2009年04月30日

本立ち

財団法人モラロジー研究所が発行している『道経塾』(平成21年5月号)の巻頭言に、「日本人の美徳と本立ち」という一文があった。

「本立ち」と書いて「もとだち」と読む。

初めて接する言葉であり、その意味を文中に求めた。
《「本立ち」とは、全ての価値判断の根源となる自信本来の面目を、不動の存在として確固たる真理に確立しているということであろう。》とある。

難しい表現で、意味がよくわからない。
広辞苑を見てみたら、こちらは至って簡単に、《草木の根ぎわ。草木の根もとの生いたち。》とあった。

こういう時は、文章全体を読み、自分なりに意味を認識するしかない。


この文章は、江戸千家宗家蓮華庵副家元の川上紹雪(じょうせつ)氏のものである。

内容は、昨今の経済危機で悪影響が顕在化している中、今年の「初釜」には例年より多くの来訪があったが、嬉しく思うと共に、来訪者が、日本人のアイデンティティを見直すきっかけとして、日本文化の原点回帰願望の発露ではなかろうか、という問題意識のもとで書かれているようだ。

江戸時代中期の代表的茶人の「川上不白」の理念にふれ、「茶の湯」の懐の深さを述べている。
その根本たる理念のことを「本立ち」というのであろう。

つまり、表面的な様相に惑わされることなく、「何が真実なのか、根源なのか」を認識し、それをふまえた上で臨機応変に対応することが肝要である、という主旨だと理解した。

残念ながら「茶の湯」については知識もなく、川上氏の言う意図が正確に受け止められていないかもしれないが、「ことの原点を忘れてはならないこと」、「ぶれない姿勢」の重要性はよくわかる。


氏は更に、「世界標準」という一律の価値観が国際社会に通用する唯一の是法であるという認識は大きな間違いであるとし、日本人の美徳とされる根源を再確認する必要があると説いている。

そして、ゆるぎない文化を確立している欧州を例に取り、《自国文化の優位性を強調しつつ、多言語多文化をの有用性を損なおうとはしていない》・・・と。

昨日、「自分を取り戻す」というタイトルで、書き込んだが、その思いとダブる。


しからば、川上氏の言う日本人の「本立ち」とは?ということになるが、この文章だけではよくわからなかった。

ただ、最後の文章は「なるほど」と感じた。

《日本語の曖昧さは、「暗黙の了解」を「以心伝心」「阿吽の呼吸」で察知しあい、あるいは「他人に対する思いやり」の心でお互いに「配慮」しあうという日本的な「情緒的思考」によるものである。

この情緒的思考は、文化面のみならず、日本人の気質、行動原理のあらゆる面にあらわれて、なかば支配的に存し、幕末開国以来、渡来した多くの欧米知識人を魅了する日本人の美徳を現出してきた。》


難しい「巻頭言」であった。


posted by 伊藤保徳 at 07:05| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月29日

親子の交流

今日「昭和の日」は、6年前から「れんげ祭り」である。

本地の会主催の「親子農業体験事業」の一環であるが、この日はむしろ保育園を中心にした「親子交流会」でもある。
それは、農業体験で「米づくり」を行う水田が保育園の隣であること、そしてもう一つは、その田を「れんげ畑」にし、そこに園児作成の鯉のぼりを飾るからである。

「れんげ祭り」を始めるようになってから、この日は天候に恵まれ初夏を思わせる陽気の日が多い。
今年は夏日にはならなかったものの、20度くらいの気温であり、「かき氷」は大人気であった。

「親子の交流」であり、こうした活動を機会に地域の連帯が深まればよいと思っているが、年々参加者も増え、関係者の一人として喜んでいる。今年は、記名をしてもらった人数が210名、遅れてきた人やスタッフを加えると、260名ほどの参加であった。

午前10時、子ども対象の宝探しから始まり、その後は保育園広場を開放してもらい、しばし交流をしてもらうという、極めてシンプルな内容である。
広場では、特性コンロに炭火を用意し、みたらし団子をそれぞれで焼き、楽しんでもらう。少し間をおいてかき氷のサービス。

