2009年09月30日

100回記念

瀬戸市倫理法人会のモーニングセミナーが、本日で100回となった。

一週間に1回、合計100週間が経過したが、発足以来1回の中止もなく開催されていることは凄いことだと思う。同時に、今後も永く継続してしていってもらいたいものである。

この記念すべき100回目に、何かの縁でしょう、私が講話を担当することになった。

「記念セミナー」というアイディアがなかった訳ではないが、担当幹事の配慮で私が務めさせてもらった。


今回のテーマは、「一書の恩徳」という、難しそうなものになってしまった。
数ヶ月前に、私の担当する講話(毎月一回)は、人間学を学ぶ月刊誌「致知」の特集に因んだ話をすることを宣言した。「致知」9月号の特集が、《一書の恩徳、萬玉に勝る》であった。

特集の内容は、「良書を読む」ことによって得られるものはとても大きい。「知識」のみならず、時に「気づき」や「発奮」もある・・・というもので、正に「読書の奨め」である。


当初、特集内容の解説を考えたが、私には歯が立たないことがわかり、「私流の読み方」を披露することにした。
ただ、中には詳しい人もいるだろうから、記事で紹介されていた主な書籍について、そのサワリを紹介した。

紹介した書籍は次の通りである。
・「論語」
・「人生信條」(安岡正篤著)
・「養生訓」(貝原益軒著)
・「修身教授録」(森 信三著)

それぞれの、ごくごく一部を紹介した。
そして、私の本の読み方について披露をした。

「読むことを目標にしない、本のある環境づくり」。これが私の読書姿勢である。
先ずは「本を買う」。そのために、定期的に本屋に行く。買った本は目に付くところに「つんどく」。そして出張時は必ず鞄の中に何冊かを。
気に入った内容は、「話す」「書く」。

こんな態度を40年間以上貫いている。


100回記念として、格調という点では些か劣ったものになったが、節目として「読書の有効性」を改めて考えることは意味あることだと思っている。

いつか、会員の人達から「読後感」や「推薦書」の発表のあることを願っている。

「一書の内容」よりも、そこからの「恩徳」を聞かせてもらうほうが、数倍刺戟的だと思う。




posted by 伊藤保徳 at 12:04| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

管理者の仕事

前回、部下を持つ人にとって、指示を明確に行うことは極めて重要である、ということを書いた。
そして、『心の構え』の中から一つの項目も紹介した。

この『心の構え』は、今から13年前に策定されたものである。
当時は、バブル経済が崩壊し経営体質の転換を必死に図り、少し目処がついた頃である。

我社にはもともと『従業員行動指針』というものがある。
昭和42年、株式会社に改組した時に制定されたもので、「五誓」ともよばれていた。

その内容は些か難解な言語が使われていたり、一般的にはあまり使用しない表現方法などもあり、リニューアルの必要性を感じていた。
実際に取り組んで見たものの、精神を変えずに表現だけを変える難しさに直面し、結果として生まれたのが「我社の価値観」ともいえる『心の構え』であった。

『心の構え」は、「基本の五つ」と、内容として57項目の考え方で構成されている。


その中に「リーダーシップに関する9つの心構え」というものがあり、内三項目が「管理者の仕事」についてである。

・同じ職種の延長線上に管理職はない
管理職は、従来の仕事の延長線上にはありません。それは一種のスタッフ職、つまり主席プレイヤーではなくナビゲーターとなるべきなのです。部門長となればさらにその必要は高まります。
つまり階層があがるということは、範囲や量・レベルがあがるのではなく、全く違う職責が求められるということ。これまでの経験だけでは通用しない専門職種なのです。


・電子メールにできないことをせよ
管理職のこれまでの仕事は、情報の伝達と業績・数字の管理でした。しかしこの二つともが電子メールに取って代わられた、今や不必要な仕事です。しかも、伝達そのものには価値を置かないのがカワムラの考え方。であるならば、電子メールに出来ない仕事を自ら生み出さなければ、管理職はその存在価値を失ってしまいます。


