2009年08月31日

歪んだ自由

昨日、豊田市で倫理法人会丸山理事長の講演を聞いた。
とてもわかりやすいという印象であった。

この講演会は、愛知県の倫理法人会が3000社突破を記念して開催されたものだが、式典にはあまり興味がないものの、丸山理事長の話は以前から聞いてみたいと思っていた。

著書(「日本創生への道」T、U)を読み、倫理の必要性、一般的な倫理との違いなどはそれなりに理解したつもりだが、もっと広い視点(宇宙観とか人間観)について、著者(理事長)の考え方をもっと知りたいと思っていた。

「70分間の講演」ということもあり、その全てを聞けたわけではないが、それなりに満足できた内容であった。


その中で、「今、なぜ倫理なのか」という時代の認識がとても論理的であったように思う。
現代の日常生活を通じ、倫理観の低下とか、道徳心の喪失など、いろいろな事象に遭遇しているし、子どもの頃との比較で、現代社会に憂いを持つこともしばしばある。

しかしそれらはどちらかといえば、個別の事象ばかりを取り上げているようにも思う。
つまり、事象の原因に言及していないのである。
あまりにもいろいろなことが考えられるので、考えることを止めていたのかもしれない。

講師は、この時代認識を、ズバリ「歪んだ自由」と表現された。


現代は、「歪んだ自由」との戦いでもあるとし、三つの自由化を示された。
1、欲望の自由化、エゴイズムの自由の跋扈
2、規制緩和という自由化
3、教育の自由化

三つの解説を聞き、「現代社会の好ましからざる事象は全て、この三つの原因で説明のつく」、ということがよく分った。

第二次世界大戦後、それまでの抑圧から一気に「開放・自由」が叫ばれ、国民もそれを歓迎した。しかし、行過ぎた自由が経済活動を始めとし、社会生活、家族関係までも崩壊させようとしている。

そういった意味から、「歪んだ自由」をどう是正するかが重要なポイントとなる。


対処するために、「真の自由」を認識しておく必要がある。
「真の自由」とは、「規律ある自由」であるとし、この規律こそが「倫理」なのである、という説明があった。私には理解でき、納得できるものであった。


今まで約二年、純粋倫理の勉強をしてきたが、基本中の基本である「今、何故倫理なのか」、という問いの明確な答えが見つかった思いである。

そして、興味も今まで以上に強まった。




posted by 伊藤保徳 at 08:39| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

孔子廟

今年の初めから、改めて「論語」について勉強している。

格別の目的持って始めたわけではないが、人間学を学んでいると随所に「論語」からの引用があり、改めて読んでみる必要性を感じたからである。


関係する本を何冊も買い込み、時を見ては開いている。
まだ、自身の理解度が乏しく、言葉の引用や自己解釈のできるところは多くないが、なかなか面白いし、興味も尽きない。


先日のマネージャー研修の折、沖縄営業所の所長の顔を見て思い出したことがある。

数年前のことだったと思うが、沖縄へ出張した折、当社の代理店社長と話をさせてもらう機会があった。この社長は、第二次世界大戦直後から沖縄電力に関わる仕事をされたようで、昔の「配電方式」や「碍子や配線器具」のことに詳しく、興味深く拝聴した。

その折、話は商売上のことから離れ、社長のご先祖のことや琉球国時代の大陸との交流など、「人類学」のような話も聞いた。
その中に、「沖縄には孔子さんの霊を祀ったところがあり、毎年大祭を行っている。」という話があり、記憶に残っていた。

所長の顔を見て思い出したのはこのことである。


研修が終了し、会食をした時たまたま席が隣であったこともあり、この事を話した。
その場では、「そういえば・・・」という程度で、詳しい話はなかった。

ところが、金曜日に彼から、「久米至聖廟」のパンフレットが送られてきていた。
あの時の話を忘れずに対応してもらった。


私は、日本に孔子の霊を祀った所のあることを知らなかった。

広辞苑には「孔子廟」の説明がある。
《孔子の霊を祀った廟。中国山東省の曲阜(きょくふ)にあるものは有名。日本でも、奈良・平安時代に大学・国学に置き、江戸時代には江戸の湯島など各地の聖堂に孔子を祀った。》

