2009年04月23日

継続とつながり

今までいろいろなことをしてきているが、成果をあげたり、成功に向けて手ごたえを感じたことを振り返って見ると、「継続とつながり」という言葉が思い浮かぶ。

良いと思ったことを実行に移しても、継続しなければその成果は小さく、改めて「継続は力なり」、という言葉を実感する。
事を始める時、「継続の可能性」を考えることはとても重要なことだと思う。

「継続するには覚悟が必要である」と、今までは考えていた。思いついた自分自身がまず続ける、という決意と執念が必要と思っていたからである。会社でも地域でも、あるいは業界内においてでもある。
しかし、継続に「つながり」を加えてみると、発想が大きく異なることがわかる。

つまり、事を仕掛けるときに、「一人称」で考えるのではなく、「多人称」(つながり)の中で検討してみることである。
人は一人で生きているのではなく、全体(自然界)の中で生かされているということである。
発想は個人であっても、「全体で考え、実行する」という姿勢が必要である。それが「継続とつながり」だと思える。


昨日東京で、業界の会合に出席したが、第二次の中期計画が承認された。
十数年前のことだが、21世紀の工業会運営について議論する機会があり、内々の問題だけを検討する活動から脱皮し、広く社会にアピールする活動をすべきだと発言した。

その後、11月11日を「配線器具の日」と制定し各種の事業を行ってきた。昨年が10回目であったが、曲がりなりにも継続してきたのである。

更に、三年前には、「中期計画」を策定、戸惑いながらも本年三月第一次中期計画が終了、本年度から第二次中期計画を実行することになっている。

この計画の核は「三位一体の活動」である。
我々製品製造者、販売や工事を受け持ってもらう業界、そしてそれを使用する消費者の三者が、「安心・安全・快適」を目指しての活動である。つまり、「つながり」である。

工業会だけで考えたり、活動していた時代に比べたら大きな変化である。

「つながり」を考えるということは、三者のことを意識することであり、今まで各メーカーが独自に行っていた「アピール」を組織的に行うことになる。それは「世論形成」にもつながるものである。


これは業界の事例であるが、まちづくり活動においては、「継続とつながり」が最も必要である。
はじめたことは小さなことでも、継続することによってつながりが広がり、ついには大きな流れとなるのである。
狛犬をキャラクターとした地域の活性化も、そんな思いでいる。


結局は、世のため人のためになることを、出来ることから実行し、それを継続する。そして「つながり」を考え、輪を広げていく。これがポイントである。

自分一人が良いと思い、執念を持って継続したとしても、「つながり」を考えないとか、「つながり」が生まれてこないとしたら、それは結局ひとりよがりなのである。

「継続とつながり」・・・心したい言葉である。


posted by 伊藤保徳 at 06:29| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

活力朝礼

昨日、コミュニケーションの重要性について書いたが、倫理研究所発行の今週の倫理(608号 2009.4.18〜4.24)にも同様なことが載っていた。

こちらは、組織の活性化についてのことで、第一は「共通の目的を持つこと」、そして第二は「仕事に対する個々の貢献意欲を高めること」が重要であるとし、この二つを個々人の意識の中で統合するのがコミュニケーションであるとしている。

この二つを統合する方策として「活力朝礼」が効果的であることを示している。

活力朝礼とは、倫理法人会での一つに「行動目標」にもなっている。

朝礼を行っている職場は多いが、意図的に行われていることは少なく、単に形式的に行われている場合が多い。

その活力朝礼の効用が載っていたので紹介する。
「共通目的」と「貢献意識を高める」ことを統合するには、《毎日の「活力朝礼」の中で実現できることです。社是・社訓の唱和やワンポイント的な学習の時間をとれば、掲げた理念を社員一人ひとりの中に熟成させるきっかけとなります。

前日の業務における誰かの小さな貢献を取り上げれば、周囲に認められることになり、意欲を高めます。
また、姿勢や返事、挨拶などの基本動作は、働く意欲の土台となるものです。そして何より、朝礼の中での報告・連絡、そして発声や動作を合わせて「気をそろえる」ことが、コミュニケーション力を高める道となります。》(後略)


