2009年05月31日

夢七訓

5月30日の土曜日、午前10から日進市倫理法人会の「倫理経営講演会」が開催され出席した。

この倫理講演会は、全国に500以上ある各法人会で毎年一回開催されるもので、近隣の法人会から参加の案内があり、できる限り出席しようと思っている。
日進市倫理法人会は、我が、瀬戸市倫理法人会の生みの親でもあり、仲間を誘って参加した。

内容は、事業体験報告とスーパーバイザーの講演で、各所同じである。
演題も同じようなものが多いが、講師が違うのでその内容は興味もあるし参考にもなる。


今回の講演会で、最も印象深かったのは『夢七訓』である。
倫理研究所法人スーパーバイザーの金子講師が引用されたが、ご自身の会社の「精神的な柱」という説明で、全文のプリントも配布された。

「夢 七訓」   渋沢栄一
夢なき者は  理想なし
理想なき者は 信念なし
信念なき者は 計画なし
計画なき者は 実行なし
実行なき者は 成果なし
成果なき者は 幸福なし
故に
幸福を求める者は 夢なかるべからず


講師は、埼玉県で事業を営んでみえるが、郷土の三大偉人(渋沢栄一・塙保己一・荻野銀子)をとても尊敬されているようだ。中でも、「論語とそろばん」で有名な、渋沢栄一への気持ちが強く、この「夢七訓」を精神的支柱にされているようだ。

渋沢栄一は私自身興味を持っているが、「夢七訓」は知らなかった。

彼が唱えた企業(事業)経営の本質は、「経済と道徳の一致」であり、正しい経済的活動とは道徳性の高いものでなくてはならない、というものだと理解している。
それが、「右手に論語、左手にそろばん」という表現で示されている。

講師は、「倫理とそろばん」と言い換えられていたが、意図は同じであろう。


全くの偶然であるが、講演会会場に一冊の本を持ち込んでいた。
『モラロジー経営原論』(広池学園出版部発行)という本で、大学院の講義に利用しようと思っている。そしてたまたま、「道徳経済一体の原理」というページを開いていた。

《元来、経済と道徳が一体でなければならないという思想は、古くは諸聖人の教説にみられます。・・・》と続くが、その中に、渋沢栄一の「道徳経済合一説」の説明もあった。

不思議な縁を感じた。

倫理法人会という、法人の集まりであり、もっと「企業経営」について踏み込んだ勉強機会があってもいいと感じていたが、今回の講演会では「倫理経営」の一端を学ばせてもらった。

大学院の授業を挑戦的なものにしようと思っていたが、背中を押してもらった気分である。


posted by 伊藤保徳 at 16:08| Comment(2) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

毎日コツコツ

前回に引き続いて、「直感とひらめき」の話。

直感もひらめきも同じような意味で使っているが実は違う。
その違いは、思い付いたことについて、その理由が説明できるかどうかということであった。

説明できるのが「ひらめき」で、できないのが「直感」ということであった。
(東京大学大学院薬学系研究科准教授の講演録より)

この講演で、「直感」は高めることができるということに興味を持った。

脳の中で、大人になっても大きくなる場所というのが「前頭葉」と「線条体」という二つの部位だそうだ。前頭葉は人間の社会性を生む人づき合いなどの司るところであり、もう一つが線条体から直感は生まれるという。

線条体が大人になっても成長すると言うことは、経験を重ねるほどに直感力が高まる、という説明である。

この事を、「一夜漬けの勉強は効果的か?」という実験結果を紹介しながら説明をしている。

三つのグループに対し、同じ問題を事前に勉強をしてもらいテストを受けてもらうというもの。
Aグループには、テスト前々日と前日の二日間、30分づつ合計1時間勉強してもらった。Bグループには、前日に30分づつ二回、合計1時間の勉強。そしてCグループは前日30分を一回勉強をしてもらってテストを受けた。

結果は、30分一回だけのCグループの点数は低く、あとのAとBは変わらなかったという。
少しづつ毎日コツコツやる「分散学習」も、まとめて沢山やる「集中学習」もテストの点数は変わらなかったということで、一夜漬けでもそれなりの点数がとれると証明された。

ところが、その後に差が出たというのである。
翌日もう一度同じテストをやったところ、全体的に点数は下がったが、「毎日コツコツ」の方が30%ほど高い結果になったとのこと。

