2009年04月05日

生き方

昨日は我社の本地工場構内での「花見の宴」があったが、その前に恒例の「木鶏クラブ」も開催され、両方に参加した。

雨が今にも降り出しそうな中で始められたが、途中参加の私も1時間半ほど楽しませてもらった。


木鶏クラブの4月例会は、「致知」4月号を使っての勉強会であったが、今号の特集は「いまをどう生きるのか」、という重いテーマであった。

参加者から印象に残った記事について感想を述べ合ったが、1人の参加者から「生き方」に関連し、事業の悩みについて披露があり、それに対する意見やアドバイスなどで多いに盛り上がった。

結局は、「人としての生き方」はどうあるべきかという意見交換となった。


会の代表という立場もあり、最後に「議論した内容の確認」として所見を述べた。

生き方について語る前に、この世に生を受けた意味である。
参加者の一人から、「私は、この世に生まれてきたのは『人を愛する』ためです。』との発言。私を含め、そうしたことはあまり考えたことはなく、驚きであった。

同時に、「なるほど」と思い、人それぞれ何かの役割を持って生まれてきたということを確認した。
この世にあるもの全てに役割や意味があると改めて感じた。

次に、生を受けた環境であるが、金品に恵まれていない場合を俗に貧乏というが、それは心(精神)まで貧乏ということではなく、そうした環境の中ではむしろ心が豊かに育つのではないかということ。
このことも参加者から、「貧乏だったから、我慢すること、辛抱することが身に付き、人さまの好意に心から感謝できるようになった。」との発言。

全くその通りだと思う。

そして「生き方」であるが、目の前にあること全てを「先ずは肯定する」ことが肝要であることを確認した。

相手の話を最後まできちんと聞くこと、相手や環境について文句を言わず認めること、壁とか苦難に遭遇したとしてもそれを甘んじて受けること、などである。

言葉でいえても実践となるとなかなか難しいことである。

松下幸之助氏の言う「素直になんなはれ」や、純粋倫理で言う「明朗・愛和・喜働」、ということだが、ついつい自分本位の考えに陥ってしまうものである。


木鶏クラブでの勉強会の狙いから言えば、参加者の発言に刺激をうけながら、一つでも二つでも参考にし、実践しようというものである。
それには先ず「日々意識する事」であろう。

私が改めて感じたことは、「つながり」ということである。
縦のつながりで言えば、両親や先祖とのつながりや会社における歴史や伝統であろうし、横とのつながりを言えば、仲間や社会とのつながりを考えるということになろう。

大きなつながりの中で、自分の役割を考えてみる。
さすれば、つねに「相手のため、社会のためになるかどうか」、という価値基準が出来ると思う。


『自分のこと、目先のことしか考えられなくなった時、人は必ず行き詰る』
松下幸之助氏が長年の経営人生から掴み取った「真理」だという。

心したい言葉である。


posted by 伊藤保徳 at 09:47| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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