・最後に残るのは「目標設定」「戦略立案」「部下育成」
では、管理職の存在価値とは何か。それは上記の三つに絞られます。適切な目標を定める。数字だけではなく、数字を達成するための重点目標を適切に設定していく。そしてその目標を達成するための戦略を立案し部下に伝える。

機械にはできない創造的な業務こそが管理職の仕事です。そして、忘れてはならないのは部下育成です。一人一人にあった形で日常業務を通じて育成を行う。この三つを行うことこそが管理職の仕事であるのです。


このような文章が示されている。

社員は皆手元に置いているはずだが、時に目を通し、考え方の確認をしてもらいたいものである。






posted by 伊藤保徳 at 06:47| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

的確な指示

部下を持つ人にとって、重要な事の一つが「指示」をすることである。
この「指示」が的確ではないことが意外に多いものである。

昨日の会議で「的確な指示」「そのための意思決定」という事が話題になった。
それは、信用不安のある販売先と、今後の取引をどうするかという議論であった。

こういう場合、よく出る言葉は「様子を見ながら・・・」とか、「注意をしながら・・・」という含みを持たせながら継続するというものである。
この場合、誰も意思決定をしておらず、場の雰囲気として「何となく決まった」ような気がしているが、実は何も決まっていないのである。

その販売先の担当者は大いに困るのである。
「様子を見ながら・・・」「注意をしながら・・・」。こんな指示に「ハイ」とはいうものの、格別の行動はとらず、従来と同じ対応をとることになる。

問題が発生をし、「注意をしていたんですが・・・」と、苦しい言い訳をすることになる。

不幸なのはこういう部門に限って、的確ではない指示をした上司よりも、担当者が責任追及されることが多いのである。担当者は本当に気の毒である。


こうした事態にならないためにも、「的確な指示」が必要である。
的確な指示をするには、先ずは明確な意思決定をする必要がある。つまり、その販売先との取引を今後どうするかという意思を明らかにすることである。

この場合、「続ける」か「止める」かの二者択一をし、それを実行するための「条件設定」をすることがポイントになる。
取引の継続についての問題提起であり、「続ける」にしても、「止める」にしても条件や期間などが必要であり、これを付加することこそが的確な指示となるのである。
言葉を変えていえば、「結果に至るプロセスを示す」ことにもなる。


我社には、経営理念の他に『心の構え』(経営の価値観)というものがある。

「顧客」「計画」「製品・サービス」「リーダーシップ」などについて、全部で57項目明示してある。その中の一項目に『「臭いところをつけ!」は何も言ってないに等しい』というものがある。

全文を紹介する。
《プロ野球野村監督の名言です。
「臭いところをつけ」、というのは簡単ですが、投げる方はたまりません。
高めなのか低めなのか、どれくらいギリギリを狙うのか?

「臭いところをつけ」という指示は結果だけを求め、そのプロセスを何一つ示していないのです。
「結果を出せ」「目標を達成をしろ」。唱えるだけなら誰にでも出来ます。

ではどうすれば結果を出せるのか?
その往き方の道筋を示すことこそ上司の役割なのです。》


昨日の議論で、この項目を思い出していた。

日頃から留意しておかねばならないことである。





posted by 伊藤保徳 at 05:25| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

第14回猫祭り

9月、瀬戸市では大きな祭りが集中している。
第二土日は、「せともの祭り」。これは陶磁器の廉売市がメインの産業祭である。

そして9月29日近傍の土日が、「来る福・招き猫祭り」通称「猫祭り」で、今年で14回を数える。

招き猫祭りは古くは三重県の伊勢にあったようだが、最近は瀬戸の祭りのほうが賑やかになってきたようだ。この祭りは、私が瀬戸市での市民活動に関わりはじめた頃に始まったもので、それなりに思い出もあるが、「招き猫」が主役である。