参加費一人百円である。

みたらし団子を自分達で焼く、かき氷のシロップもじぶんたちで・・・。

これが、親子の間や親子同士の交流になればよいと思っているが、それなりの機会提供になっているようである。
ただ、常識を疑う若いお母さんも何人か見える。

総じていえるのは、お父さんも一緒に来ている親子は行儀がいい。
みたらし団子を渡した時、キチンと「ありがとう」という子ども達も多くいる。


目に余るのは、若い母親である。
まずは「言葉づかいが悪い」。子どもにも友人に対しても乱暴である。そういう母親に限って「権利主張」が強いように感じる。

子ども達を強く正しい人間に育てるには、まず「親の教育が必要だ」、ということを以前耳にしたことがあるが、同感である。


ともあれ、いろいろな人がいての交流会である。

何のトラブルもなく終了できたことはありがたいことだが、数年前からは、保育園の先生達が全面的に協力してもらえるようになり、この行事が意味あるものになりつつあるように思う。

更なるステップアップを目指したいものである。
posted by 伊藤保徳 at 19:12| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分を取り戻す

1990年は日本にとって「失われた10年」といわれたが、それも今となっては遠い昔のように感じる。
21世紀になり、日本の景気も上昇機運となったが、全ての産業というわけにも行かず、格差を広げながら上昇してきた。

しかし、昨年アメリカのサブプライムローンの破綻に端を発し、金融システム不安が世界的に広がり、今日「100年に一度の経済危機」とまで言われている。
今回の不況は、一部の会社を除き、全てで苦境に陥っている。

二年ほど前から、「純粋倫理」の勉強や、「人間学」について改めて考えるようになり、バブル経済以降、我々は「何を求めてきたのだろうか?」と考えるようになった。

バブル経済の始まる頃から、経営の一端を担うようになり、それなりに社会環境へのt既往策を考え、実行をしてきたが、どうも根本のところで軸がブレてきたような気もする。

会社としての縦軸は忠実に守ってきたと思っているが、いろいろな施策については、環境適応の名のもとに「流されている」感は否めない。
国の政策も同様であるように思える。


次に紹介する二冊の本は、私のこうしたモヤモヤ感をすこし整理することができた。
『さらばアメリカ』(大前研一著、小学館、2009.2.11)
『アメリカモデルの終焉』(冷泉彰彦著、東洋経済新報社、2009.2.5)

一言で言ってしまえば、「我々が目標としていた、あるいはモデルにしていたアメリカの今日を論じ、そこから転換し、自分を取り戻す。」という内容である。

識者の中には、随分前から「アメリカからの独立」を主張する人がいたが、今、そのことを痛切に感じる。

アメリカモデルを「国際標準」と勘違いし、アメリカ化することが「国際化」だと思ってはいなかっただろうか。


1973年の第一次オイルショックを切り抜けたまでは良かったと思う。

アメリカから学んだものでも、大きな効果をもたらしたものはある。その代表的なものが「品質管理」(QC)であろう。
「加工貿易立国」として評価すべき点である。

しかし、組織人事、会計、情報システムなどの分野では、これといったモノはないのではなかろうか。


改めて、「日本型」の良さを見直し、自分を取り戻す時だと思っている。
posted by 伊藤保徳 at 07:25| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月28日

続「職場の教養」

昨日の「暁楽習会」では、二人の意見発表があったと書いたが、もう一人の方を紹介する。

彼は、『職場の教養』5月号より、5月1日「聞く前に」、という項目を選んだ。
内容は、新人が仕事を進める上で、わからないことを先輩にたずねる場面。最初の頃は親切に教えてもらえたが、最近は《そんなことまで聞くのか》、という顔をされ面倒がられているという。

新人は、「ミスがないようにと思い、意欲的に何でも聞いているのに何故?」と感じ、つい態度に出してしまった。
すると上司が、「率直にものを聞く姿勢は評価できる。でも安易に聞く前に、まず自分で充分考えること。質問は、その考えが正しいかどうかの確認をとるためのものだよ」と指摘された。

自分なりの意図を持って仕事に取組みたいものです・・・と、結んでいる。


意見発表をした彼は、昨年4月に入社した社員である。
自身を振り返りながら、文章にある「新人」とダブったのであろう。
感想として、「自分もよく考え、自分なりの考えを持って相談するようにします。」というものであった。


議論の中心は、「わからないとき、困った時にどうするか」、ということで、結論的には「自分なりの考えを持つ」、ということになった。

楽習会ではここまでであったが、ふと、先日紹介した一冊の本のことが思い浮かんだ。
「折れない新人の育て方」(船戸孝重・徳山求大著、ダイヤモンド社)のことで、紹介した「新人がつまづきがちな10の場面」の中に、『職場の教養』の一文と同じような場面がある。