一般的な朝礼と大差はないが、意図的に行われているかがポイントになろう。

先ずは、「社是・社訓の唱和」に、ワンポイント学習を加えることである。
理念の理解や具体的な実践内容の披露、あるいは、大切にしている言葉などの紹介でもいいと思うが、朝礼に意識して参加し、「発言」することが効果的のようだ。それが学習になる。

次は、「報告・連絡」について、「認める反応」をすることである。出来れば「褒めたほうが良い」と思うが、「報告・連絡」から、理念や方針にかなった「小さなこと」を発見し、評価すれば、価値観の共有にもなる。この「小さなこと」がポイントである。

そして「基本動作」の実践である。
発声や動作をそろえることが、実は「気を合わせること」だということに気づいた。全くその通りである。


以上のような朝礼を「活力朝礼」というのだが、今行っている朝礼を見直してみるべきである。

意図的に行えば、必ず効果があるが、形式的に行っていたとすれば、何の効用もなく、無用な時間を過ごしているだけなのかもしれない。


先行き不透明な今だからこそ、こうした「基本」を忠実に実践したいものである。
その中からきっと道は見つかると思う。
posted by 伊藤保徳 at 04:36| Comment(2) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月21日

安全衛生指標

昨日、全社安全衛生管理委員会を開催した。

昨年度の活動総括と、今年度の計画を、各専門部会から発表をしてもらったが、今の体制にしてから活動内容のレベルが少し上がってきたようだ。

全社委員会の内容は、労働安全、衛生、防災、交通安全という四つの専門部会の協議会である。

報告を聞きながら、感じたことがある。
掲げられた活動目標が、要素的なのである。

私の示している活動方針は、安全衛生活動の「現場力向上」であり、活動レベルの目標を設定していることは理解できるが、「現場力向上」の先にあることが考慮されていないように見える。
つまり、職場に「安全文化や健康文化」を醸成するための活動であるという認識が低いように思えるのである。

会議において、どうすべきかの対案を述べることは出来なかったが、今朝になって一つのアイディアが浮かんだ。


「総合指標」を示してはどうかというものである。
職場の「安全度」「健康度」「防災度」「交通安全度」を表してみてはどうか。

例えば「労働衛生」について、職場の健康度を測る指標として、「健康診断要所見者数」「メタボ該当者数」「病欠者数」「長期欠勤者数」「喫煙者数」などなど、不健康結果についての状態を見える化し、お互いが気をつける風土をつくりだしてはどうかというものである。

個人的なことに立ち入ることにもなり、気をつけなくてはいけないこともあるが、「仲間を大切に思う」風土作りに有効のように思える。

一方では、健康的な活動項目の「実施件数」なども取り上げると良い。

「交通安全」についても、事故撲滅を掲げながら、なかなか無くならないのが実態で、つまるところ「本人の自覚が基本」という結論で、「教育の実施」などが対策となっている。
これも、工夫が必要である。


いずれも人に関わることであり、ルールを作り罰則規定などをいくら設定しても「ゼロ」にすることは難しい。しかしそれに取組む必要はある。
完璧なシステム(仕組み)などありえないと考えたほうがよい。

従来、ともすればこの「仕組み」づくりばかりに注力してきたように思う。
仕組みの効果を最大限に発揮させるのは、それに携わる人たちの「コミュニケーション」であると考えている。

上下をはじめ、横や斜めなどあらゆる関係のコミュニケーションを、もっと深めることが肝要である。


職場の「安全度」や「健康度」を明らかにすることが、一つのコミュニケーション機会となれば、現場力はもっと向上すると思う。

こんな視点で、活動計画を再度見直してみたい。
posted by 伊藤保徳 at 06:46| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

陶祖祭イベント

瀬戸市で4月第三の土日に行われる「陶祖祭」は伝統ある行事だが、秋に行われる「せともの祭り」に比べると人出も少なく、「神事」が中心のものになっていたようだ。

一般の市民も同じような認識であり、あまり注目される祭りではなかった。
「陶祖祭」も「せともの祭り」も共に産業祭であるが、「陶祖祭」は、陶磁器産業に携わっている人や、市街地の人たち以外にはあまりアピールしてこなかったことがその要因であろう。

