2009年04月09日

地元の高校

縁があって地元の高校で授業を担当した。

昨日午後より、愛知県立瀬戸窯業高校の三年生約200人に、「社会人として」、というテーマで50分話をした。

本校に制服を納入している会社社長からの依頼であったが、地元の高校でもあり、私自身キャリア教育の一環という認識で引き受けた。

定刻より30分ほど前に出かけ、校長先生と担当の先生と話をしたが、本校の認識を新たにした。

先ずはその歴史である。
創立は、1895年(明治28年)であり今年で114年の歴史と伝統がある。
創立時は、瀬戸陶器学校と称し高名が示すとおり、地場産業の人材養成のために開校されたようだ。1911年(明治44年)には愛知県立瀬戸窯業学校と改称、「ものづくり人材」の育成に多大な貢献をされてきたと思う。

校長によれば、「同窓会の役員会は地元の名士ばかり・・・」とのことである。
なるほど、校門、玄関、校長室には、著名な陶芸作家の作品が多く展示してある。

私は本校の名前はよく知っているものの、学校に行ったのは初めてのことである。

地域と共に歴史を積み上げてきたと思えるのは、その「学科」の変遷である。
学校創立以来「窯業」の専門校であったが、戦後間もなく「定時制」(1950年・昭和25年)が開設されている。この頃の瀬戸は活況を呈していたと思われる。

陶磁器を始めとする地場産業は、小規模企業が多く経営者家族は全員が一緒になって働いており、高校の定時制が開設されたことはその実情に即したものだったと思われる。
この頃の記憶であるが、瀬戸市街地を取り巻く三方の山々に緑は極端に少なく、小学生の社会奉仕として「ハゲ山」に植樹をしたものである。

陶磁器を焼く燃料として樹木が使われたからである。

1959年(昭和32年)には「商業化が開設されたが、この頃が「作れば売れる時代」から「売れるものをつく時代」に変わる時期と重なる。
地場産業では「ノベルティー」(置物・おもちゃ)が隆盛の頃ではなかろうか。
それが、1965年(昭和40年)の「デザイン科」開設につながったと思われる。

そして第一次オイルショック(1973年)を経て陶磁器産業の低迷期に入る。
1979年(昭和54年)には、新たに「電子工学・機械科」が開設され、地域産業界が大きく変化した様子がうかがえる。

電気・自動車関連の産業が地域で台頭してきた時代である。
そして、1990年(平成2年)「窯業科」が「セラミック科」に名称が変更されている。


瀬戸窯業高校の歴史を「学科」で振り返って見ると、瀬戸市の産業構造の変遷とピタリと合う。一貫しているのは「モノづくり人材」の育成である。
これだけ地域に密着している高校は全国でも珍しいのではなかろうか。

地域の高校として、とても貴重な存在であることを再認識をした。


今年4月、3人の卒業生に入社してもらったが、校長との話の中で、もっと積極的なつながりを持つべきだと感じた。
それは、地域の「モノづくり」に関わる技能の伝承と共に、更にそれを高めるための企業としての協力である。


今回は、「講師」として出かけたが、もっといろいろなことを知り、つながりの可能性を模索したいものである。


posted by 伊藤保徳 at 08:32| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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