「考ええもどうしたらいいかわからない」、という場面である。

新人にしえ見れば、「何でも聞け」、といわれながら、「聞く前に考えろ」といわれてしまったら、一体どうすればいいのか、余計に悩みこんでしまうだろう。

状況が千差万別であり、唯一の絶対解があるわけではないが、まずは「質問してみる」「相談してみること」であり、周りはそれを受け入れる態度であるべきであろう。

「聞く前に考えろ」、は人にもよるが、質問や相談にはまず耳をかたむけるべきで、その後のやり取りの中で共に考えることが肝要であろう。
話しながら答えが見つかったり、解決の糸口が見つかることだってある。


「聞く前に、まず自分自身で考えましょう」とは、自由に話のできる雰囲気があることが前提のように思える。

相談にのって貰える人に、「どうしたらいいでしょう?」とは言わないものである。自身の中に幾つかの考えがあってどちらかに決めかねているから相談するのである。

そうした事を考えると、『職場の教養』にある上司の一言は素晴らしいと思う。

『率直にものを聞く姿勢は評価できる。でも安易に聞く前に、まず自分で充分考えること。質問は、その考えが正しいかどうかの確認をとるためのものだ。』
posted by 伊藤保徳 at 08:53| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「職場の教養」

昨日は第40回目の「暁楽習会」であった。

若手社員の希望によって、会社業績や経営課題を説明し、40分程度は『職場の教養』(倫理研究所発行)の読後感を発表してもらっている。

その発表に対して、質問や意見交換を行うのが現在の楽習会の概要である。

発足時は新聞や雑誌から、参考になりそうな記事を抜粋して解説したり、意見交換をしていたが、昨年の2月頃から『職場の教養』を活用している。

今日は暁地区での楽習会であったが、二人のメンバーから発表があった。

一人は、コミュニケーションについてのことであった。(4月27日、「和」)
彼は、先日終了した「異業種交流会」のメンバーでもあり、5回ほどの会合で「コミュニケーションの重要性」を再認識したようで、その時の状況を披露しながら、「自分の思いを、事情を全く知らない人にわかってもらうことはとても難しい」、ことを語ってくれた。

『職場の教養』には、「和」のタイトルで、「日本人は《和》を大切にする」、しかし「《和》を重んじて何でも同調するのはいかがなものか」、「相手に合わせることも大事だが、自分の考えを上手に伝える自己表現力を身につける必要がある」、という内容で、今日の心がけとして、《コミュニケーション力を高めましょう》であった。


議論は、「コミュニケーション力」の高め方に集中したが、私は「和を大切にする日本人」というところが気になった。我社の理念も「和」であるからである。

発言が一段落した後、「和」について考えを披露した。
そもそも「和」というのは、聖徳太子の十七条憲法に由来していること。そして、その第一条にある「和を以って貴しとなし」というのは、一条の初めの部分であり、後半には「十分に話し合いをして物事は決めよ」、と言っている。

つまり、「和」を大切にするということは、単に「仲良くする」ということではなく、十分な話し合い(コミュニケーション)をとることが重要であるということである。


正確を期すため、帰宅後その本を改めて読んで見た。(『日本史集中講義』井沢元彦著、祥伝社黄金文庫、2007.6.20初版)
本書では、《歴史は点と点の繋がりで見なければならない。結果が原因を生み、それがまた結果を生む》とし、憲法十七条をはじめ、秀吉の朝鮮出兵の理由、徳川の平和が何故二百年も続いたのか、などのことが書かれており、歴史を見直すキッカケになった本でもある。

さて、十七条憲法であるが、その第一条とは・・・(現代文に訳)
《第一条 おたがいの心が和(やわ)らいで協力することが貴いのであって、むやみにはんこうすることのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。

ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通しているものは少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。

しかしながら、人びとが上も下も和(やわ)らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。》(中村元著『聖徳太子』東京出版より引用)

こんな具合である。

何故「和」が重要かということが、後半の文章で理解できる。


今日の楽習会では、ここまで詳しくは説明できなかったが、「コミュニケーション力」を高めるための技能のことだけではなく、「コミュニケーション」を深める意味も考えて欲しかった。