そもそも「陶祖祭」というのは、瀬戸に奈良時代の創建された深川神社の境内にある陶彦神社に、瀬戸陶業の始祖といわれる加藤四郎左衛門景正が祀つられており、その「陶祖」の遺徳を偲ぶ祭りである。

しかし、5〜6年前からは協賛イベントが増えてきて、昨日の瀬戸駅前広場は一日中賑わいを見せた。
イベントの場所が出来たこともあろうが、「陶祖祭」が産業祭から市民参加の祭りに変貌しようとしていることがうかがえる。

一つは「市民踊り」である、8月に名古屋で開催される「日本どまんなか祭り」よろしく、グループによる踊り披露である。これを仕切っているひとは、「ごんか祭り」(10月開催)の主催者であり、年々盛況になっている。

二つ目は、「JIMO婚・ZO婚アニバーサリー」である。
「JIMO婚」とは、一般的にいわれている「地味な結婚式」ということもあるが、「地元での結婚式」ということで、広く市民の前で結婚を報告、その後深川神社まで「花嫁道中」を行うものである。
道中は新郎新婦の乗る人力車を中心にした行列であるが、商店街では紙ふぶきによる祝福を受けるのである。

「ZO婚(ぞっこん)アニバーサリー」は、「陶祖祭」に因んで、結婚9年目の「陶器婚式」である。
結婚9年目が「陶器婚式」ということを知らなかったが、主催者からの参加要請を受け、社員の中で該当者がいるか調べて見た。

全国で8組の該当者がいたが、地元」という条件にかなう人に呼びかけてみたところ、二組の夫婦が参加してくれた。
ステージの上でお互いへ感謝のメッセージを披露するという内容だが、市民の前で日ごろの気持ちを披露することにより、祝福と共に激励の拍手をもらえるのは当人達のとっては記念すべき日となったことであろう。

三つ目は、市内道泉町の「みこし」である。
最も祭りらしい催しである。立派な神輿二基が、イベント広場から神社まで練り歩く。

そして、今年から登場の「狛犬奉納道中」である。


広場から神社までの行列が「陶祖祭」のメイン行事といえるが、先頭は「御物奉献行列」である。陶磁器産業界の人達は裃姿、ミスせとものの三人は巫女姿での行列である。

深川神社に到着し、陶彦神社の神楽殿に上がり「御物奉献」の神事が行われるが、今年からは我がプロジェクトの「狛犬奉納」も加えていただき、私もその神事に参列をした。


これだけ格式ある行事が、なぜ今まで盛り上げられなかったのか些か不思議に感じた。

地場産業が衰退の一途を辿っているのは事実ではある。
しかし、瀬戸地場産業の始祖を偲ぶことは原点でもある。今は陶磁器産業に関与していないにしても、何代か前には何らかの関係があったと思う。

市民が参加して、大きな賑わいを創出することも重要だが、核たる原点を忘れてはならない。


今回、瀬戸陶業の始祖である加藤四郎左衛門景正の作といわれ、国の重要文化財である「狛犬」をモチーフに「せとこま」をデビューさせたが、今後の展開に気合が入る。

「せとこま」を通じて、瀬戸の縦軸を再確認する活動を展開したいと考えている。
posted by 伊藤保徳 at 07:04| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月19日

「せとこま」人気

昨日と今日の二日間、瀬戸市で「陶祖祭」が行われ、天候にも恵まれ大勢の人出で賑わった。

せと狛犬プロジェクトが兼ねてから準備をしていたイベントもこの「陶祖祭」に併せ、今日行われた。

午前10時、スタッフが集まり今日一日のスケジュールを確認、イベント開始の午後12時30分を待った。今日は日中の最高気温が25度を超えると聞いていたので半袖で出かけた。
イベント中は、揃いの法被を着ることになっており、覚悟をしてでかけたが夏を思わせる暑さとなった。

イベントは、狛犬キャラクターデザインのグランプリの発表と表彰式で、30分ほどの時間をとってもらっていた。
開始前に、ケーブルテレビからの取材が入り、昼食もそこそこに、まずはビデオ撮り。