論語を勉強しているといいながら、「孔子廟」のことは全く知らなかった。恥ずかしいかぎりである。


さて、「久米至聖廟」のパンフレットであるが、社団法人久米崇聖会の発行である。
驚きは、先の社長がこの会の理事長であり、孔子への尊敬の意を表す典礼(沖縄の言葉で「クーシウマチー」)の写真に写っていたことである。


孔子(論語)が、急に身近なものになったような気がした。


posted by 伊藤保徳 at 06:17| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

決意表明

研修を行っていて楽しみの一つは「会食」である。
これは我社の伝統のようなものだが、研修と会食はセットの場合が多い。

一昨日で終了したマネージャー研修も同様だが、今回残念ながら二つの地域では会食をすることができなかった。人数の関係である。

会食というのは、食事をしながら研修の感想や情報交換をするものだと考えており、人数が問題となる。車座となって意見交換が可能なのはせいぜい15名までである。
そんなこともあり、瀬戸地域と東京地域では会食をすることができなかった。


その会食において、多くは研修内容についての意見交換を沢山行ったが、参加者の中で、翌日メールをくれた人が十名ほどいる。

食事のお礼と「決意表明」である。
私に表明することで、自身の気持ちをリセットしていることがよくわかる。

そうした言葉の中に、「感奮興起」という言葉が使われていることが嬉しい。


今回のマネージャー研修では、ファミリートレーニングという形態をとっている。それは、部門長を中心にマネージャーとの「実務的研修」である。
気をつけなくてはならないのは、日々の「業務会議」になってしまわないことである。

「部門長の語り」から、意図をどれくらい汲み取り内容を腹に落とし、自部署の計画に落とし込むかがポイントになる。


私からは、「決断と実践」「発想の転換」ということを求め、事例として月刊誌「致知」8月号の対談記事を紹介した。それは、旭山動物園の小菅名誉園長と、JR北海道の柿沼副社長のもので、そのタイトルが「感奮興起」であった。

象徴的な言葉は、「身の丈の追求」、「切羽詰まらないと知恵は出ない」、「本質のところで勝負」などである。

「何かに感じ、自分もうかうかしておれないと奮い立つ」、これが感奮興起の意味だが、研修の場は、まさに「気付きの場」でもあった。会食の場も同様である。


私にメールをくれたマネージャー達。
彼らは研修や会食の場において、「何かに感じてもらった」と思う。

景況が悪い中、苦しい毎日は自分一人ではない。
一生懸命考えていたつもりだが、まだ足りなかった。
原点に返ったら、やるべきことが見えてきた。などなど・・・

彼らの懸命さが伝わってくる。


担当していることは違えども、向っている方向は一つだということを感じさせてもらった。


posted by 伊藤保徳 at 15:34| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

決断の前提

今年のマネージャー研修も、昨日の東京地区での開催で終了した。

六ヶ所にて開催したが、一番強調したことは「決断と実践」である。
「長たる者、なすべき事の一番は《決断》である」、とはよく言われることだが、この決断がなかなか難しい。

使命や責任が自覚できていることや、なすべきことが明確に認識できていることがその前提となろう。

決断するには、「相応の覚悟」が持つことでもある。


今回の研修では、「聞くこと」「話すこと」「考えること」そして「書くこと」を中心に実施したが、これは「なすべき事」を明確にし、実践の決意を促すものであった。

この時期、使命や責任を果たすため、行なわねばならないことが山のようにある。ともすれば、やることばかりで何から手をつけるべきか悩んでいるマネージャーも少なくない。

もう一度上司の考えや思いを「聞く」。
これは、部門長に改めて文字にしてもらい、方策や思いを語ってもらった。
目標に対する方向付けや具体的な施策についてはすでに認識されているが、改めて、「何をするのか」「なぜするのか」、つまり「What と Why」を語ってもらった。

次にマネジャーは、自身のなすべき事や部下に行わせることなどを文字にして披露してもらった。


今期のスタート段階に計画したことの修正を含め、なすべき事を確認してもらった。
よく聞いた上で、「言葉にする」「文字にする」ということは、考える行為そのものでもある。

加えて、幾つかの事柄の優先順位も明らかになる。


決断すべき前提が整ったと思っている。
意識の強さに差はあろうが、その強さが目標達成力となることであろう。


研修の中で、「感奮興起」の意義について事例を交えて話をしたが、この研修に参加したメンバーが、何かを感じ、自分もうかうかしておれないと奮い立ってくれたなら、研修目的の多くは達成できたと思う。