『職場の教養』は、一項目400文字程度の文章ではあるが、じっくり読み、考えたならば学ぶ点は数多くある。

posted by 伊藤保徳 at 06:13| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月27日

開催10回目

昨年8月に発足した「瀬戸木鶏クラブ」の開催が、次回5月2日で10回目となる。

月日の経つのは早いもので、倫理法人会のナイトセミナーで致知出版社の営業マンと出会い、木鶏クラブ設立の話が一気に盛り上がった。それが昨年の6月のことであった。

「木鶏クラブ」とは、人間学を磨く月刊誌「致知」の読者で組織する勉強会であるが、全国には115ヶ所、海外にも1ヶ所(シドニー)ある。
その活動内容は、毎月報告されており、刺激になっている。

『致知』は、昨年創刊30周年であったが、私が購読を始めて20年ほどになる。
毎号「木鶏クラブ」の報告が掲載されていることもあり、早く近くで設立されないかと思っていたが、近くに熱心な読者がおられ、協力して「瀬戸木鶏クラブ」を設立することになった。


毎月一回の定例会を開催するようになり、以前とは読み方が変わってきた。
従来は、拾い読みの域を出ていなかったが、昨年8月以降は、一通り目を通し、印象的な記事については熟読するようになった。

定例会で、議論の進行役を担うことになったことがそうさせている。


5月例会は、連休始め、あるいは連休中の人が多いのではないかと開催をためらったが、皆さん熱心であり、第10回目を開催することにしている。

『致知』5月号を使っての勉強会であるが、今回の特集は「執念」である。
巻頭言を輪読し、その後参加者それぞれから読後感を述べてもらい、それに対しての意見交換を行っているが、開設当初に比べ、議論は活発化してきた。

本論から脱線することもしばしばあるが、それはそれで勉強になる。
共通して言えることは、「気付きがあり、反省し、決意する・・・」、ということであり、皆さん、学びの姿勢が素晴らしい。


メンバーの一人に、ブログも立ち上げてもらった。
今のところ書き込みは少ないが、5月からは新しいことを始める予定でいる。

私の主宰する「経営塾」の塾生にも今年から『致知』を購読してもらうことにした。
毎月一回、心に残った記事についての感想をレポートすることにしており、それをブログに貼付するつもりでいる。

『致知』を読み、自身の生き方の参考にすることは言うに及ばず、「文字にする」ことによって思考の整理や決意の強化になればよいし、人の「感じ方」を知るのにも有効だと思っている。


「人から学ぶ」、ということはとても重要だと思う。
posted by 伊藤保徳 at 06:54| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

新人の育成

4月1日から始まった新入社員教育も本社での集合研修を終え、それぞれの職場に配属した。学卒で営業部門への配属者については、6月まで研修が続くが予定されており、今、現場実習などの取組んでいる。

入社直後の新入社員教育は、「意識の切り替え」と、「諸規則の説明」を主たる狙いにしており、仕事を進める上での技能教育は、配属先の先輩や上司に委ねている。
最近は、定期採用者を絞り込んでいることもあり、同一の職場に多人数を配属させることもなく、受け入れ側も初期教育には時間をさいてもらっているが、この時期の教育が最も重要だと考えている。


実にタイミングよく、一冊の本が贈られてきた。
『折れない新人の育て方』(船戸孝重・徳山求大著、ダイヤモンド社、2009.4.2)というタイトルで、副題に《自分で働ける人材をつくる》とあった。

著者の一人、船戸氏はリクルートコミュニケーションエンジニアリング社のエンジニアで、7〜8年前からの付き合いである。
今回出版をされたということで贈ってもらったのである。


内容は「新人育成の重要性」と共に、「どんな時に新人が辞めようと思ったか」、にスポットがあてられ、それは「上司の対応」や「職場の雰囲気」によって「成長機会になる」、ということが記されている。

コミュニケーションエンジニアリングを標榜するだけあって、緻密な調査・分析に裏打ちされている内容である。

新人が職場で遭遇する場面を「10」とりあげ、それぞれに解説している。(P74〜)
・新人がつまづきがちな10の場面とは
@配属が思い通りにいかない
A基本的な小さな仕事・ルーティンの仕事
B小さな向上・小さな成果
C報・連・相
D山積みの仕事
E納期を要望される
Fミス
Gなかなか成果が上がらない
H考えてもどうしたらいいかわからない
I結果

