2009年04月06日

せとこま登場

瀬戸の町を元気にしようと、兼ねてより準備をしていた「瀬戸狛犬」のキャラクターを初めて披露した。

4月4日の我社の「花見の宴」と、5日の「山の田祭り」の会場で、デビューである。

全国から「瀬戸狛犬」をキャラクターにしたデザインと愛称を募集、応募作品208点の中から「グランプリ」を決定、愛称は「せとこま」に決まった。
そのデザインをもとに、「着ぐるみ」をはじめ、陶製の置物、ストラップ、根付けなどが制作され、会場で販売もした。

中でも「着ぐるみ」はまたたく間に人気者となり、一緒に写真におさまったりしていた。

正式な披露は、4月19日の「陶祖祭」であるが今から楽しみである。
当日は、「グランプリ」の表彰式に続き、商店街を経由して深川神社まで「狛犬道中」を行う予定である。

この活動は、製陶会社の社長達有志が立ち上げたものだが、活動の拡張を考え私がプロジェクトの代表を務めることになった。
発足間もないが、4月の「陶祖祭」に「瀬戸キャラクター」として発表しようと、関係者に頑張ってもらい、第一の目標は達成できた。

今後どのようにPRして浸透させていくかが鍵であるが、焦らず地道に継続することが重要だと考えている。

それにしても瀬戸のモノづくりの底力は凄いものである。
デザインが決定したのは2月20日頃であり、それから40日で「製品化」してしまうネットワークというのは素晴らしい。

随分前のことであるが、瀬戸は「町中が工場」ということを聞いたことがある。
陶土を掘ることから、原型作り、成型、焼成と、一貫生産をしている所は少ないが、市内大小の工場が「製造システム」としてつながっているのである。

この力は大切にしなければならないし、生かす方策を考える必要もあろう。

要は「商品開発」にかかっていると思うが、こうしたことからも「陶製狛犬」を瀬戸のブランドにしたいものである。


「陶製の狛犬」はこの地方だけのものと聞く。
瀬戸のみやげ物として、町のシンボルとして育てあげていきたい。


posted by 伊藤保徳 at 06:21| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

生き方

昨日は我社の本地工場構内での「花見の宴」があったが、その前に恒例の「木鶏クラブ」も開催され、両方に参加した。

雨が今にも降り出しそうな中で始められたが、途中参加の私も1時間半ほど楽しませてもらった。


木鶏クラブの4月例会は、「致知」4月号を使っての勉強会であったが、今号の特集は「いまをどう生きるのか」、という重いテーマであった。

参加者から印象に残った記事について感想を述べ合ったが、1人の参加者から「生き方」に関連し、事業の悩みについて披露があり、それに対する意見やアドバイスなどで多いに盛り上がった。

結局は、「人としての生き方」はどうあるべきかという意見交換となった。


会の代表という立場もあり、最後に「議論した内容の確認」として所見を述べた。

生き方について語る前に、この世に生を受けた意味である。
参加者の一人から、「私は、この世に生まれてきたのは『人を愛する』ためです。』との発言。私を含め、そうしたことはあまり考えたことはなく、驚きであった。

同時に、「なるほど」と思い、人それぞれ何かの役割を持って生まれてきたということを確認した。
この世にあるもの全てに役割や意味があると改めて感じた。

次に、生を受けた環境であるが、金品に恵まれていない場合を俗に貧乏というが、それは心(精神)まで貧乏ということではなく、そうした環境の中ではむしろ心が豊かに育つのではないかということ。
このことも参加者から、「貧乏だったから、我慢すること、辛抱することが身に付き、人さまの好意に心から感謝できるようになった。」との発言。

全くその通りだと思う。

そして「生き方」であるが、目の前にあること全てを「先ずは肯定する」ことが肝要であることを確認した。

相手の話を最後まできちんと聞くこと、相手や環境について文句を言わず認めること、壁とか苦難に遭遇したとしてもそれを甘んじて受けること、などである。

言葉でいえても実践となるとなかなか難しいことである。

松下幸之助氏の言う「素直になんなはれ」や、純粋倫理で言う「明朗・愛和・喜働」、ということだが、ついつい自分本位の考えに陥ってしまうものである。


木鶏クラブでの勉強会の狙いから言えば、参加者の発言に刺激をうけながら、一つでも二つでも参考にし、実践しようというものである。
それには先ず「日々意識する事」であろう。

私が改めて感じたことは、「つながり」ということである。
縦のつながりで言えば、両親や先祖とのつながりや会社における歴史や伝統であろうし、横とのつながりを言えば、仲間や社会とのつながりを考えるということになろう。

大きなつながりの中で、自分の役割を考えてみる。
さすれば、つねに「相手のため、社会のためになるかどうか」、という価値基準が出来ると思う。


『自分のこと、目先のことしか考えられなくなった時、人は必ず行き詰る』
松下幸之助氏が長年の経営人生から掴み取った「真理」だという。

心したい言葉である。
posted by 伊藤保徳 at 09:47| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