そういう私も「決断」という言葉の重さを改めて感じている。


posted by 伊藤保徳 at 06:11| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

電気使用安全月間

8月も残りわずかである。
8月らしい天気は僅かで、温度や日照の関係で農作物には大きな影響が出ているようだ。

ところで8月は「電気安全使用月間」であった。
いつの頃からは分らないが、「そう言われてみれば・・・」という程度の認識であった。


8月16日、水俣へ出張した折、博多からJR九州の「リレーつばめ」を利用した。
鹿児島本線の鹿児島から新八代までは「九州新幹線」が運行されているが、新八代と博多間はまだである。そしてその間の特急が新幹線と連絡しているのである。

「リレーつばめ」とは、そのままのネーミングである。


さて、その列車に備え付けの雑誌(プリーズ・8月号)があるが、その中に「電気使用安全月間」のPRが載っていた。
それを見て「ああ、そうなんだ」と思った。

なかなか面白い内容である。
いわゆる二枚の同じようなイラストから、「危ない電気使用」の箇所を見つけ出すというクイズになっている。掲載していたのは「九州電気保安協会」であった。

一応電気関係の仕事に従事しており、簡単に見つけられると思い一つづつ確認をした。ところが、6ヶ所あるというのに、どうしても残りの一つが見つからなかった。
その時はそれまでのことであった。ただその小冊子は持ちかえって来た。

更に、水俣からの帰路、博多から福岡空港への地下鉄の中にも同様のポスターが掲示してあった。
なかなか力が入っていることを感じたが、当地ではその種のポスターは目にしたことがなく、余計に印象的であった。


ところが、26日の朝、倫理法人会のモーニングセミナーに出かけたとき、その会社の倉庫の扉に「中部電気保安協会」の電気使用安全啓蒙ポスターが張ってあった。
こちらは、「象の大きな足が、コードを踏みつけている写真」がデザインされ、「コードには重いものを置かないように」、というコピーがあった。


そして今、8月が「電気安全使用月間」であることを書こうと思い、もう一度「危ない所探し」のイラストを見てみた。どう見ても5ヶ所しか見つからない。
正解は「ホームページで」、とあったので開いてみた。

何のことはない。残りの1ヶ所は「人形」であった。
文章で表現するのはなかなか難しいが、イラストの中でサイドボードの上の人形が「ホアン君からローデン」に変わっているという解答であった。

ホアン君とは「保安」をもじった協会のキャラクターのようだ。そして「ローデン」とは「漏電」をもじった「悪役キャラクター」であった。


因みに、九州電気保安協会のホームページには、「キッズコーナー」があり、電気に関わるいろいろな知識や情報がとても分りやすく掲載されている。
九州では、「ホアン君」や「ローデン」は認知されているのかもしれない。


我々の業界も、電気の安全使用を啓蒙する活動を展開しているが、この8月の「電気安全使用月間」に便乗した方がもっと効果的だと感じる。

9月早々、業界会合が予定されており、是非提案したいと思っている。


posted by 伊藤保徳 at 19:02| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

文化センター

東京都内で研修を行うには、それなりの苦労が伴うものである。

昨日つくば工場でのマネージャー研修を終え、今日は東京での研修であった。
朝6時からは、倫理法人会のモーニングセミナー、たまたま私の当番であり、40分ほどの講話を行ない、その後東京に来た。

この会場が素晴らしい?