これは、「毎日コツコツ」の方が忘れにくく、定着率が高いということである。

こうした実験結果をもとに、「経験を重ねるほどに線条体が発達し、直感力が高まる」ことが説明された。
子どもより、大人の方が直感力に優れていることの証明でもある。


「毎日コツコツ」行うことの重要性を再認識させてもらった。

ある課題解決のために、集中的に学習することも重要だが、常日頃からコツコツと学習することの方がもっと大切である。
経験を重ねるということも、単に年を重ねることではなく、日々学習を意識することであろう。そしてそれが、直感力を高めることにもなるのである。


私の座右の銘は「我以外皆師」であるが、その意味が一つ深くなった思いである。
posted by 伊藤保徳 at 23:18| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

直感とひらめき

昨日、手許に届いた小冊子に「脳」に関する面白い話が載っていた。

毎月届くその冊子は、みずほ総合研究所発行の「FORUM-M定例講演会録」である。
本年3月11日、東商ホールで開催された「脳はなぜ言うことを聞いてくれないか」という演題で、東京大学大学院薬学系研究科准教授、池谷裕二氏の講演内容であった。

昼休み、一気に読んだが、不思議な脳の働きについての話でとても興味深いものであった。

その中の一つ、「直感とひらめき」について紹介する。

要旨は、「若者に比べ年配者のほうが直感力に優れている。これは、繰り返しの訓練によって直感力が身に付くことに加え、直感を生む「線条体」という部位は、脳の中でも珍しく大人になっても成長し続けるためである」、というもの。

更に、「直感とひらめき」は一般的には同じような意味にとらえれれて入るが、全く異なるものだという説明もあった。
むしろ、まずは「直感とひらめき」とは違うものであるという認識が前提のようである。

しからば・・・と、広辞苑を見てみた。
「直感」・・・説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること。
「ひらめき」・・・鋭敏な頭の働き。優れた思い付きや直感。・・・とあり、「同じよう意味」が解説してあった。

ところが、池谷氏の「違いの説明」は実に明確で、次のように述べている。
《直感について考えるとき、まず気をつけなければいけないのは、直感と「ひらめき」は違うということを踏まえておくことです。

日常生活ではほとんど同じ意味で使っています。しかし、この二つは全く違う脳の能力です。混同してはいけません。

直感は線条体、ひらめきは大脳皮質が行います。英語でも違います。直感は intuition、ひらめきはinspiration といいます。

何がどう違うかというと、理由がわかるか、わからないかです。

あるときふと思いつく、というのは両者とも一緒です。しかし、思いついた後が全然違ってきます。思いついたものに対して理由がいえるケースはひらめきです。「あの時は思いつかなかったけれど、今はわかります」というふうに納得できる。これがひらめきです。

一方直感は本人にも理由がわかりません。「なんでからないけれど、こういうことかな・・・」という感じです。これは重要なことで、しかも直感は意外と正しい。これがポイントです。」


いささか引用が長くなったが、同じように使っている「直感とひらめき」の違うことがわかった。
私の勝手な理解だが、「直感」というのは、積み重ねられた経験から「脳」が感じたものであり、「ひらめき」とは、いろいろな事実を組み合わせ、あることを導き出す(感じる)ことだと思った。

「ひらめき」は「推測」に似ているとも言えよう。


講演では、このことの証明のために各種の実験結果も説明されたようだ。


そして、「直感」は訓練によって高められるものだということも解説されている。
この点については、改めて紹介したいと思う。
posted by 伊藤保徳 at 06:59| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

キレイを広げる

昨日、「掃除に学ぶ」という話を紹介したが、一つ思い出したことがある。

トイレ掃除で、便器を素手で磨くわけだが、そのコツは「10cm平方」をまずキレイにすることだという。まずは小さな範囲を集中的に磨くというわけである。
当然のことながら、その周りとは歴然と違ってくる。

それを見て当然のことながら、「もう少し範囲を広くしよう」、という気になる。そして「キレイを広げていく」のである。

「一つ拾えば、一つだけキレイになる」、という言葉を紹介したが、まずは小さな一つ、狭い一箇所をキレイにすることである。要は「実践」である。
雑草取りなども全く同じことがいえる。


倫理法人会で共に勉強している仲間で、社長自ら朝一番に会社の前や周りを掃除をしている人がいる。体験談として聞いたが、最初は「会社の前だけ」をきれいにしていたが、段々とその範囲は広がり、今や道路に沿って1キロ近くまでになったとの事。これなどは、「キレイを広げる」モデルである。