以上の場面で、上司の対応や職場の雰囲気から、新人がどのように感じているかが示してある。

例えば、「基本的な小さな仕事・ルーティンの仕事」の場面で、新人が抱くマイナスの感じ方は「何のためにやっているのかわからない」、「つまらない仕事だ、いつまで続くんだ」というものである。

これは、上司が「つべこべ言わずにやることをやれ」とか、「新人なんだから」という対応をしたり、職場には「新人なんだからそれをやるのは当たり前、自分達もそうしてきた」という雰囲気があるからだ・・・と。

反対に、上司の対応が、「多くの場合、成果の差は基本的な小さな仕事をやりきるかどうかでつく」と、仕事の意味を説明したり、職場内にも「基本的な仕事がキチンと出来ればプラスアルファの仕事が任せられる」、という雰囲気がある場合、新人の感じ方は全く違ってくる。

つまり、「これは大事な仕事なんだ」とか「これからの仕事の土台がここにある」というように、プラスに感じるのである。


示されていることは自身を振り返ってみて、思い当たることばかりである。


一気に読んだが、管理者には是非読んでもらいたい一冊である。

時代は、「如何に良き人材を採用するか」から、「如何にして良き人材に育成するか」に変わってきている。

新人を育成することは未来づくりでもあると思っている。
posted by 伊藤保徳 at 06:58| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月25日

感謝

昨日午後7時から、長久手町にあるレストランで、私の客員教授就任祝賀会を開催してもらった。

幹事からは、「40名程度の規模で・・・」、という話を聞いていたが、60名を越える友人に集まってもらった。皆さんのご好意にただただ感謝である。

客員教授就任は、昨年末に話を頂き、今年に入り急ぎ書類などを調え、4月1日付で就任することになった。既に4月からゼミも始まっている。

名古屋学院大学大学院は、開設時に第一期生として入学し、5年間勉強をさせてもらった。研究項目は、「コーポレートガバナンス問題」で、我社が株式上場を検討している時期でもあった。

修士課程を終え、博士課程にも進んだが、仕事が忙しくなったこともあり、博士論文は未提出のままである。
課程修了後、二年後だったと思うが、「人的資源開発研究」という科目の「実務編」を担当することになり、昨年まで4年間講師として関わってきた。


客員教授就任は、自身の目標ではなかったが、折角の機会でもあり引き受けることにしたが、今まで経験のある「人的資源開発研究」の他に、「経営システム研究」という科目と、「経営管理演習」(ゼミ)を受け持つことになった。

ゼミは隔週水曜日の午後6時16分からであるが、あとの二つの講義は土曜日の午後であり、仕事への支障はほとんどないと思っている。


就任は、4月になって周りの人たちの知るところとなり、昨日の祝賀会となったが、些か面映い思いでもある。
どうしても開催したいとのことで、日程の都合だけ伝え、全てをお任せした。

事前に出席者の名前も知らされていなかったが、会場には、付き合いをさせてもらっているいろいろな分野の人達が来てくれ、楽しい時間を過ごさせてもらった。

倫理法人会(瀬戸市、春日井市、名古屋西、日進)、中小企業家同友会、瀬戸木鶏クラブ、経営塾、瀬戸商工会議所、市役所などのメンバー、大学院からは教授や事務室の人たち、そして我社の社員などが出席の顔ぶれであった。

懐かしいところでは、大学院一期生が三人駆けつけてくれた。

短期間に、随分広く知れ渡ったものだと思ったが、いうなれば人のつながりというのは素晴らしいものだと実感した。

心から感謝すると共に、皆さんからの期待に精一杯答えたいと思う。


挨拶で、「生涯学びである」という気持ちを披露したが、それは改めての決意でもある。
posted by 伊藤保徳 at 21:29| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

祭りの準備

来る4月29日に「れんげ祭り」を計画している。
今年で第6回になると思う。

この祭りは、今から9年ほど前に、わが地域(本地)で「多様な主体連携に地域活性化」というプロジェクトがあり、その中でいろいろな活動計画が策定された。
その中の一つに、地域特性を生かし「親子農業体験」があった。

これは、地域の新旧住民の交流と、米作りを通じて農業の理解を深めてもらおうというもので、食育とともに地域慣習にもふれる機会として開始された。昨年が第8回であった。

6月に田おこし、代かき、そして田植えを行い。秋に収穫をするという一年を通じた活動であるが、田植えと稲刈りだけでは内容が乏しいとして、6年前から8月には「かかし作り」、4月には「れんげ祭り」を行うようになった。