さすがと言うべきか、まったく融通は利かず、開始30分前の午後1時30分にならなければ会場に入ることは許されず、これには少々閉口した。



会場がまた不思議である。
床はフローリングであり、一般的な研修会とは些か趣が違う。

正面に全身の写る鏡のあることを見つけ、「ここは研修会場ではなく、ダンス練習所だ!」と思った。それは、私の思いだけではなく、どうも事実のようであった。


こんな状況で、第一日目を終了した。


いろいろなことがある。
それはそれで楽しみであるが、研修の目的が達せられてのことである。

一部の人たちに感想を聞いたが、それなりに感じるものがあった様子。
全てOKではないが、ゆっくり休めそうである。


会場で、インターネットがつながらず、ホテルに入り、眠る前に書き始めたが、なかなか文章にならない。


以上。

posted by 伊藤保徳 at 23:58| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

地元びいき

旅先で高校野球の事を書いた。
今夏の甲子園は、中京大中京の優勝であったが、私も愛知県民の一人として、昨日の試合は観戦したかった。

しかし、丁度マネージャー研修の最中であり、終了後ホテルでニュースなどで、相手チームの驚異的な粘りを知り、さぞかし手に汗握る9回であったことだろう。


今朝、ホテルで新聞にも一通り目を通したが、「43年ぶりの優勝」「古豪相手に驚異の粘り」、などの文字が並んでいた。

夕方自宅に戻り、今日の中日新聞を見てみると、土浦で見た新聞とはその扱いがまるで違う。
第一面はもとより、社会面でも「中京大中京優勝の記事」で一杯である。県内版は増ページをし、まるで高校野球特集である。
選手それぞれのコメントも顔写真入りであった。

まさしく地元びいきである。
地元の人間にとっては、これがまた嬉しいのである。


驚異の粘りを発揮した日大文理の新潟県でも同じ現象が起きていることであろう。


更に、今日の夕刊では、昨日の野球放送(NHK)の視聴率の記事があり、名古屋地区で平均25.1%、瞬間最高視聴率は、午後3時21分、9回表日大文理がツーアウトで6点目を入れた場面で30.6%だったとのこと。
因みに関東地区の平均は6.9%、関西地区の平均は8.5%だったという。


高校野球は県別の対抗であるが、異常に盛り上がる。
他に、国体など県対抗という競技会はあるが比べものにならない。
高校野球は「地元びいき」が色濃く出る催しものでもある。


このような、地域住民が心を一つにすることを「町づくり」に活かせないものかと思ったりする。

高校生の教育の一環である野球に思惑を持つのは不謹慎かもしれないが、「わが町、我が郷土」という意識を持つにはよき対象だと思う。

「町づくり」をする上で、気持ちを一つにする何かを持つことは、とても重要に思う。


「地元びいき」とは、誇りの基だと思うからである。


posted by 伊藤保徳 at 21:30| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高校野球

今年の高校野球は、愛知県代表の中京大中京が優勝して閉幕した。

43年ぶり、7度目の優勝とのことであるが、愛知県出身者の私にとっては嬉しい出来事であった。
私の高校時代は、愛知県勢が甲子園で大活躍している時代であり、県大会においても「常勝校」以外はあまり盛り上がらなかったように思う。

いわゆる名門校というのがあり、限られたチームでの戦いだったようにも感じる。甲子園でも同様であったようだ。

それも「PL学園」くらいまでで、その後は「どこが優勝するのか分らない」というようになり、高校野球への注目が一層高まってきた。

ローカル放送では、県大会の実況までするようになった。


これだけ国民が注目するスポーツなのに、世界から見れば、普及しているのはアメリカと東アジアだけだという。オリンピック競技から外されてしまったのもこうした実情からのようだ。

私の生きて来た時代のスポーツといえば、一に野球であった。
プロ野球の選手はスターであり、子供心に大きな憧れを持ったものである。こうしたプロ野球に対しも、野球というスポーツに対して、高校野球が果たしている貢献は大きなものがある。

「高校野球よ永遠なれ」、と思うのは私だけではないと思う。


ところで、私は小さい頃から自ら野球をしたことが殆んどない。
専ら観戦が好きなのである。

そんな私が数年間野球に打ち込んだ時期がある。
昭和53年頃からのことであるが、社内の軟式野球部と関わりを持ったことがある。

当初は「部長」のような立場であったが、後に部員の好意で「監督」をさせてもらったことがある。
この時期、ルールを勉強したり、プレーを真剣に見つめ、その感想を試合後のミーティングで述べたが、このことがとても面白かった。

細かく観察することで、プレーヤーのうまさやチームの強さは分るものである。


こんな経験もあったが、相変わらず野球は「観戦派」である。





posted by 伊藤保徳 at 10:16| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

二十年史

今日からつくば工場でマネージャー研修を行うことになっている。

約束のj間に土浦駅に着いたところ、工場長自らが迎えにきてくれていた。
工場までは、車で10分少しだが、周りの風景は20年前と殆んど変わっていない。こんな感想を漏らしたからではないと思うが、工場長から「お願いがあります」、とのこと。