小さな行為が段々と大きくなっていく。それに対して協力者も現れる。そして更に大きくなっていく。

体験として語られる時、それが少しも苦痛ではなく、むしろ楽しみになっている点が素晴らしい。

結局、小さなことからはじめ、それが世のため人のためになり、ひいては自身の喜びとなる。「実践」とはこういうことを言うのである。
「実践」とは「実行」とは異なることを教えてもらったが、@良いことをする A自分からする B積極的にする C続けてする D出来るまでする ことであり、結果として、「感性が良くなる」 「やさしくなる」 「感謝する心が育つ」ことになる。

掃除の実践ということからこんなことを気づかせてもらった。


職場でも始業前に清掃を行っているが、「掃除から学ぶ」という姿勢や、「キレイを広げる」という精神に欠けているように思う。
朝礼前の10分程度の時間、掃除を行っているが、それは真の掃除ではないと感じる。


「小さな範囲からはじめる」、そして「その場所を徹底する」ことが重要であり、全体を何となく行っているため時間が来ると終わってしまうのである。結果、何も残らない。


考え直す必要がある。
posted by 伊藤保徳 at 07:08| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊藤ゼミ

名古屋学院大学大学院で今年4月からゼミを担当することになった。
隔週の水曜日、午後6時15分から9時までである。

「経営管理系演習」であるが、実践的な内容にしようと考えている。

ゼミ生は二人(共に、我社の社員)で、社会人二年目というフレッシュマンである。

開講して間もないが、5月中には「研究分野」の絞込みをしようとしていたが、27日の水曜日には概ね焦点が定まってきた。

一人は、「マーケティング」、そしてもう一人は「人的資源」に関する研究を進めようとしている。
全体の流れとしては、先行研究や伝統的理論を検証し、現場での活動実態との比較。次には、我社の経営史を概観し、その評価と課題を明らかにする。その上で、効果的な対策案を導き出してもらおうと考えている。

何とか一年位でまとめ上げてもらおうと思う。


ただ、このことだけに絞った指導でいいのかどうか。
一年という時間があるので、なるべく多くのことを伝えたいとも考えている。

彼らが抱いている興味を生かし、「経営の視点」から議論などもしたいと思う。
例えば、コミックの世界である。
これを娯楽とだけ見るのではなく、もっと理解を深めたならばそこには参考となる「生きざま」とか、異なる「発想」や「考え方」が必ずある。

そうしたことを小論文にまとめることで、従来とは違う「知的世界」が広がると思う。

私自身が大学院生の時、教室よりも食事などの場から得たものが多かったと思っているし、二人にはなるべく多くそうした機会を提供するつもりでいる。そして出来るだけゲストも招きたいと考えている。

これからが楽しみである。
posted by 伊藤保徳 at 06:26| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

掃除に学ぶ

5月27日のモーニングセミナーは、豊田市中央倫理法人会会長であり、「豊田掃除に学ぶ会」の代表世話人でもある山中敦子氏が講師で、テーマは「掃除に学ぶ」であった。

掃除といえば、イエローハット相談役の鍵山氏が有名であるが、「掃除を通して自分を磨く」、という程度の認識であった。

また、この行いを「下座行」という人もあり、掃除は自身の徳を高めるためには有効であるようだ。しかし、「なぜ?」という疑問は常にあった。

その疑問が少し解けたような気がした講話であった。


一番のポイントは「掃除に学ぶ」ということである。「掃除をする」というのではなく、掃除に学ばせてもらうという姿勢である。

まずは掃除には型があるということ。

そのことを、豊田市の猿投台中学校で、生徒や保護者、教員ら約250人で実行されたトイレ掃除の様子を紹介しながらの説明があった。

グループごとに整列し、リーダーから「掃除の意味」や「掃除の仕方」についての説明の後、取り掛かるのである。道具の点検や置き方も指示があるようで、それらには全て「何故そうするか」、という説明があるようだ。

掃除の仕方についても、正しい姿勢がある。
便器の掃除を「素手」で行うわけだが、素手で行う意味がある。この説明がとてもよい。

《素手で行うとは・・・、問題に近づくことだ。》
汚れを視覚だけでとらえるのではなく、「触覚」をも使って汚れを見つけ、そして磨きあげるという。手袋をしていては発見できない汚れも素手であれば見つけられるのである。


説明の中で心に残ったことは、「掃除こそは倫理の実践である」、という言葉である。

倫理は実践することこそが重要だということを教えられているが、なかなか難しいものである。山中氏も同様な思いのようだが、掃除をすることに意義を見出されたのは、「実践の効果」がすぐわかるということである。

掃除をすれば、すぐに結果が出る。
ことの大小は大きな問題ではない。掃除という行為で、「美しくなる」という結果が得られる。つまり、「良い行為には良い結果が」、とでも言えよう。

