2009年02月13日

ポスター標語

先日、メンタルヘルスに関するセミナーを開催したが、その折、参加者全員に配布された資料の中に、ポスター、グッズ、図書などを紹介したパンフレットが入っていた。

安全衛生に関する催し物をすると、厚生労働省、労働局発行の印刷物が沢山配布されるが、加えて、「中央災害防止協会」からの資料も多くある。こちらは専ら「販促用パンフレット」である。

それには沢山のポスターが紹介されているが、目を引いたのは「コミュニケーション」に関するものである。

・屋外で女性が微笑む写真に、『元気なあいさつ つながる心』というコピー。
・男女が話し合っている写真に、『名前を呼んで 話しかけ』というコピー。
・安全帽と作業服に身を固めた男性が相手の肩に手をかけ『仲間を守る合言葉 《ご安全に》』
・職場風景の写真に、『気にかけ声かけ 元気な職場』
・女性が微笑みながら、『ありがとう 気持ちを言葉に』

そして、文字だけのものもある。

・『笑顔のあいさつ あなたから』
・『目くばり 気配り ゼロ災職場』・・・などである。

安全衛生の「緑十字マーク」が入っていなければ、倫理運動の啓発ポスターと言ってもいいほどだ。

あいさつを始め、職場でのコミュニケーションが「安全確保」や「職場の保健衛生向上」に、大きく関わっていることを物語っているといえよう。

逆説的に言えば、職場のコミュニケーションが希薄になっているとも言える。

現場では、一にも二にも生産性向上が叫ばれているが、それは当然である。しかし、問題なのは「人間的配慮が欠け」、人をまるで機械の一部のような扱いがあるのではないかと心配される。

生産性は、動作分析をして、作業ごとの時間を如何に短縮するかという事であるが、人の生産性が最も高くなるのは「楽しい時」ではなかろうか。
その楽しさはいろいろあるが、仕事の場面でいえば、「やりがいがある」とか「夢中になれる」、という気持ちになった時である。

いうなれば、「理性一辺倒」ではなく、感性に訴えて生産性を上げる、というアプローチがあってもいいと思う。


具体的な方策は見出していないが、少なくともそれは「仕組み」ではなく、「仕掛け」のような気がする。
そのヒントが「ポスター標語」にあるようだ。

管理監督者が自ら進んで、「あいさつ」「笑顔」「めくばり、気配り」を行なったり、「名前を呼んで話しかけ」るような状況を作り出すことこそ重要である。

それでこそ、安全で快適な職場環境が実現できると思う。


posted by 伊藤保徳 at 22:37| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

考える

「致知」二月号の特集は、「富国有徳への道」で一番最初の記事は、牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)と原丈人氏(デフタ・パートナーズグループ会長)の対談であった。

内容は、現在の行き過ぎた経済主義から、新たな公益主義を構築するべきである、というものである。目指す方向はお互い同じようだが、各論については両者の意見は殆んど違うという、珍しい対談であるという印象を受けた。


この中で、牛尾氏が、「ITは人類を滅ぼす」ということを語っている。
《私は、ITが出てきた時から、あれは人類を滅ぼすと思っていました。電話帳を引くようなものでね。要するに答えを求めて検索ばかりで、自分ではなにもものを考えていないわけですから。

インフォメーション(情報)というものは、それを集めて自分の中で整理してナレッジ(知識)にする。ナレッジを集積するとそこから自分独自のインテリジェンス(知性)が生まれる。そしてインテリジェンスに基づいて経験を積んでいく中でウィズダム(知恵)に達するわけです。人類を幸せにするためには、このインテリジェンス、ウィズダムを通じて技術開発の方向を決めていかなければ道を誤ります。》(P18より抜粋)


私は、「ITが人類を滅ぼす」ということまで考えていなかったが、インターネット社会となり、人々が考えたり、思い巡らすという行為が極端に減ってきたように思っている。

昨日名古屋で合宿研修を行ったが、会食の会場で同じようなことを感じた。
午後からの研修を終え、少しばかりのアルコールも用意し、リラックスしてもらおうと思っていた。場所は館内のレストランである。

ところが、数人が部屋備え付けの「浴衣」で出かけてきた。若い人達である。
「ラフな服装でよい」、といったが、部屋着でくるとは思ってもみなかった。(当人達には着替えてもらったが)

会食が始まりしばらくはそのことが話題となった。「常識がない」とか、「考えれば分るだろう」という意見の他に、「服装のこともよく聞いて参加すれば・・・」というものがあった。

若い人たちには、「教えてもらってない」、という気持ちが手に取るように分った。

「会食」の意味、外部の人も利用される「レストラン」で求められる立ち振る舞いや服装などなど。彼らにすれば、その意味を考える前に「正解」を安直に求めるのである。
まるで、ナビゲーターに指示されて運転をしているようなものだ。考えたり、思い巡らすことをしないのである。


牛尾氏の言葉が重い。
何でも「検索」で回答を求め、その通りに行う。これが人としての生き方だろうか?

考える機会を会社でも、自身の生活の中でも多くもつ事の必要性を感じる。
posted by 伊藤保徳 at 07:57| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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