先駆者の誇り

4月は新しい年度の始まりであるが、名古屋学院大学大学院でも昨日開講式があった。

新しい院生40人ほどと、教職員20名ほどの参加であったが、式に続いて「ウエルカムパーティー」が催され、社会人大学院としてまた新しい試みがなされた。
催しは2時間という限られた時間ではあったが、和気藹々の中にもこれから勉学に臨む熱気が溢れていた。

私は二つの立場で参加した。
一つは、大学院同窓会長として祝辞を述べること。そしてもう一つの立場は客員教授としてであった。

大学院での講義は、4年前から行っているが、今年からは二つの科目とゼミを持つことになった。新しいことの取り組みであり、不安もあるが精一杯努めようと思っている。


さて、開講式とパーティーで5人の教授からスピーチがあったが、端々に感じたことは、「先駆者としての誇り」である。社会人大学院として、学びやすい環境づくりに配慮していること、熱意である。

「サテライト教室」、「平日夕方と土曜日を使っての講義」などであるが、本大学院が13年前に創設された以降、文部科学省では「サテライト教室は名古屋学院大学大学院がモデル・・・」とも言われたそうだ。そして昨日の「開講式」も初めてことである。

今でこそ社会人大学院は珍しくないが、こうした先駆的な取組みが支持を得ているのであろう。
だからこそ、それを誇りとして、勉学や研究に対する指導、支援に熱がこもるのである。


「今まで学んできたことが唯一無二の原理なのか?という疑問を持つ。」
「見学の精神《敬神愛人》の実践。」
「研究テーマはコネコネしながら面白いものを見つける。」
「研究は、実務改革の発見。」など、各教授のスピーチは印象的なものであった。

これらは、これから学ぼうとする人たちにとって、踏み出す力になったと思う。


因みに私からの祝辞は、「人とのつながりから生まれる気付きや知恵」ということを強調、自身を多いに磨いて欲しいこと、そして本大学院にはその環境と機会があるということを話した。


私が一期生として、当時の研究科長(現学長)から聞いた話は今でも良く覚えている。

『研究とは深く学ぶことである』
研究と勉強との違いを教えてもらったが、この事を意識すると研究には「面白さ」がある。故に、打ち込めることが出来るのである。

縁あって入学した人達に、早く「面白さ」をつかんでもらうべく支援したいと思っている。
誇りを胸に。
posted by 伊藤保徳 at 07:02| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月03日

家族という単位

今朝の日本経済新聞「春秋」欄に、「家族を対象」にしたマーケティングのことが書かれていた。

内容は、東京ディズニーリゾートが今から26年前の春にオープンしたが、その時の新聞記事に触れ、短期的な利益追求ではなく、長期的な、しかも信念を持った投資が重要であることを述べている。

東京ディズニーリゾートは、既に報道されたように、昨年は開園以来の最高入場者数を記録し、26年間で合計4億6千万人を越えたという。

この要因として、「家族で一緒に楽しめる」ということだと所見を述べている。


読んで見てなっとくのいく意見である。
来場者の70%がリピート客ということも驚きだが、その営業コンセプトは素晴らしいという以外の形容が見当たらない。

「春秋」欄では、開園翌日の記事から、「黒字化に時間」、「ハイテク時代に童話の世界は時代遅れ」、「熱しやすく覚めやすい日本人にはどうか」、というような、批判ではないにしても「お手並み拝見」という論調であったことが紹介されている。

確かに、今日のように毎日が盛況であることを予想した人は極めて少なかったと思う。


記事では、この東京ディズニーリゾートと共に、任天堂のファミコンも取り上げ、こちらも発売当初に目立った記事は無かったことを紹介し、この二つの共通点を次のようの述べている。

《目先の好不調にうろたえない。長い目で見て、必要な投資はきちんとする。共通点はいろいろあろうが、最も大きいのは「家族」で一緒に楽しめる機会を提供してきたということだろう。

これは、個の時代であり、狙うのは個人客。そんな市場戦略の常識に挑戦しはねのけた四半世紀だったといえる。》・・・こう結んでいる。


最近考えていることに、ひと頃盛んに言われた、「多様性」とか「個人・個性」、「自立性」などということが、日本の文化では馴染まないのではないか?ということがある。
農耕文化の中では、「没個人・没個性」であったのではないか。こんな思いがある。

同時に、日本人に合うのは、「連帯」とか「つながり」であり、その最小の単位が「家族」ということである。

「個の尊重」から、家族を始め、隣近所、地域という中でのつながりを、日本人は本能的に求めているようにも思う。

会社でもそうかもしれない。
体制が整い、それなりの規模になると全員の連帯は薄れる。これは致し方ないとしても、職場単位などで旅行やレクリエーションが復活しつつあるという。
我社でもそうである。


こうした現象を見るにつけ、26年前から「家族が一緒に楽しめる機会の提供」、という戦略は誠に的を得たものといえよう。
車でも家族が一緒に乗ることの出来るワンボックスカーに人気が集まっている。


会社として考えたいのは、社内で「家族的な連帯」をいかにして作り上げるか、ということ。もう一つは、社員とその家族を含めた対応を研究することだと思う。

創業者を始めとし、歴代のトップは「社員は家族」という強い思いをもっており、そのことの具現化に、もう一度取組む必要がありそうである。
それが、現在の環境適応である。


