2009年02月14日

リーダーシップ論

中国から日本に留学し、今我社でアルバイトしている大学院生がいる。

彼との出会いは、私が社会人大学院にて「人的資源開発研究」の講義をした時である。もう4年位前になる。講義終了後、幾つかの質問を受け、それに答えたことが印象に残っていたようで、その後付き合いが始まり、今は我社の仕事を手伝いながら研究を続けている。

一昨年から、私の主宰する「経営塾」の事務局を担当してもらっているが、これは彼の研究に役立つのではないかと思ったからである。

彼の研究は、中国進出の日本企業の経営のあり方が中心であるが、その一環として「リーダーシップ論」(トップやエグゼクティブを対象)にも取組んでいる。

先日、その小論文を読ませてもらったが、二つの点が新鮮であった。
一つは、「リーダーは組織の中でつくられる」、というもので、長期雇用のもと昇進昇格を経てステップアップしていくものであるという内容。

極めて日本的である。欧米や中国では、「リーダー」は良き素材であることが前提で、リーダーシップを「技能」(スキル)として育成しリーダーとなるのが多いと聞いたことがある。
これとは逆の発想が「リーダーは組織の中でつくられる」、というものだと理解した。共感できる内容である。

二つ目は、リーダーの要件として、「徳才兼備」を上げている点である。
「徳」とは人格、「才」とは技能のことであり、この二つをバランスよく持っている人が理想のリーダーということである。

特に、「徳」についての言及が論語を始めとする中国古典であるところが面白い。
何でも、今中国で「論語」がブームだそうだ。北京大学の女性教授がテレビで論語解説をしたことから注目をあび、「改めて論語を!」という動きが活発化しているという。

この事に影響を受けたわけではないだろうが、彼は古典を勉強しながら何かをつかんだようだ。

担当教授からは、「今更なぜ古典?」というようなコメントがあったようだが、私は共感した。それは、「リーダーも人である」、という認識が基本にあるところである。
「人」であるということは、人格や人間性こそがリーダーとしての重要な要件になると考えるからだ。

ただ、「研究課題」としては範囲が広がるのでうまい絞込みが必要だと思う。

しばし、「中国古典」の話をしたが、中国と日本とでは認識が大きく違うこともわかった。


そろそろ論文もまとめの段階のようだが、「日本で研究した意義」を感じられる内容にして貰いたいと願っている。


posted by 伊藤保徳 at 08:16| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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