瀬戸市でも古くから招き猫が生産されていたこともあり、古いものから現代的なものまで、中心市街地が猫で一杯になる。

ここ数年で一気に広がったことは、「猫メーキャップ」である。

水彩絵の具でのメーキャップは、今や名物。七ヶ所もの場所で無料で描いてもらえることもあり、街中を猫顔が行き交うようになった。


私は土曜日の午後一人で出掛けたが、商店街の人の話によれば、「せともの祭りより、よく売れている」とのこと。
「せともの祭り」に比べ、人出は比較にならないが、「買い物目当てのお客さんが多い」ようで、地元商店街にとっては猫祭りのほうが嬉しいようである。


「祭り」というのも難しいものである。
ただ「賑やかだ」、というだけでは長続きしない。そこに出かけてみるだけの「価値」をどのように創るかがポイントになろう。

「祭り」といえば、「非日常」というのが一つの価値であったが、現代のように日常が多様化した中にあっては、「特別なモノ」「特別なコト」を用意することが必要となる。それが、「いつもと違うこと」になり、それぞれに価値を感じてもらえるような仕掛けになると思う。

こう考えると、やはり「人」が重要になる。

考えたり実行したりするのは人である。
14年間継続できているのは、「一生懸命な一人」がいたからである。


瀬戸市では、「せと・まるっとミュージアム」と称して街づくりに取組んでいるが、やたらイベントが目に付くだけで、そこに参加しようと思う「価値」がなかなか見えてこない。

継続していくためにも、そのイベントがいつもと違う、「特別なモノやコト」が用意できているかどうか、そしてそれらに価値が感じられるか。
こんな視点での検討をしてみることも必要だと思う。


posted by 伊藤保徳 at 06:53| Comment(3) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

立ち飲み居酒屋

その昔、酒屋さんの店先で、陽の高いうちから酒を飲んでいるおじさんを見て、あんな大人にだけはなるまいと思ったことがある。
「立ち飲み」、と聞いただけで何かうら寂しいイメージを抱いたものである。

家にあっては、酔っ払いを身近に見て育った。
私の父親は大工の棟梁であった。
無類の酒好きでもあり、上棟式などの振舞い酒は「身一杯」に頂いて帰ってきた。昭和の20年代後半から30年代半ば頃のことである。

こうした環境の中で、それらは反面教師にならず、なんとなく受け継いでしまったようだ。


ただ、昔に比べると酒の飲み方はスマートになった。
30年位前までは、夜の繁華街で夜中の12時近く、正体を失った酔っ払いが必ずいたものである。しかし今は、全く見かけなくなった。

居酒屋とか立ち飲みといっても、客はおじさんよりも若い男女の方が多く、雰囲気もよい。

この「立ち飲み居酒屋」が都内で急増しているという。(今朝の日本経済新聞、《エコノ探偵団》)
今、都内で立ち飲みできる店は1000点程度あるという。
驚くなかれ、90年代半ばに約150店だったのが2000年代に入ってから急増したというのである。

牛丼チェーン大手の合計店舗数(約800店)より多いというのはビックリした。
しかも、「立ち飲み居酒屋チェーン」まであるという。


繁盛の理由は、「長居無用、ほほどどに」、ということのようだ。
立ち飲みで、「もう一軒」というのは殆んどないようだし、上司がくどくど説教を垂れることも無いようで、「ちょっと軽く一杯」、というのがうけているとのこと。

また、出店する側にとっての初期投資が極めて小額で済むことも増えていることの一因のようだ。
記事によれば、「立ち飲み屋の初期投資は500万円程度で、通常飲食店の十分の一位」だそうだ。

出店する方も、利用する方も「軽いノリ」なのだろう。


こうした「立ち飲み居酒屋」をわが町でも・・・と、提案したことがある。
名鉄瀬戸線の終点「尾張瀬戸駅」にビルを作る計画があり、その内容についてパブリックコメントの募集があった。
市民の意見を参考にして「検討会議」が開催された。

私の提案は、1階は「立ち飲み屋台を集積させよう」。2階は、「挑戦的小規模飲食店」とし、安い家賃で若い人達に機会提供をする。そして3階以上も飲食関係で・・・というものであった。
(アイディアとしては吉本劇場の誘致も考えていた。)