せと狛犬プロジェクトの活動目的と、今までの活動内容についての取材であった。
優秀デザインの表彰を受ける人たちにもコメントがほしいと言うことで、それにも対応した。

グランプリは、横浜在住のデザイナーであったが、わざわざ今日のために瀬戸まで来てもらった。


いよいよイベントの開始。
こちらは地元のコミュニティーFM局が放送と併行しての進行であり、司会は顔見知りでもあり簡単な打ち合わせだけで進んだ。
私から、ことの経過を説明した後表彰を行った。そしていよいよ「せとこま君」の登場である。

今日の天候で、着ぐるみの中に入るスタッフは大変である。
おそらく中は40度位になっていたと思う。

「着ぐるみ」は子ども達に人気である。ステージに登場した途端歓声が上がったほどである。

やり取りの予定はなかったが、少し時間があるようだったので、「この着ぐるみ、実は実行委員会メンバーの手づくりなんです・・・」、と言ったところ、今度は驚きの声。ことのついでに「着ぐるみ製作者」もステージに上がってもらった。

司会者とのやりとりで、「せとこま」は一気に人気者となった。

そしていよいよ行列の出発となった。
プラカードを先頭に、着ぐるみの「せとこま」、その後に大きなのぼり(これを持つのが私の役割)、そしてベロタクシー(自転車タクシー)にグランプリ受賞者と「奉納狛犬」が乗っての行列であった。

普通に歩けば10分足らずのところにある深川神社まで、30分余かけての道中になった。
炎天下での行列であり、汗をふきながら進むのだが、「せとこま君」には子ども達が駆け寄り、握手をしたり写真を撮ったりしたので、ゆっくりした道中になった。

途中の商店街では、紙ふぶきの歓迎を受けたりして、とても気持ちの良いものであった。


せと狛犬プロジェクトも大きく一歩を踏み出したことになる。
大きな目標であった、「陶祖祭」のイベントが無事に済んだが、これからの活動が重要である。

今年は、瀬戸市制80年ということで、「80」に因んだ市民参加型のイベント募集がされているが、こうしたことにも積極的に参加することはいうまでもないが、プロジェクト発足の目的を見失うことなく、着実に歩を進めたいと思っている。


改めて、多くの人達の協力に感謝したい。
posted by 伊藤保徳 at 22:07| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

準倫理法人会開設

昨日、大府市準倫理法人会の開設式典に出席した。

倫理法人会は、概ね人口10万人の市町に一つ程度の「単会」を組織化することを目標としている。倫理運動を広めること、これ即ち会員の拡大ということで、愛知県倫理法人会としては会員3000社を目標にしている。

「単会」を組織するには、まず「50社以上」の会員を集め「準倫理法人会」として発足する。そしてその後一年以内に100社以上の会員にして「倫理法人会」となるのである。
昨日は、大府市(人口85000人)の「準倫理法人会」が開設されたが、8月末までに会員100社以上にするとの宣言もあった。

瀬戸市の場合も同様で、07年8月11日に準倫理法人会が開設、08年3月15日に「瀬戸市倫理法人会」となった。毎週水曜日の午前6時から行われているモーニングセミナーも80回を超えた。
スタート時は、知り合いにお願いして何とか100社を集めるが、この会員数を維持していくのも大変である。

100社以上の会員がいるはずであるが、毎週のモーニングセミナーへの出席者はその四分の一にも満たないところが大半だと聞く。
会の運営方針は毎年のように、「モーニングセミナーの活発化」が謳われているようだが、この参加率の向上こそが倫理運動活発化の一番の管理項目だと思っている。


さて、昨日の開設式典であるが、型どおりのセレモニーであったが、珍しいと思ったのは「会長」が和服の正装であったことと、市長が会員に名を連ねていたことである。

そして疑問に感じたのは顧問の委嘱である。
公職者の会員は認めているが、市長、国会議員と県議会議員については、「顧問」を委嘱されている。

このことは、瀬戸市の倫理法人会で経験して承知していたが、大府市では次期の総選挙に立候補を予定している人にまで顧問を委嘱したのである。
疑問に思うのと、奇異に感じた。