工場で、現在二十年史を制作しているが、内容についてアドバイスをして欲しいということであった。


工場に着き、興味もあったので早速見せてもらった。
目次があり、内容についても80%程度出来上がっていた。早速目を通させてもらい、気のついたことはその場でアドバイスをした。

しかし、少し考えることもあり、目次の部分だけをコピーしてもらった。

じっくりと見たが、何かが足りないという思いである。


5年ほど前、マネージャー研修でのフリートーキングの時に一つの提案をしたことがある。
工場、支店・営業所の「物語」を作ってはどうかということであった。

今の責任者が、「工場の歴史や、その変遷を知っているのか?」、「そのことをキチンと伝えているか?」という素朴な疑問から、「物語」としてキチンと整理、記録として残してはどうかという内容であった。

この事についてまだ具体的な活動にはなっていないが、「つくば工場二十年史」のことを聞き思い出した。


足りないのは「文化」に関する記述だと思った。

1989年に操業開始をしたつくば工場であるが、戦略などにも翻弄され、なかなか自立できなかった。しかし、最悪期から社員の必死の思いや協力体制により、今や、経営上重要な位置づけにある。
このプロセスこそ、記録に残すべきである。

何年に何をした。そしてこういう結果が出た。
あるいは、どんな設備でどんな製品を生み出してきた。

こうした記録も重要であるが、もっと大切なことは、積極的な「改善活動や環境活動」が行われるようになった「文化」や「組織風土」。そしてこうしたことがどんな出来事を通じて培われてきたのか、ではなかろうか。


私はこうしたことを是非盛り込んで欲しいと思う。

そのことが「つくば工場らしさ」を明らかにすることであり、長く大切にすべき「文化」だと思うからである。


発行が楽しみである。


posted by 伊藤保徳 at 16:08| Comment(3) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

夏祭り

昨日の土曜日、各所で夏祭りがあった。

一つは、地元の「本地地蔵祭り」である。昔から「雨降り地蔵」といわれるように、当日必ずといっていいほど雨が降る。

そのいわれはこのブログで昨年詳しく書いた。(08.8.21「雨降り地蔵」)
昨日もそのいわれの如く午前中は雨であった。しかし昼頃からは雨もあがり、祭りは予定通り開始された。
屋台が沢山出て賑わいの境内では盆踊りが行われ、7時半からは花火が打ち上げられた。

この花火、規模は小さいながらも広く地元住民からの協賛で行われており、市民による「奉納花火」の数も年々増えている。
今年も、自宅の部屋で楽しませてもらった。


花火の終了は午後8時頃だが、例年8時から隣町の長久手でも花火が打ち上げられる。
昨年までは、音は聞こえるものの花火は殆んど見えなかったが、今年は自宅からよく見えた。しかもその時間が長く、概ね1時間くらいであった。

今朝の新聞を見て、それが「ながくて納涼まつり」であり、花火はなんと2000発打ち上げられたとのことである。
長久手町は、2005年の愛知万博以来とても元気である。


さて、昨日はもう一つの夏祭りを見た。
昨日参加した「ドリームプラン・プレゼンテーション」の会場が名古屋栄でであり、広小路通りに面したビルであった。

そのビルに入る頃は普段どおりの景色であったが、イベントが終了し、屋外に出たときには様相が一変していた。
聞けば、土日が広小路祭りとのこと。
歩道には、沢山の屋台がテントを連ねており、夕方5時からは車道(広小路通り)も歩行者天国になるということであった。


今年の夏は「梅雨明け」の遅れとか、冷夏といわれているが「夏祭り」は例年通りである。
むしろ、賑やかさを増しているようにも思える。

春祭りや秋祭りは、農耕文化の一つだと思うが、夏祭りは「お盆」という共通的な思想はありそうだが、かなり自由に企画運営されている。
学校が「休み」ということも影響しているのであろう。

従って、「町のお祭り」という感が強い。


今月最後の土日には、「日本ど真ん中祭り」が名古屋で開催されるが、「群舞」が夏祭りの主役になる日もそれほど遠くないような気がする。


posted by 伊藤保徳 at 14:32| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。