結果は、何一つ採用されなかったが、「立ち飲み」「居酒屋」「屋台」などについては、何とかわが町でも作りたいと思っている。
記事を見て、意を強くした。






posted by 伊藤保徳 at 16:36| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

計画重視の体質

倫理法人会の会員には、毎週「今週の倫理」が送られてくる。
法人局の発行であるが、聞く所によれば法人局職員が順番に執筆されているようだ。

一週間に一度見る程度のことだと気がつかないが、通して読んでみるとそれぞれに雰囲気が違う。

「純粋倫理創始者丸山敏雄のことばの解説」、「万人幸福の栞の実践的解説」、「会員の体験談紹介」そして「時の話題」などなど・・・、その範囲は多岐に及んでいる。

そんな中で、私が興味を抱くのは歴史上の人物の言動紹介である。
特に、明治以降の近代史上の人物に興味がある。

かなり昔からこうした興味はあったが、純粋倫理の勉強をするようになってからは、「倫理」の視点でその人となりを理解しようと努めるようになり、人物理解が深まったような気がする。


「今週の倫理」9.26〜10.2号では「土光敏夫氏」が取り上げて会った。
タイトルは、『計画を立てた後は執念で推し進める』というもので、計画の意味、計画の重要性について、土光氏自身の言葉が紹介してある。『経営の行動指針』(産業能率大学出版部)からの抜粋。


《いったん計画したものは、万難を排して完成させよ。その中で人間形成ができる。
計画とは「将来の意志」である。
将来の意志は、現在から飛躍し、無理があり、実現不可能に見えるものでなくてはならない。現在の延長線上にあり、合理的であり、実現可能な計画はむしろ「予定」と呼ぶべきだろう。

将来への意思としての計画は、本来困難なものなのだ。

困難を受け入れ、困難に挑み、困難に打ち勝つモチーフを、計画は自らのうちに持たねばならない。

計画は個々人にとっては、自己研鑽の場を作る高い目標を掲げ、何が何でもやりぬく強烈な意思の力によって、群がる障害に耐え、隘路を乗り越える過程で、真の人間形成が行われる。そして、艱難を自らに課し続ける人間のみが、不断の人間的成長を遂げる。

計画とは、結局、自分のものであり、自分のためにある。そのことを各人が自覚した時、計画は真の力を表す。》


とても強烈な内容である。
我々が日々認識している「計画」とは、レベルが違いすぎる指摘である。

土光氏の言う「計画」にまでは行かないまでも、仕事を進める上で「計画」そのものが無いことさえある。
今から27年前、私が社長室の一員として経営改革に取組み始めた頃のことが思い出される。

当時の部門責任者の人たちにじっくりインタビューをした。一人、三時間位要したと思う。

これは、現状の把握であったが、そこで一番感じたことは「計画がない」ということであった。
計画書らしきものは存在する。しかし、計画に必要な「将来の意志」というものが存在していなかった。

部門長として「何をするのか、どんな方向に進もうとしているか?」という「将来の意志」がその計画からは読み取ることが出来なかったのである。それは「計画がないに等しい」のである。あるのはスケジュール(予定)表であった。

そこで、手始めに、「計画を重視する体質にする」という方針を打ち出したことを思い出す。1983年のことである。


こうしたことを踏まえ、今、土光氏のいう「将来の意志」、「計画は困難なもの」という主張にふれ、まだまだ甘いことを実感している。

改めて、ねじを巻きなおさねばと思う。



posted by 伊藤保徳 at 10:09| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

同級生の訃報

昨日、仕事の合間をぬって同窓会会報の原稿を書き上げた。
これは高校の同窓会のことで、今、会長を仰せつかっているからである。

我が母校である愛知工業高等学校は、来年で創立110年という歴史ある学校である。また、私の卒業したデザイン科というのも創立当時からあったという。もっとも当時は図案科と呼ばれており、私の在学中にデザイン科に名称変更がされている。