豊田掃除に学ぶ会、代表世話人の名刺に、『一つ拾えば ひとつだけきれいになる』という言葉があった。
全くその通りだと思った。

「ごみを一つ拾う」 その行為は小さなものではあるが、確実に「一つきれいになる」のである。

自身を省みて、「ごみを一つくらい拾ったところで大したことはない」とか、「そんな事をしたってキリがない」と思って行動に移していない事を恥じ入るばかりである。

ごみが落ちていたら自ら拾う。
その行動こそが倫理の実践なんだと改めて感じた。


まさに、「掃除に学ぶ」である。
posted by 伊藤保徳 at 19:21| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

決断と実践

昨日の午後7時からと、今朝午前6時からのセミナー(瀬戸市倫理法人会)は、豊田市中央倫理法人会の山中会長による講話であった。

噂には聞いていたが、なかなか凄い人である。
自ら法人会を立ち上げ、会員拡大に努められ先頃、それを三つに分割という前例のない事を成し遂げた人物である。しかも女性である。

一つの事を、何が何でも成し遂げるという強さ。
その秘密がどこにあるのか、興味を持って聞いた。


感じたことは、決断力と実践力である。

会長は、岐阜県出身で嫁ぎ先が食品スーパーであった。
嫁の立場、妻の立場に加え、家業の手伝いを通じて、人間を磨かれてきた。その核となっているのが「ものの見方、考え方」であり、「よい方に、よい方に・・・」と考え、決断と実践をされてきたようだ。

(20年前から)倫理の勉強と実践で、そのことに磨きがかかり、今では「悩みはない」、とまで言い切られた。

スーパーの経営に対しても、創業者に仕えて経営を学ばれ、夫である社長の片腕となって業容の拡大に大きな貢献をされている。そして、先月には長男が社長に就任されたが、自身は専務として経営に関わってゆかれるようだ。

これは想像だが、専務としての経営上の役割は「社員の躾」が主たるものだと感じた。

事業は人であるが、特に小売業にあって社員の知識、態度というものが一番の差別化要素であり、それを高めることは結果として業績を高めることになる。
それが倫理経営だと思った。

良いと思ったことは決断し、実践する。
この姿勢が素晴らしい。

経営も法人会運営でも全く同じスタンスで取組まれていることが理解できた。

なかなか真似はできないが、「決断する」「実践する」ことは、心がけたいものである。

「悩みがない・・・」と言い切れるのも、決断が早いからなのであろう。


posted by 伊藤保徳 at 14:10| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

コナモン文化

先日新幹線を利用した折、車内誌「ひととき」に『幅広く、奥深い 大阪コナモン文化』という記事があった。

初めて目にする言葉であり、「なんだろう?」と思って読んだが、「コナモン」とは「粉もの」のことであった。つまり、粉を材料とした食べもののことで、たこ焼き、お好み焼き、うどんなどのことである。

記事は「ちょっと寄り道うまいもの」という連載物で、フォトジャーナリストの森枝卓士氏の文であった。
氏は、主として食文化の視点から写真、レポートなどを発表しているとの事で、食に関する著書も多く出されているという。

文中、「コナモン」については詳しい説明がないところを見ると、この世界では「常識」なのかもしれないが、私ははじめて知った。

早速ネットで検索したところ、「日本コナモン協会」なる団体のあることや、「コナモン」を通して食文化の交流や町おこしをしているとのことであった。

「日本コナモン協会」の基本理念は、「コナを食し、コナと遊ぶ」 「あらゆる食材はコナにすることで新しい可能性を生む」 「コナから生まれた食宇宙、コナモンの魅力を味わっていきたい」・・・とある。

会長は、熊谷真菜氏という女性で、大学時代には「たこ焼き」の研究をしたとのことである。

協会では、「粉モンNEWS」を配信しており、早速メール登録をした。その日のうちに最新号が送られてきたが、イベントなどの情報が中心で興味を覚えた。


随分前には、「グルメ」が流行したことがあるが、何年か前からは「B級グルメ」として、庶民の食べものが脚光を浴びるようになった。
「たこ焼き」はもとより、「焼きそば」「餃子」「ラーメン」などである。
考えて見れば、それらは全て「コナモン」である。

興味を持ったのは、食べもの材料を「粉」(コナモン文化)という切り口でとらえている事と、その土地独自の「粉モン食」があり、それをアピールすることによって町おこしになるということである。


