2009年04月02日

過去を語る

昨日のモーニングセミナー(瀬戸市倫理法人会)は、三人の会員スピーチであった。

毎週水曜日の午前6時から開催されているが、この会員スピーチはとても好きな時間である。始まった当初は、自己紹介が中心で、3分足らずで終わってしまう人や15分くらい話す人もいたが、昨年8月頃より、15分間という時間とテーマの設定をし、レジュメも用意してもらうことになった。

回を重ねるごとに、会員のスピーチは抜群によくなり、楽しみの一つになった。

テーマは、セミナーのたびに輪読している「万人幸福の栞」から指定されるが、そこに書かれている内容と、自身の体験や考えを対比しての話は、参考になることはもとより、その人の再発見でもある。


昨日の三人もそうであった。
レジュメが用意してあり、話の流れもスムーズで、内容もよく理解できた。
レジュメのあることで、「喋り」ではなく、「語り」になる点が良い。

淡々と、しかも要領よく話される内容は、まさに学びの対象である。


その中の一人柴田さんは、さすが人生経験豊富で、その語りは心に残った。
熊本の田舎の出身だが、子どもの頃貧乏で苦労したこと、親父には拳骨指導、そして母親からは優しくく育てられたとのこと。

そうした境遇の中から、「辛抱すること」や、「人さまからのご好意に感謝すること」を学ばれたという。柴田さんと知り合って12〜3年だと思うが、その人柄がこうした過去に裏付けられたものであることを初めて知った。

「貧乏で苦労した」ことは聞いていたが、そうした苦労や暗さを微塵も感じない。むしろ、明るく、つねに座を盛り上げようとされている。
過去の苦労が人をつくっていると感じた。

「人はどん底にいると、ありがたみがよくわかる。また、よく見える。」
この言葉は心に残った。

スピーチの最後にこう結ばれた。
「倫理法人会で学ぶようになり、万人幸福の栞に書かれていることに、自分の過去や今を照らし合わせた時、『他人の話をよく聴く』『人さまの好意に感謝する』そして、『前向きに生きる』ということを学んだ。」・・・と。


「過去を語る」ということは、そこから学ぶことであり、明日からの生き方を改めて「決意」することなのであろう。

過去を喋るだけならそれは紹介の域を出ない。
「語る」とは、その事象(体験)を家族や社会の中での「つながり」を確認し、そこで得たことを言葉にすることだと思う。

その時には意識しなかったことの発見でもある。

「過去を語る」「自分を語る」ことの意義を改めて考えさせてもらった。


posted by 伊藤保徳 at 11:39| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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