ての機能を見直し、顧客へのサービス向上一点に集中しなければならず、一般的な製造業では取り組む前にあきらめてしまう。「寿司屋は一人親方だから可能だ」、という声が出そうである。

だがこの会社は実現しているのである。

在庫を持ち、カタログ掲載4万点の製品は、たった1個だけでも、午後2時までの注文ならばその日に出荷するという。たった1個を梱包してである。
スケールメリットを常に追求している者にとっては、考えにくいシステムである。

製造品目は、プーリーを中心に、特殊ネジやリニア・モーション関連機器などであり、いずれも量産効果で利益を出すような製品のようにみえるが、同社は全く逆のことを行い、利益も出している。

これが、「多品種微量生産」というシステムを生み、顧客にとってはサービスがより向上している。また、「寿司バーコンセプト」というのは、内部にも鋭い目が向けられており、徹底した無駄の排除を行っている。

「日によって準備するネタの種類や量を決める」、「その日売れなかったネタはちらし寿司などの使う」、さらに「醤油や塩に漬けたり」して、仕入れた材料は余す所なく使い切るという寿司屋。
会長は、「寿司屋こそは、最も無駄を出さない《ものづくり》である」とし、そのやり方が「在庫の持ち方」や「生産計画に」活かされているようだ。

「作り過ぎというのが最も大きな無駄」、というのがこの会社の文化として根付いているようだ。


これらは、部分的なカイゼンでは絶対成しえないことであり、全体最適を志向し、全社員が一致協力しているから実現できていると思う。
しからば、全員が一致協力する体制を、いかにしてつくり上げられたのかに興味が湧く。

直接的には説明がなかったが、一ついえるのは「450年の伝統、仕事への誇り」が底流にあることだけは理解できる。




posted by 伊藤保徳 at 08:21| Comment(1) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

450年の伝統

瀬戸労働基準協会の恒例行事となった「優良事業場見学会」が今日行われ、参加した。
訪問したのは、岐阜県関市にある「鍋屋バイテック会社」である。

この会社のことについて知っていたのは、「とにかく創業が古い」ということと、「鍋屋」という社名から鋳物を生産しているということだけであった。
この二つのことから、どんな会社なのか想像することは難しく、白紙状態で訪問した。

我々を迎えてくれたのは、山を切り開いたような場所にモダンな建物の並ぶ工場であった。環境整備が行き届いており、思わず「キレイな工場だ!」と声が出たほどである。

社員食堂に案内され、そこで会社概要の説明を聞いた。
行き交う社員もとより、食堂でお昼の準備をされている人たちからも「あいさつ」をされ、一味も二味も違う会社であると感じた。


説明では驚きの連続であった。
まずは創業のことである。なんと1560年とのこと。(会社案内の説明文によれば・・・。)

「450年。モノづくりへのこだわり。」
《私たちのものづくりは、1560年、織田信長が桶狭間の戦いに勝利し、新しい英雄として歴史の表舞台に登場したその年まで遡ります。
私たちの先達は、高度な知識と技術を身につけ、鍋、釜、燈籠、鐘などの鋳物をつくってきました。朝廷からは「御鋳物師」の免状を授かっています。

社名の「鍋屋」はいわば公認の匠のグループとしての屋号に他なりません。

それから4世紀が過ぎた1940年、伝動機器メーカー「鍋屋工業株式会社」を設立。そして2001年に新社名「鍋屋バイテック会社」へ。
古くて新しい会社。私たちはこの450年の伝統を誇りとし、ものづくりへのこだわりを大切にしながら、的確に時代を捉え、つねに新しい価値を創造し続けることに、生きがいを求めていきます。》


説明によれば、1940年の会社設立は、本家「鍋屋」(岡本家)から暖簾わけとのことで、本家は現在第15代という。気の遠くなるような歴史である。

更なる驚きは、昨年まではズット黒字であったという。
しかも、「我社は原価計算はやっていません」とのこと。「ドンブリ勘定です・・・」と、いとも簡単に説明されてしまった。(佐藤専務)

あらためて、この会社の「ビジョン」を会社案内で見た。

「私たちの企業像を求めて」

《私たちは創業以来、時代に合わせながら幾度となく自社製品を変えてきました。これまでの450年は、そうした前向きの試行錯誤と自分たちの可能性への挑戦の歴史だったといえます。