従って、同窓会の歴史も100年以上ある。


歴史の長いことは誇りではあるが、問題もある。
特にデザインのような「環境適応」が求められる分野では生徒にも変化がおきる。
分りやすくいえば、女子生徒が大半を占めるようになったことである。

私の在学時、37〜8人学級で女子は十名強だった。しかし今は、クラス中で男子が数名という状況なのである。
女性の社会進出は目覚しいが、結婚を機に家庭に入る女性も少なくない。
このことは、同窓会というつながりを弱くする方に働いているようだ。

とにもかくにも、今は年一回会報を皆さんの協力を得ながら発行しているところである。


こんな作業をしているところに、同級生の訃報が入った。

中学時代のクラス会は数年前に行い、その折に今後5年に一回程度開催しようということになっている。しかし、出席率は3〜40%であり、欠席者とはますます疎遠になってしまっている。
そうした仲間の一人が亡くなったという。

今日、告別式がある。
個人的には30年以上音信普通ではあったが、参列する予定である。


同窓会のことをいろいろやっていながら、こうした時の連絡の範囲や方法については全く決めていない。
クラス会を開催し、互いの様子を確認することもいいが、こうした、もしもの時にどうするのかを決めておくことも必要なことだと思う。

今、付き合いがあるとかないとか、それはあまり関係がない。
同じ学び舎で、何年間一緒に学んだ経験は、何ものにも変えがたく大切にすべきことである。


亡き友の墓前で、生かされていることの感謝と共に、友の冥福を祈りたいものである。



posted by 伊藤保徳 at 09:22| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

つながり

昨日、瀬戸キャリア教育の事務局会合があり出席したが、大事なことをすっかり忘れていた。

会議終了後、情報交換を兼ねた焼肉ビアパーティーをする予定であった。どういう訳か、手帳に書き込むことを忘れてしまい、会議が終了するまで気がつかなかった。

運の悪いことに、パーティーと同じ時間に別の用件を入れてしまった。
メンバーには事情を説明し、遅れて参加することにした。

この焼肉会(私が勝手に命名)は、従来から行われているものである。
キャリア教育の仲間の一人が、自社の工場を開放し、みんなと「焼肉しながらワイワイやる」、というもので、格別の狙いや規則があるわけではない。

時間も、開始時間こそ決められているが、集合は三々五々というようなところもあり、自由この上ないが、それなりの秩序は保たれている。


結局私は、2時間半遅れて参加。
別席で簡単な食事は済ませていたので、専らビールを頂いた。

全部で二十数名の参加。
大半の人は見覚えがある。知り合いたちといろいろな話をしたが、参加者のつながりとこの焼肉会の秩序に深い関係があるのではないかと感じた。

つまり、「つながり」が明確なグループというのは、そのつながりの核たるものを中心に、ある秩序が形成されるのでは?と思った。


一見、何のまとまりもないように見えるが、決してそうではない。

昨晩の「つながりの核」というのは、「教育」である。
「教育」を通じてつながっている仲間達である。

それぞれの日々の活動は違っていても、「教育」という問題意識は共通的のように思う。
そしてそれが焼肉会の秩序、あるいは暗黙のルールといったものをつくり上げているのであろう。


夜11時を過ぎたので失礼をした。
まだまだ盛り上がっている人たちもいたが・・・。


posted by 伊藤保徳 at 08:48| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

社説に賛同

9月23日、日本経済新聞の社説は賛同できる内容であった。

昨今、大衆迎合や細々した内容の記事が多いと感じていた中で、昨日の日経は真っ当なものだと感じた。その代表が「社説」である。


「新政権はまっとうな成長戦略を描け」、とのタイトルで、日本の競争力の強化こそカギであるとし、民主党の「しがらみがの無さ」、というを強みをもって成長戦略を示してもらいたい、という内容であった。

個人的にも大賛成である。


まずは日本の競争力について、世界経済フォーラム調査の結果を紹介している。
今年は、世界の8位で前年より一つ順位は上げているという。
しかしその内容はお寒いばかりである。