コナモン協会でも、全国各地の「コナモン」発掘と交流を進めようとしている。

我が瀬戸市でも、「コナモン文化」という視点で食べものを見てみると、意外な発見があるかもしれない。


私自身、お好み焼きや麺類など、「コナモン」は大好きである。
posted by 伊藤保徳 at 06:35| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

人間教育

スポーツの世界でも「人間教育」が極めて重要であることを改めて感じている。

大相撲において、「横綱の品格」などの問題指摘もこれにあたるのではなかろうか。

大相撲の世界では、大学時代にそれなりの成績をおさめた人は、「幕下付けだし」でデビューしており、幕の内、三役と割りにスピーディーに出世している。しかし、それからがなかなか伸びなく、寿命も長くはない。

それに引き替え、昔の力士は中学生の年代からじっくり育てられ、技術はもとより人間的にも磨かれて、大関や横綱になる頃には、人間的にも立派になっている様に思う。
何も、時間をかければよいというものではないが、それなりの人間教育が必要である。


企業内教育でも全く同じことが言える。

我社の社員教育は、1960年半ばから大変積極的に行われていた。それは、モラロジーの影響もあったと思うが、一にも二にも人間教育であった。
ただ、教育を受ける側はそれを「思想教育」と理解し、必ずしも積極的ではなかったように思う。仕事をうまく行う技術(技能)教育こそが社員教育であると考えていた。

私自身もそうした考えであったが、歳を重ねるにしたがい、それが「人間教育」であり、最も基本であるという事が理解できるようになった。

救いは、社会に出て間もないころのことであり、いくつかのことは記憶に残っていることである。


古い資料を調べて見たところ、社員教育で最後にモラロジーを勉強したのが1979年のことである。
この年の6月12日から16日までの5日間、毎日夕方6時30分から9時まで、モラロジー講習会に出席した記録が残っている。

手許にあるテキストには、いろいろな書き込みがある。
それらが陳腐化していないのは、真理であることにほかならない。

30年も前のことだが、当時のテキストを捨てなかったのは何か思うことがあったからであろう。


今、人づくりに使命を感じ、いろいろなことを行っているが、純粋倫理、人間学、そしてモラロジーを改めて学ぶ機会を得て、なすべきことが明らかになったような気がしている。

その縁に感謝。
posted by 伊藤保徳 at 23:00| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

美しく勝つ

大相撲五月場所は、大関日馬富士の初優勝で閉幕したが、たまたま昨日の千秋楽はテレビ観戦をしていた。

相撲というのは、当人の実力もさることながら、「勢い」が時の勝敗を決するものだということを感じた。

大相撲は昔からのファンであり、定年になる元高見山が現役だったもう一世代前の力士も多く記憶にある。

名古屋場所で、初めて力士を見たときには、「とても美しい」とも思った。
型や振る舞いにもいろいろな決め事があり、「格闘技」ではなく「相撲道」といわれてもいる。「国技」たるゆえんである。

「美しい勝ち方」も求められている。


相撲の話はさておき、野球の世界でも「美しく勝つ」、という話しがあるようだ。

今週の倫理(613号)に、『美しく勝つために、人的な質の向上を』というタイトルで、先の選抜高校野球で準優勝をした花巻高等学校の佐々木監督の話が載っていた。

監督は就任8年になるとのことだが、その指導方針は、野球選手を育てるのではなく、『野球もできる立派な社会人を育てる』という。
技術より先に、生活態度全般の指導に力点を置いており、《美しく勝つ》ことがチームの合言葉だそうだ。

「美しく勝つとは」・・・。

詳しい説明はないが、「礼」を重んじることだろうと理解した。
「礼儀」「節操」は、相手に対してだけではなく、先ずは自分自身を律し、日常生活全般にわたって理にかなった行いをすることだと思っている。

川村主将の言葉がいい。
《勝つ自信があるのではなく、自分達がやってきたことに自信がある》・・・と。

選手に、こう言わしめる指導内容とは?
興味は尽きない。

文章では、この主将の言葉について、《人間教育によって築かれた自律力の高さを垣間見ることができます。》と評価している。
全く同じ感想である。


少し大げさに言えば、第一次オイルショック以降日本は、「米国を手本」とする傾向がより強くなったような気がする。
オイルショック前までの1970年代までは、「ものづくり」の手本を米国に求めたが、それはうまく日本に溶け込み、QCサークルとか「カイゼン」などは、日本発の手法ともなった。

しかし、「人材育成」の世界では、「スキル中心」が主流となり、人間教育が疎かになったような気がする。かくして、個人主義へと進んでしまった。


改めて人間教育の必要を感じる。
posted by 伊藤保徳 at 14:45| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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