倫理運動の基本は、特定の思想や主義主張を排除し、人としての根本たる、「生活の筋道を学び、実践」することにあり、特定政党の主義主張を持った人を、しかも現職ではなく、「立候補を予定している人」を顧問に委嘱するのはいかがなものかと思った。

式典後の懇親会にも出席し、参加者にあいさつをしてまわっていたが、さながら選挙運動であった。

そんなこともあり、途中で失礼をしたが、折角の開設式典が妙な雰囲気になってしまった。


ともあれ、新しい単会がスタートしたことは喜ばしいことであり、倫理運動の仲間が増え、少しでも日本がよくなっていくことを望みたい。
式典の最後に会長より、今後の運営に対する四つの想いが披露された。

1、日本の倫理法人会を一層元気にする。
2、日本創生を目指す。
3、笑顔と元気の人生を送る。
4、伝説を創る。

並々ならぬ決意を感じた。
我が瀬戸市倫理法人会も頑張らねばと思った。
posted by 伊藤保徳 at 07:09| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

日本の良さ

最近日本の良さについての発言が多く聞かれるように思う。

先の中曽根総理時代の教育基本法改正でも「美しい国日本」とかいわれていたし、比較宗教学の先生も「日本が世界の見本」、というような発言があった。

倫理研究所の理事長も著書の中で、日本の文化性の高さについて論及している。

私自身、25年ほど前から海外に出かける機会が増えたが、アメリカや中国に行くたびに日本の良さを再認識している。
四季のある自然をはじめとし、人の奥ゆかしさや立ち振る舞いなど、日本も日本人も素晴らしいと思っている。


「致知」4月号ににも同種の記事があった。タイトルはなんと「世界の未来が日本にある 極楽浄土の国・日本」である。「極楽浄土の国」とは、些か大仰ではあるが、この発言が韓国人女性であることは驚きであった。

記事は、拓殖大学教授の呉善花(お・そんふぁ)氏と、筑波大学名誉教授の村上和雄氏の対談である。呉氏は、韓国・済洲島出身で、83年来日、現在は拓殖大学で「日本の歴史と文化」という講座を受け持っていると言う。

対談では、呉氏留学のいきさつから始まっているが、韓国にいる頃は「反日少女」だったという。韓国での反日教育をうけ、凝り固まっていたと述懐している。
それが、来日して見て大きく変わり、「極楽浄土の国」とまでいっているのである。

氏の価値観が変わっていったプロセスは誠に興味深い。

興味を持ったことを紹介する。
・儒教ではわからない国
《儒教文化圏やキリスト教文化圏の人たちは、「どんな生き方が正しいか」というと、倫理的、道徳的に生きようとする。これが理想です。だから、「悪い人間だ」と言われることを一番嫌います。
日本人にも「倫理的に、道徳的に」という枠組みがありますが、それよりも「どんな生き方が美しいか」ということに、より重点を置いています。》

言われてみれば、「粋」とかいうのは日本特有であろう。要するに美意識である。

《韓国に限らず、儒教文化圏やキリスト教文化圏では、人為的なものー人工的で、左右対称で、ピカピカ輝いているものが美しい。別な言い方をすれば自然から離れたものほど美しく、高度な文明だと考えています。》

これは全く知らなかった美意識、価値観である。
日本人の持つ「自然崇拝」とは対極にあると言っていいだろう。


こうしたやり取りが続くが、外国人から指摘されると気づくことも多くある。


感じたことは、国際化というのは先進諸国に追いつき追い越せと言うものではなく、自国の文化性が諸外国のそれとどう違うのか、正しく認識するのが第一歩であるということである。
posted by 伊藤保徳 at 07:10| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

