2009年02月17日

話して記憶する

私の読書量は多い方だと思っているが、いつか書いたように、その本の「全てを読みきる」、とうより「虫食い読み」の場合が多い。(小説は違う。)

しかし、購入した本はなるべく長く手元に置いて、思い出してはまた読むというスタイルである。世の中には、読むことが楽しいという人も多いが、私は読書は手段だと考え、その本から知識はもとより、考え方などが得ることに価値を置いている。

本を読みながら、多くの発見や気づきを得ているが、それを自分のものにするのは、「書いてみる」「話してみる」ことを実践している。

書きながら未消化の点を見つけたり、話した反応によってプラスαをしているが、この事によって記憶に残るのである。私にとっての「読む書く話す」は、一つの記憶法ともいえる。


一年以上前のことであるが、テレビで島田紳助さんが、自身の記憶法について話していたことがある。彼は、「しゃべくりの天才」だと思っている。司会をしながら実に多くの話題を展開させているが、「どうしてそれだけいろんな事を覚えていられるのか?」という質問に対し、次のように話していた。

『毎日の生活の中で、この話は使えると思ったことは三回話すことにしている。一回目より二回目と、話していてその情景がハッキリしてくる。そうした情景を覚えておけば、今度同じような場面にであった時、その話題が出てくる。』・・・というような内容だった。

昨日までは、「話す事は記憶に残る」、という理解をしていたが、昨晩のテレビ番組(一分間の深イイ話)を見ていて島田神助さんが面白い話をしていた。

『俺、本はあんまり読まない。学校で習ったことなんかも殆んど忘れてしまった。でも、クラスの仲間との当時のやり取りなんかで、よく覚えていることがある。今でも、当時と同じような調子で話すことが出来る。それは《心に記憶をしているからや》。』・・・と。

私にとって、「心に記憶する」という言葉は衝撃的であった。

記憶のメカニズムを考えれば、当然「脳」で記憶するものだと思っていたが、「心に記憶」は新鮮な言葉である。
使える話は「三回話す」という意味もわかったような気がする。

「話す」という行為は、単に情報伝達というだけではなく、「心の通い合い」があるはずで、それは、感動であったり、共感であったりする。逆な言い方をすれば、その感動や共感のない話は単なる伝達行為で、心には残らないともいえる。

そうすると、単に「書いて、話す」という記憶行為について、「三回話す」ことは重要であるといえる。
共感の得られない話は三回も出来ないということである。

共感を得られたから三回も話すことが出来るといえるし、同時に、社会生活で「必要なこと」としての証ともいえよう。


やはり彼は「天才」であると思った。


posted by 伊藤保徳 at 07:32| Comment(2) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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