「技術革新力」「生産工程の先進性」などの民間がらみの項目では世界一の座にあるようだ。しかしながら他の分野を見てみると些か様相が異なってくる。

「政府規制の負担」では22位、「教育制度の質」は31位、「農業政策経費」は128位、国内総生産に対する公的債務比率は132位と、政府が絡む分野で遅れが目立つのである。
1980年代後半、日本の事を「経済一流、政治三流」と揶揄されたことを思い出す。

正に、「国としての競争力強化」に、政治がもっと関与すべきである。

こうした指摘から、新しい政権に対する期待も膨らむわけだが、「しがらみの無さ」が強みだとエールを送っている。


私はこの社説の中で最も気に入った部分は次の部分である。
《例えば、温暖化ガスの大幅な削減。それが経済成長の大きな足かせになると考えるのは早計だ。

米中など主要排出国を巻き込んだ厳しい削減目標で合意できれば、優れた環境技術を持つ日本企業は有利になる。そのためにも排出量取引制度の具体的な設計や原子力政策を含め、大幅な削減をどう実現するかの道筋を描くべきだ。》

全くそのとおりであり、期待したい。

同時に、マスコミ関係もこうしたスタンスで報道をしてもらいたいものである。


鳩山首相の初の外遊。
日中首脳会談、国連での演説などでもっと国民に伝えることはあるはずだ。

それが、服装や持ち物、果ては夫人のことを細々と報道しているマスコミの神経を疑う。
恐らく、「視聴者ニーズ」が大義名分であろうが、どうも易きに流れているように思える。


国民に伝えるべきこと。
マスコミはもっと真剣に考えてもらいたいものである。




posted by 伊藤保徳 at 06:13| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

合意

今日の朝刊によれば、鳩山総理の国連サミットでの演説は、上々の出来であったようだ。
我が国のトップの演説が、海外で評価されるのは嬉しいものである。

10分余りの演説で、例の「25%削減」を明確に打ち出されたようだ。
前の麻生総理の目標値に比べたら大きな差であり、国内はもとより、海外においても大きなインパクトがあったことであろう。
これだけで、「日本は変わった!」という印象を与えたと思うし、デビューとしては上々であろう。


「温暖化ガス削減」というのは、今や地球規模の問題であり、まずは先進国が襟をただし、削減に向けた積極姿勢を打ち出す必要がある。
理念としてはその通りだが、現実問題としては難しい問題も多い。
成長とは逆のインパクトがあるからである。

しかし、鳩山政権は「90年比25%削減」という大きな目標を打ち出した。
麻生政権の「90年比8%減」、「05年比15%減」とは雲泥の差である。

これは定かな話ではないが、「官僚の設定する目標値は常に出来そうなところで設定」されるようである。それは常に「合意」が重視されているようである。
ということは、「合意されない目標値は設定されない」ということにもなる。


「合意」の事を書いたのは、今日の朝刊で中日新聞は二面で、「国内合意なき首相公約」という大きな見出しが踊っていた。何かしら批判めいた意図を感じる

「国内合意」を前面に出している点は、旧来の考え方のままであるが、一国の長が、自らの責任において発言した内容を、もっと前向きに捉えてもいいような気がする。
一見、困難を伴うような目標が、国民の関心を呼び気持ちが一つになるようなことになったらいいと思う。

国民全体の環境活動が積極化するとすれば、こうした大胆な目標はとても意味があるといえる。


25%の削減目標は、産業界から猛烈な反対が出るといわれているが、果たしてそうだろうか?
経済界に軸足を置いた日本経済新聞では、「国内合意」などという見出しはなく、専ら、演説内容を正確に伝えることに注力しているように見える。

演説の中で、「鳩山イニシアチブ」構想なるものが提唱されたようだが、この内容をもっと詳しく知りたいものである。


用意された原稿をそのまま読む時代はこの8月で終わったようだ。


リーダーが、何を何のために行うのか。自分の言葉で語って欲しい。
共感が得られれば必ず協力者が現われ、実現に向けて進みだすことであろう。



posted by 伊藤保徳 at 13:29| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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