反省慰労会

4月4日に開催した「花見の宴」について、実行委員の慰労を兼ねた反省会が開催された。

関係者の中で、都合のつく人たちだけの参加であったが22名の出席で、いつもながらまとまりの良さには感心する。

会費制での反省会であり、真の「慰労会」ではないかもしれないが、集まって一つの事を話題にして食べたり飲んだりするのはいろいろな面で効果があるように思う。

まずは気持ちが一つになれることである。
「たかが花見のイベント」というなかれ。「飲み会」を侮ってはいけない。


この「花見の宴」は、昨年より始まったが、その企画運営は我社本地工場の「有志」が実行部隊となっている。
その主力メンバーとは、仕事よりもそれ以外の付き合いのほうが多いが、話し合いの中で、当然ながら職場の問題なども話題になったりして、私にとっては現場の話を聞く絶好の機会でもある。

まとまりの良さは、周りへの影響力も生み、イベントの企画段階からそれぞれの役割を持ちながら一つの方向に向って活動することになる。
新しいメンバーの参加についても積極的であり、必ず役割が与えられているようである。それが旧メンバーと絶妙なバランスとなり、力が大きくなっているようだ。

私にも役割があるが、あえて言えば「顧問的」な立場である。
象徴的なことは、準備が始まる時の「会合」と終了後の「反省会」には必ず出席を求められている。二つの会合は共に「飲み会」ではあるが、参加者のやり取りを聞きながら、「動員目標の設定」や「企画内容に対するアドバイス」を行っている。

反省会は「次回の企画内容」が中心的話題になるが、つねに新しい何かに挑戦しようとしている点は素晴らしいと思っている。

こうした会合は、イベントを成功させることが直接的な狙いではあるが、私には「価値観の統一」や、「伝統の継承」「態度、言動を指導する場」のように思える。
本人達にその認識はないのかもしれないが、私にはそう見える。


他の工場でもこの種のイベントは行っているが、前後にきちんとした会合を持ち、「思い」を伝えあう機会を持っているのはこの工場だけである。
仕事でもイベントでも、所期の効果をあげるには、役割分担やルールを決めるだけでは不十分で、十分な意思の疎通が必要である。それが「準備会合」であり、「反省慰労会」なのである。

今回も、前向きな意見が多くあったが、中でも参加呼びかけを「社員と家族」から、地域住民へも広げてはどうかと言う提案には感心した。
規模の拡大に対する労力について、それだけ喜びが大きくなると言うのだ。


企業市民としての自覚からか、社員からこうした声が出るのは喜ばしいことである。

このことについて、地域の人たちへの打診は私の役割になろうが、次回以降の「花見の宴」が益々楽しみになる。
posted by 伊藤保徳 at 05:03| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

三つの約束

「致知」4月号は、「今をどう生きるのか」という特集であったが、記事に京都市立堀川高等学校校長の荒瀬克己氏の対談記事があり、興味深く読んだ。

「なぜ教育の軌跡は起きたのか」、というタイトルで、相手は、東京都北区立神谷中学校の中村文隆校長である。

京都の堀川高等学校については、「堀川の軌跡」という記事を読み、印象的だったのでブログでも書いたことがある。
「奇跡」とは、同校が屈指の進学校に生まれ変わったと言うものであるが、今回の対談相手である、東京の神谷中学校も、非行や学力が低迷していた所に中村校長が赴任、「心の教育」に重点を置いたいろいろな取り組みをし、今や区内で学力はトップクラスという。

二人校長が取組まれたことで共通的なことは、「生徒の良さを見つけてライトを当てる」、「生徒の心を耕して学力を向上させる」、そして「学力を上げれば人間性も高まるはずである」と、学校の本分、人としての生徒、という極めて当たり前のことの取組みである。


取り組みの具体的内容は省くが、記事の中で、「このことは会社でも同じだ」、と思ったことがある。それが、堀川高校の『三つの約束』である。

「堀川高校の三つの約束」
・学校は学びの場だ。
自分に足りないものがあるから学ぶ。君たちは学ぶものとしての謙虚さをもて。学校は君たちに多様な学ぶ機会を提供しよう。

・学校は小さな社会だ。
君たちは自覚と責任をもて。学校は君たちを大きな子どもではなく小さな大人として尊重しよう。

・学校は楽しいところだ。
しかし楽しさは待っていて与えられるものではない。君たち自身が参画し、参加する意思と姿勢をもて。学校は君たちを見張るのではなく見守ろう。


私はかねてから、会社や職場のことを、「学校や道場」に喩えている。
社会人として、もっとも重要なことは「学びつづけること」だと考えており、その気になれば、身の回りのあらゆることがまなびの対象である。