この不況下で、大切なことを思い出させてもらった。
不況下では、「原点にかえる」「基本を見直す」絶好のチャンスという。
posted by 伊藤保徳 at 15:22| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月02日

過去を語る

昨日のモーニングセミナー(瀬戸市倫理法人会)は、三人の会員スピーチであった。

毎週水曜日の午前6時から開催されているが、この会員スピーチはとても好きな時間である。始まった当初は、自己紹介が中心で、3分足らずで終わってしまう人や15分くらい話す人もいたが、昨年8月頃より、15分間という時間とテーマの設定をし、レジュメも用意してもらうことになった。

回を重ねるごとに、会員のスピーチは抜群によくなり、楽しみの一つになった。

テーマは、セミナーのたびに輪読している「万人幸福の栞」から指定されるが、そこに書かれている内容と、自身の体験や考えを対比しての話は、参考になることはもとより、その人の再発見でもある。


昨日の三人もそうであった。
レジュメが用意してあり、話の流れもスムーズで、内容もよく理解できた。
レジュメのあることで、「喋り」ではなく、「語り」になる点が良い。

淡々と、しかも要領よく話される内容は、まさに学びの対象である。


その中の一人柴田さんは、さすが人生経験豊富で、その語りは心に残った。
熊本の田舎の出身だが、子どもの頃貧乏で苦労したこと、親父には拳骨指導、そして母親からは優しくく育てられたとのこと。

そうした境遇の中から、「辛抱すること」や、「人さまからのご好意に感謝すること」を学ばれたという。柴田さんと知り合って12〜3年だと思うが、その人柄がこうした過去に裏付けられたものであることを初めて知った。

「貧乏で苦労した」ことは聞いていたが、そうした苦労や暗さを微塵も感じない。むしろ、明るく、つねに座を盛り上げようとされている。
過去の苦労が人をつくっていると感じた。

「人はどん底にいると、ありがたみがよくわかる。また、よく見える。」
この言葉は心に残った。

スピーチの最後にこう結ばれた。
「倫理法人会で学ぶようになり、万人幸福の栞に書かれていることに、自分の過去や今を照らし合わせた時、『他人の話をよく聴く』『人さまの好意に感謝する』そして、『前向きに生きる』ということを学んだ。」・・・と。


「過去を語る」ということは、そこから学ぶことであり、明日からの生き方を改めて「決意」することなのであろう。

過去を喋るだけならそれは紹介の域を出ない。
「語る」とは、その事象(体験)を家族や社会の中での「つながり」を確認し、そこで得たことを言葉にすることだと思う。

その時には意識しなかったことの発見でもある。

「過去を語る」「自分を語る」ことの意義を改めて考えさせてもらった。
posted by 伊藤保徳 at 11:39| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月01日

花見の宴

いよいよ桜の季節である。

今年の桜の開花は、例年に比べて2週間も早く、3月中旬には九州の方から開花のニュースが伝えられた。

名古屋の開花予想が3月22日と聞いたとき、満開が1週間後として3月末には満開になるといわれていた。しかし、我社の本地工場構内で開催予定の「花見の宴」は、随分前に4月4日と決めていた。従って、心の中では、何とか寒波が来て1週間延びないものかと思っていた。

果たせるかな、先週1週間は寒い日が続き、昨日までのほころび具合は三分程度。これで週末は桜が楽しめそうである。


この「桜の宴」は、2007年に管理者研修を行った折、参加者から「最近、会社での催し物が無くなった」、との発言を受け、「君達が企画運営してはどうか。応援はするから・・・」ということから昨年4月に始まった。

花見会そのものは随分昔から行われていたが、それは職場単位とか、気の合った者達とで自由に行われていた。
それを、「会社行事」にしようということになった。

早速、(委員会ではなく)実行部隊が組織され、そのメンバーとの打ち合わせを数回行い開催にこぎつけた。準備の期間が少なかった割には600人程の参加があり、成功裡に終えることが出来た。

数日後に反省かが開催され、その場で今年の開催日や催し物、動員目標などが決められた。

素晴らしいパワーである。
実行部隊一丸となっての準備、運営を見ていて、頼もしくも感じた。

そんな経緯があったが、今年も間もなく開催の運びである。
今年の動員目標は1000名ということで、昨年の反省に立ち、会場の設営や催し物に工夫が凝らされているようである。


私はこの日、11時過ぎまで「瀬戸木鶏クラブ」の勉強会があり、11時半頃からの参加になるが今から楽しみにしている。

職場における上下関係を離れ、家族一緒に一日楽しんでもらいたいと思っている。

こうした催し物を通じて、意外な一面を発見できたり、社員の家族と会えることができるのはとても素晴らしいことであるし、今後とも継続していきたいものである。


こうした行事で、社員のみならず家族を含めて絆が強まればこの上ない喜びである。


準備は万端のようだし、天候も予報によればまずまずの花見日和とのこと。

とても楽しみである。
posted by 伊藤保徳 at 04:42| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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