2009年02月26日

自分とは?

先日、日本経済新聞の「私の履歴書」を紹介したが、この中(2月23日)でドトールコーヒー名誉会長の鳥羽博道氏が、自身の思想の原点について書いていた。

それは、次のような文章である。
《マニュアルや契約書にこだわらず、事情に合わせ、きめ細かく対応してきた。喫茶業に進出した出発点が「人の不幸をつくらない」という思いであり、オーナーの喜びが私の喜びだったからだ。

さらにその原点はと考えると、「至誠通天(至誠天に通ず)」という言葉に行き着く。父の好んだ言葉であり、この四字を記した書が実家の壁に飾ってあった。私は日々それを見ながら幼少期を過ごし、いつの間にか自分の指針にしていたのだった。》

「オーナーと共に」というタイトルで書かれた文章の最後に記されていたが、感慨深く読んだ。

それは、純粋倫理の勉強をしている中で、「両親祖先への感謝」ということがよく出てくることや、自身も「両親の子ども」であり、数多くの影響を受けていることを実感することがしばしばあるからだ。

確かに祖先、両親がいなければ私は存在していないし、そのこと自体に感謝の念を意識しなかっただけである。


こうした思いをズバリ表現した一文に遭遇した。
倫理研究所発行の「今日の道しるべ」という、一日一語の「日めくりカレンダー」があるが、それの20日に、《自分とは、親祖先に他ならぬ》という一文があった。

会社の私の部屋に掛けてあるものだが、出社すると一番に「今日の日付」にしているが、鳥羽氏の一文を読み、《自分とは、親祖先に他ならぬ》を思い出し、改めて見てみた。

解説として・・・
《自分の中に先祖がいると生命科学は教える。わが細胞中の遺伝子は、父母から半分づつもらった。父も母もまた両親から半分づつ・・・。だから自分を大切にすることは、親祖先を大切にすることだ。なんと不思議な、有り難く、尊いわが命だろうか。》


若い頃、あたかも自分一人の力で生きているような錯覚をしていた。
考え方や価値基準のようなものは、殆んど祖先や親から引き継いでいるものだと年を重ねてから理解できるようになった。

素直に考えれば、至極当たり前のことであるが、それがよくわかっていないのである。

「私の履歴書」にあるように、《父の好きだった言葉が、いつの間にか自分の仕事の指針にしていた》のである。意識をせずしてである。

自分とは?と、何も難しく考える必要は無い。
要は、親、祖先が自身の基盤である事を認識し、その上に己の修養を積み上げればよいのである。このことこそが己の「運命」を拓いてゆくことなのである。


《自分とは、親祖先にほかならない》、かみ締めるべき言葉である。


posted by 伊藤保徳 at 06:37| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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