2009年02月22日

論語考F

私が先頃から論語に関する本を読み出したのは、「致知」の記事がキッカケである。

それは、「こども論語塾」で講師をされている、溝本定子氏と「石塾」を主宰されている、岩越豊雄氏の対談記事であった。その中で紹介のあった『子どもと声を出して読みたい「論語」百章』(岩越豊雄著、致知出版社、2008、1初版)という本を早速買い求めた。

読んで見て、今までの「論語本」とは一味違い、現代的でわかりやすい解説が気に入った。
そして、どんどん興味が増していった。

この本の紹介はまたの機会とし、今回は溝本定子氏が気に入っている「一章」について紹介したい。

石平氏との対談(「論語道場」)で、氏は一番好きな言葉は、「徳は孤ならず、必ず隣あり」と述べている。『子曰、徳不孤 必有隣』・・・先生が言われるには、「徳のある人は、決して孤独にはならない。必ず共鳴して理解し合える隣人が現れるものだ」と。

溝本氏が、「こども論語塾」を開講した頃のエピソードを披露している。
《いざ開講、ということになり、果たして何人の子どもが着てくれるかとても心配をした。そんな気持ちを見透かしたように、友人からメールが届いた。たった一行「徳は孤ならず」と。》

なかなか知性的なやり取りであり感心した。
私はこの「徳は孤ならず・・・」に一つの思い出がある。(知性的ではないが・・・)

中学一年生の頃だったと思う。書道の課題でこの文字(六文字)が出た。読むこともままならず、半紙に六文字をバランスよく書くことが求められるが、なかなか難しい。六文字の画数が極端に違うからである。

書道は小学校の二年の頃から習っていたが、塾ではなく担任の先生に放課後指導をしてもらっていた。中学校に入ってからはそれはなくなってしまったが、書道の時間は好きな授業であった。


「徳不孤 必有隣」の六文字の大きさを、心もち変えて書いてみた。
そして自分の名前の一文字「徳」は、特に気を入れて書いたように思う。

これがはからずも「金賞」になったのである。


その時以来、「徳不孤 必有隣」という言葉は頭に残った。
意味は当時でも理解していたが、論語の一章であるという認識はなかった。
しかし、13〜14才頃にこうした言葉に接し、今でも覚えているということは当時の教育環境が良かったのであろう。感謝である。


今、改めて学びながら、「今だから理解できること」も多く、論語の意味の深さを少しづつ実感をしている。


posted by 伊藤保徳 at 17:39| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

消える里山

本地の将来を考える会で行っている、「親子農業体験・本地の米づくり」の最後のイベントである、「収穫祭」が今日行われる。

昨年6月に田植えを行い、10月に稲刈りを行い、収穫した米を使ってのイベントである。
内容は、餅つき、五平餅づくり、そして「おこしもの」づくりである。
その準備のため、昨日午後から会場に出かけたが、山の上から改めて地域全体を眺めて見て、懐かしい里山風景が殆んどなくなってしまっていることに一抹の寂しさを感じた。

会場は、小高い山の頂上にある「尾張恵比寿」の境内であり、ここからは地域全体を見渡すことが出来る。正確には、見渡せるようになったのである。
数年前から、その山のふもとの開発が進み、「尾張恵比寿」の社のみが孤立したような形になってしまったのである。

地権者の同意があってのことであろうが、もう少し地域全体のことを考え、話し合うべきだと思った。

この場所は、自宅から二キロ余のところにあるが、昔は緑豊かで麓の家々から煙が立ち昇る「里山」であった。
農業の衰退と共に、住宅開発などが進められたが、この山だけは残っていたのである。それが、今や周り木々が切り倒され、地肌が丸見えになってしまったのである。


この山は、その昔(小牧長久手の合戦)、徳川家康が進軍の途中でしばしの休みをとったとの言い伝えがあり、陣笠を掛けたという「笠がけの松」が残っていたり、権現様が歩いたということで、「権道路」(ごんどうじ)という地名も残っている。


その地域に住む人はその人たちなりの事情があることは分る。しかし、もう少し全体のことを考えたならば、今進行中の開発には躊躇されたのではなかろうか。
いうなれば、自己中心で、「世のため人のため」という考えに欠けていたのであろう。

積極的に「世のため、人のため」というのではなく、「そのままにしておく」という役立ち方もあると思う。


農業をやっていたときは、地域の連帯こそが基本原則であり、自己の「権利主張」は後回しであったと思うが、代も変わり、地域の全体を考える心が喪失してしまったと思う。

「時の流れ」だと、簡単に片付けてしまってはいけない。
個人の権利を尊重しつつも、もっと話し合いをするべきであった。


一度消えた里山は二度と復活をしない。

「残す」「守る」ために、我々の生活そのものを見直すことが必要だと思う。

開発が済んだ頃、今までにない問題に遭遇し、「昔を懐かしむ」というようなことにならないことを望みたい。
posted by 伊藤保徳 at 06:41| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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