「れんげ」は稲作に農薬を使わなかった時代には多く見ることができたが、現在では姿を消してしまった。「緑の肥料」ともいわれ、4月に花をつけ、5月中旬以降「田おこし」の時にはそのまま水田の肥料となるのである。

借用している水田も同様で、事業を始めた頃は一本の「れんげ」もなかった。
したがって、稲穂が実った9月頃、「れんげの種」をまき、収穫の済んだ田をれんげの花で一杯にし、そこで楽しもう、ということになった。
更に、水田の隣にある保育園の園児達に協力してもらい、「手づくり鯉のぼり」を飾ることになった。

かくして「れんげ祭り」は、米作り事業の一環として、毎年4月29日に開催するようになった。


メインのイベントは「れんげ畑宝探し」である。

開始以来準備に携わっているが、仕事の合間を見て「くじ作り」「景品の調達」などを行っているが、この準備が楽しいものである。

昨日、宝探しの景品を調達に名古屋に行ってきた。
明道町は、「駄菓子・玩具卸商」の集積地であり、見てまわるだけでも楽しい場所である。勿論、我々一般人も購入可能である。

昔懐かしい駄菓子やおもちゃの数々に加え、最近のアニメキャラクターなどもある。


宝探しの参加対象は、小学生以下であり、大半は保育園児である。
例年100名余の参加があり、今年も130個ほどの景品を仕入れてきた。

時間があれば各問屋をじっくりと見て回りたいところだが、4〜50分で調達を終えた。

あとは「三角くじ」を用意するだけになった。


当日、天気予報では概ね晴れとのことだが、一昨年からはじめた「かき氷」が大人気である。
天候に左右されるものの、子ども達にとっては楽しみのようだ。


私にとっては、4月11日に子ども達が作ってくれた鯉のぼりを飾った時から祭りが始まっている。
あとは、当日の「晴天」を祈るばかりである。
posted by 伊藤保徳 at 07:24| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月23日

介護者の介護

タレントの清水由貴子さんが、父親のお墓の前で自殺をしたという。

彼女のファンのはないが、テレビではちきれんばかりの若さを発揮し、明るい人だという印象があった。とても自殺をするような人には思えなかった。


今朝、ブログに「継続とつながり」というタイトルで、「つながることは大切だ」、ということを書いたが、その後、「朝ズバ!」を見ていたらこの事を放送しており、改めて「つながり」の重要性を感じた。

放送では、彼女が三年前に芸能界を引退し、母の介護を献身的に行っていた様子や、父の眠る霊園まで送ったタクシーの運転手のコメントなどを紹介し、「彼女に何があったのか?」と問いかけていた。
自殺の現場には車椅子に乗った母親もいたという。

例の如く、識者がコメンテーターとして出演。介護の現状や介護者の苦労について語っていた。

そのコメントの中に、「介護者の介護が必要」という言葉があった。

ともすれば、一人で考え、悩み苦しみ、不幸にして死を選んでしまったが、「愚痴をこぼすだけでもいいから人とつながって欲しかった」と思う。

私の身近にもそうした状況下でがんばっている人がいる。
その中に妹もいる。嫁ぎ先の母親が目を離すことができない状況である。不幸なことに、夫が先頃入院をしたのだ。

先日電話がかかってきた。
本人は、「愚痴を聞いてもらいたい・・・」とのことで、30分近く話を聞いた。
夫は病院、息子は東京と、家では介護を必要とする母親と二人だけの生活。毎日が息の詰まるような日々だということは容易に想像できる。

こういうことがあったので、清水さんの報道が余計気になった。

人間一人では弱いものである。同時に人や社会とのつながりがどれほど大切かも実感する。


「介護者の介護」。とても重要なことであるし、いつ介護される立場になるのか、正に全ての人にとって切実な問題である。

介護をしている人が愚痴をこぼすことは、至極当たり前のことであり、周りの人たちがそれに耳をかたむけ、頷くだけで「介護」になる。
テレビでのコメントはズシリと響いた。


そういえば、妹との話の最後、「話をしたら少し気が楽になった」、と言って電話が終わった。

見舞い出かけるのもいいが、いつでも気軽に電話が掛けられるつながりを保っていたいものである。
posted by 伊藤保徳 at 09:36| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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