新しいことに挑戦する人は、失敗する権利もある・・・。私たちは、失敗を糧として、次の新しい挑戦に活かしてきました。つねに時代のニーズに応えてくることができたのも、その糧がしっかりとエネルギーになってきたからだと思います。

多品種少量生産から多品種微量生産へ。いま、私たちはオン・デマンド生産をも視野に入れた「寿司バーコンセプト」というこれまでにない、新しいものづくりのスタイルを確立。そして、お客さまひとりひとりとのコミュニケーションを大切に、さらに信頼いただける関係づくりを目指します。

製品開発における「顧客志向」とともに、「自然環境との共生」「地域社会への貢献」を企業理念とし、歴史と伝統に誇りをもち、つねにプロセスを大事にしながら、私たちらしい企業像の実現にじっくりと取り組み、これからもゆるやかに成長していきます。》

この文章の後に、会長と社長のサイン。隣のページには会長社長、ツーショットの写真がある。


「新しいことに挑戦する人は、失敗をする権利がある。」
「多品種微量生産」
「寿司バーコンセプト」
「私たちらしい企業像」
そして
「ゆるやかに成長」・・・と、驚きの言葉が並んでいる。

今後、私なりの「企業研究」を行い、数回に分けてその内容を紹介したい。
上記の言葉ごとに、一文書き表せそうである。

充実した事業場見学会であった。


posted by 伊藤保徳 at 21:18| Comment(1) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢たまご基金

昨日、瀬戸キャリア教育推進協議会が開催されたが、中心たる話題は「夢たまご基金」についてであった。

瀬戸市における「キャリア教育」は、随分前から進路指導の一環として中学校で行われていた。それは「キャリア教育」とは呼ばれていなかったものの、中学生が職場体験をし「労働観や職業観を養う」という狙いであった。

今から4年前、経済産業省の事業として「キャリア教育」が行われることになり、全国28ヶ所のモデル地区の一つとして瀬戸市が選ばれたのである。
当時私は、瀬戸市教育委員会のメンバーであり、この事業に最初から関わることになった。

この委託事業は3年間に限られており、その後は地域それぞれの考えに任されていたが、この事業を推進していた協議会において検討した結果、「自立継続」の道を選び、今年度から新しい歩みが始まった。


問題は事業推進の「原資」である。
推進体制の刷新や、諸々の費用を切り詰めた上でスタートしたが、瀬戸市及び商工会議所からの助成金だけでは十分ではなく、「広く、心ある人(企業)からの協賛金」を募ることに下。それが、「夢たまご基金」である。

数ヶ月前、仕組みを整備したところでごくみじかな関係者に連絡したところ、64口(1口3千円、19万2千円)集まった。

その経過を踏まえ、昨日の推進協議会では会長から、熱い思いと協力の要請が行われたのである。

《夢たまご基金への協力、これは瀬戸キャリア教育推進事業そのものである。》との発言。
この基金にかける思いは強い。

私も、「広く、地道に継続的な活動」をしていくつもりでいる。

私には、「まちづくり」という視点もある。



posted by 伊藤保徳 at 07:16| Comment(2) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

一冊の本

先日、致知出版社営業担当者の来訪があった。
東京が事務所であり、「わざわざこんな遠くまで来てくれなくても・・・」という気持ちはあるが、彼はこちらの地域が担当のようである。

瀬戸の「木鶏クラブ」設立にも多大な協力を頂いた。
彼の営業姿勢は、単に「講読者数を増やす」、と言うのではなく、人間学を学ぶ姿勢を持った人を見つけ、「致知」購読を勧めているとのこと。

いろいろな営業の経験があるようだが、どうやら今が一番働き心地はよいようである。


その彼から一冊の本をもらった。
『一道を行く』坂村真民の世界(藤尾秀昭編、致知出版社、平成21年9月25日)という本であった。坂村真民氏、生誕100周年を記念しての出版である。(坂村氏は3年前97歳で亡くなられている。)

内容は、『致知』2004年2月号に掲載された原稿を元に、加筆・訂正をされまとめられたものである。


早速読み始めた。
坂村真民氏は、「念ずれば花ひらく」という言葉で有名だとは知っていた。それを「言葉」だと思っていた。ところが、「念ずれば花ひらく」とは、「八字十音の真言」であるという。その説明のところで止まってしまった。

多くの詩が紹介してあるが、そのそれぞれがずっしりと重く心に響き、なかなかページが進まなかった。

その中でも特に、「二度とない人生だから」は印象的であった。

『二度とない人生だから』

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ペンでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊に接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一篇でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう


祈り、念じ、その中から生まれいでし「言霊」である。

今を懸命に生きる、気付いたことをすぐ行なう、今を逃せばその機会は二度と戻ってはこない。
こんなことを感じさせてもらった。

一冊の、「重い本」である。



posted by 伊藤保徳 at 11:18| Comment(2) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月25日

人を通じて

瀬戸市倫理法人会、今日のモーニングセミナーは私の当番であった。
数ヶ月前からのスタイルで、「致知」11月号の特集からテーマを選び45分程度の話をしている。

今回は、「知謀、湧くが如し」というテーマであったが、専ら、歴史上の人物にスポットをあて、その時代を切り開いた「智謀」について紹介した。
以前より、「歴史を学び、歴史に学び」という持論を紹介しているが、いつもとは少し違う視点を披露した。


「致知」11月号のトップ記事は、松平定知氏と童門冬二氏の対談記事で、そのテーマは「時代を切り開いた男たち」というものであった。
最初に、童門氏が「織田信長を」を挙げている。

時代の革命児、異端児などなど、異名を持つ信長であるが、本能寺の変に倒れその後のことがミステリアスなだけに興味は増すばかりである。
信長による価値観変革の中で、基本となっているものは「兵農分離」であろう。それまで領地の農民を兵士として戦に借り出していたものを、プロパーにしてしまったのである。

それにより、「楽市楽座」が生まれたり、戦での褒賞が土地から文化的な物に変わってしまったのである。

信長の次に取り上げられているのは、源頼朝である。
武家社会へと変化させ、実力主義による「領土の分配」という土地至上主義を確立した。そして、それは「一所懸命主義」をも作り出したといわれる。

そして三人目に「徳川家康」が登場する。
「待つこと」がこの人の「知謀」であったと言わせしめるほど「待ちの家康」である。
それは、源頼朝から六代の宗尊親王までの将軍記である『吾妻鏡』などを、じっくりと勉強したことが影響しているという。


こんな対談記事にあった史実を紹介したが、そこに流れる思想(哲学)、儒学の影響が強い、というのが話の結論。そこで、『大学』を少しだけ紹介をした。

「平天下、治国、斉家、修身、正心、致知、格物」という話である。
童門氏が語っている。
《いま、日本人が再び民族のパワーを取り戻して、知謀湧きいずる国家になるためには、まずは己を修め、己をつくること。そしてそういう風を日本中に吹き渡らせることがスタートではないかと思いますね。》

その通りだと思う。

そしてもう一つ、「歴史を学ぶ」とは、その時代に生きた人たちを通じて学ぶこと。
これも、童門氏が言われた言葉である。

歴史の変遷を見るとき、年表や事件に目が行きがちだが、時間軸を超え、その人が「何に影響を受け」「どんな問題意識や志」を持ってことに望んだのか。

こんな意識を持つだけで歴史の勉強が楽しくなるものである。

歴史は人の生き様でもある。


posted by 伊藤保徳 at 12:20| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

きちんとした人

「きちんとした人」、この後に続くのは、「仕事ができる」である。

これは本のタイトルである。(『きちんとした人は仕事ができる』 石井住枝著、三笠書房)
この本を今朝、女性社員から「読んでみてください・・・」と渡された。
会議があったり、外出の用事があったりしたが、何とか読み終えた。

著者である石井住枝氏(エフェクト代表)の講演を聞いたとの事で、その折に購入しサインをしてもらった本であった。
講演内容は聞いていないが、本は「日々の生き方」がスマートになるアドバイスが一杯で、この通りの日常生活ができたとすれば、「きちんとした人」であろうし、充実した生活(仕事)ができると感じた。

石井氏は、トヨタ自動車に17年間務められた経験があり、いわゆる「トヨタ式」とか「トヨタ流」といわれる各種活動を「家事」と比較しながら、わかり易く楽しく解説がされている。
1時間もあれば十分読める本である。


著者が冒頭述べている。「トヨタ式」とか「トヨタ流」とか言われるが、「当たり前のことを、当たり前にやっているだけなんですよ」と。
確かにその通りだが、「当たり前のことを・・・」はよく理解できるが、「当たり前に実行」、となるとなかなか難しい。