会社での「仕事」は学びそのものである。
多くの人が、社員教育と仕事を切り離していたり、教育は仕事をうまく行うためのものだと考えていたりする。それはとても狭い了見である。

我社には1969年に制定された「社員教育基本要綱」があるが、その中に、「教育イコール仕事」ということが明確に示されている。
このことから会社や職場の事を、「学校や道場」という喩えをしているのである。


堀川高校の三つの約束を見て、我社にそっくり当てはめることができると感じた。

・会社は学びの場だ。
・会社は小さな社会だ。
・会社は楽しいところだ。

こんな会社にしていきたいと思う。
posted by 伊藤保徳 at 07:53| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月16日

心理的年齢

最近年齢のことが気になりだした。
60歳を過ぎ、気持ちも身体も若いつもりだが、新入社員を迎えたり、新しい人と名刺交換などをしたりする時、つい年齢を意識してしまう。

倫理研究所が毎週発行している「今週の倫理」607号(4.11〜4.17)に、年齢のことが取り上げてあった。

《うまく歳を重ねて活力ある日々を送る》というタイトルで、三つの年齢についての解説である。

第一は、「生活年齢」というもので、これは万人平等で、この世に生を受けて以来、毎年一つづつ重ねて行く年齢のこと。
遠き昔は「人生五十年」といわれていたが、平均寿命も延び今や百歳を越える人が珍しくなくなった。定年が60歳というのもいかにも早すぎるという思いである。

第二は、「生理的年齢」のこと。
これはかなり個人差があるが、歳をとるにしたがい、しわがよったり、髪が白くなったり、耳が遠くなったりするもので、歳相応の風貌にもなる。

私は見た目は年齢より若く見えるようで、「歳をとりませんね」と言われ喜んではいるが、目も耳も随分悪くなった。

見た目のことで言えば、25歳の頃、東京で営業所長をしていた頃は、いかにも若く見え、伊達メガネ等をして、少しでも年かさに見えるように努力したことが懐かしい。
今や、新聞を読むにも、ブログを書くにもメガネは必需品になってしまった。


第三は、「心理的年齢」というもので、加齢と共に心の中に忍び寄ってきて、本人が気づかぬうちに立ち振る舞いが老いてしまうものだという。
《徐々にものの考え方が保守的になり、頑固さや強情さが折々に顔を出すようになる。妙に義理堅くなって、必要以上にそれにこだわるようになる。

興味が減退をして、昔の趣味や食べものにこだわってみたり、依存症を患って1人で物事に対処できなくなる。自己中心的な考え方が強まり、自分がが相手にされないと、「自分は他人から排斥されている」という被害者意識が強まり、ひがみっぽく気短になり、ケチになる。》

以上のような解説があるが、「コワイ話」である。

「本人が気がついていない」、ということが恐ろしい。


生理的年齢は、自覚できるしそれなりに対処する方策はあろう。
問題は、「心理的年齢」である。
資料には、何歳くらいから出てくるかは書かれてィなうが、周りを見渡すと「生活年齢」はまだ若いのに、妙に老けている人がいる。こちらも個人差は大きいのであろう。

資料では、「うまく歳を重ね、生涯現役として若々しさを保つためには・・・」として、日々、身の回りで生じることを明るく前向きにとらえること、そのためには素直な心でいること、などの説明があるが、まずは「朝起き」をしましょうと結んであった。


「早起き」ではなく「朝起き」である。
つまりは、目覚めた時にサッと床から離れるということである。

「朝起き」なる言葉は倫理を勉強するようになってから知ったが、毎週一回モーニングセミナーがあり、そのためその日は午前4時半には目が覚めるようになった。

最近は、セミナーのない日でも4時半が起床時間になってきた。

朝起きの人は「若々しい」といわれるが、今の習慣を続け、「生涯現役」を目指したいものである。
posted by 伊藤保徳 at 18:25| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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