時間をかけて読んでおらず、読み落とし箇所もあると思うが、心に残った事を2つ紹介する。

一つは、「楽しくするカイゼン」というもので、これは仕事の現場のみならず、「日々の生き方」だと感じた。
・楽しく実行・・・効果を期待しワクワク実行
・過去を否定しない・・・過去は全て経験
・毎日トライ・・・やろうと思うだけではなく、まずやってみる
・すぐ実施・・・気づいた時に即実施

頭の中では、「カイゼン」→「変化」→「成長」というイメージである。

もう一つは「4S」の話である。「整理」「整頓」「清掃」「清潔」のローマ字頭文字をとって「4S」である。「3S」とか「5S」とかも言われるが、私は「4S」が好きである。(あと一つのSは「躾」である。)

これは、効率向上を目指すときの「第一歩」であるが、本の最後の方で、「モノの4S」と「心の4S」のことが図で示してあった。
一般的に言われるのは「モノの4S」であるが、著者いう「心の4S」というものについて、もう少し詳しく解説して欲しかった。

私自身、研修の時などにこの「4S」(5S)のことにふれ、「モノの4S」があるなら、「コトの4S」や「情報の4S」もあるはずである。管理者やスタッフ職は「コト」や「情報」がより重要ではないか、という問いかけでもある。


読み終え、「きちんとした人は仕事ができる」というタイトルに納得をした。
「きちんとした人」というのは、自身の生活態度もさることながら、「人のよろこぶこと」「世のためになること」を当たり前にできてしまう人のことなのである。

当たり前だと思っている事を、時に考え直してみることも必要のようだ。
今回はそんな機会であった。



posted by 伊藤保徳 at 22:00| Comment(2) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

内需拡大

昨日、「縮み志向」は問題であり、早く成長戦略を示すべきであるという記事を紹介し、私見として「企業法人税の減税」ということを書いた。

たまたま明日の倫理法人会モーニングセミナーでの講話の内容をあれこれと考えており、「致知」11月号を読み返していた。そこに、一つのヒントがあった。

記事は、元NHKキャスター松平定知氏と、作家の童門冬二氏の対談記事で、テーマは「時代を切り開いた男たち」であった。二人から、歴史上の人物で「価値観を大きく変えた人」として、源頼朝、織田信長、徳川家康、坂本竜馬の四人が挙げられ、それぞれの功績について議論が交わされている。

その中で、特に「内需拡大」という言葉で説明されたのが「織田信長」であった。

織田信長は戦国時代を代表する武将として、あるいは時代の革命児として有名である。しかし、「内需の拡大」という視点は持ったことがなく、新鮮な気持ちで読んだ。


織田信長の偉業は「兵農分離」が事のスタートになっているようだ。
これは、兵士を自前で雇うということであり、農民からの徴税だけではなく「楽市楽座」を開き、収入の道を作り上げ兵士雇用の経済的裏付けを確立したという。
当時、物を売るのに寺社の許可が必要だった様で、それが権益となっていた。信長はその規制を改革(撤廃)したのである。

次は家来や兵士への褒賞の内容を変えていった。
武家社会において、戦いの勝利者への褒美は「土地」と決まっていた。これ大きく変えたのが信長であったという。

以下、童門氏の説明である。
《そこで彼が持ちこんだのは文化です。
例えば、先の戦で柴田勝家が活躍したから、能登の土地をやろうかと。ところが勝家は、「土地よりも千利休から召し上げてきた茶碗を下さい」という。そういう文化的なものを所有することで、私が田舎者だとか文化性が足りないという悪評を克服できるんだと。

あるいは秀吉にはお茶会を開く権限を与えるなど、文化への造詣が深いことが一種のステータスになったわけです。

すすると武士たちの給与制度が変わりますね。あわせて国民全体がタンス預金を出しても文化的な衣食住を求めるようになった。それが安土文化であり、秀吉に受け継がれる桃山文化ですが、それによって技師や陶芸家などの仕事が増えたわけです。

要するに、信長は内需を作り出し、輸出に関係なく経済を成長することに成功した人物でもあるんです。》


これを読み、「なるほど」と感じた。
今まさに時代の転換期。価値観の転換が求められている。

「規制改革」、「文化的な衣食住」、「技師や芸術家の育成」など、信長の政策は現代でも十分に通じるように感じる。

もう一度、国のことや「人として」の原点に立ち返り、「新しい価値観」を見出すこと。これを国民的議論にすべきではないかと考える。



posted by 伊藤保徳 at 07:11| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。