2009年02月20日

自分磨き

今回で二度目となる「異業種交流会」が昨日から始まった。

異業種交流といっても、一般的に言われるものとは少し違い、我社の取引先との「勉強会」で、双方から5名づつの社員が参加している。
今回は、全部で5回の会合が予定されており、二つのグループで「問題解決の議論」をしてもらう予定になっている。

そもそもの発端は、「他の会社の事を知りたい」、という若手社員の声である。
日常仕事をやっていて、自社のことは理解しているものの、世間ではどうなんだろうか?かといって、他の会社人と、仕事を中心とした話し合いの機会もない。という声があった。

それほど大きな成果は得られないかもしれないが、「刺激」にはなる、ということから昨年第一回目(4回の会合)を行った。

内容や成果について双方で検討したが、「新しい視点を得た」、「自分のすべきことがわかった」など、参加者それぞれに得るものはあったようで、今年も行うことになった。

昨年の内容をふまえ、より大きな成果が得られるようにいろいろ工夫が凝らされている。


私は、参加者が主体」であり、「自分磨きの場」であると考えている。
ともすれば、テーマを決め、その解決策を検討し、それなりに「まとめる」、ということになりがちだが、それは議論の結果であり、真の成果はそのプロセスにあると思っている。

相手の発言に何を感じ、どんなことに気づいたのか。自分の発言にどんな反応があり、何を感じたのか、など・・・。そこれら全てが「自己鍛錬」だと思う。
同じような内容でも、職場でのやり取りと違って聞こえることもあるだろう。

こうした体験こそが刺激であり、改めて考えてみる機会でもある。


業種業態が違っていても、「課題」となれば似たようなものである。
事業経営は「人」がベースであることを考えれば、当たり前なのかもしれない。


初めての会合で、参加者達が「何を感じたのか」、興味のあるところであるが、まずは「知り合いが出来た」、という実感があればよいと思っている。

これからの会合で、「キッカケ」を更に深めてもらい、自身を大いに磨いてもらいたいものである。


posted by 伊藤保徳 at 07:03| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月19日

計画策定と実行

今朝、「事業の倫理」について書いたが、出社後も頭に残っており、理解が不十分であることを物語っていた。

我社でもそうだが、一般的に経営計画というものは、昨年度の結果を振り返り、現在及び将来の市場を見通しながら課題を特定、その解決のために限られた経営資源をどのように配分するかを決めるものである。

そのプロセスの中で、仕事の担当部署が決まったり、状況によっては新しい部署が決まることもある。これらは全て「資源の配分」である。

こうした枠組みが決定され、「さあ、頑張ろう!」ということになる。

今まで大きな疑問を持つことなく進めてきたが、今朝書いた「事業の倫理」を考えると、『だから計画通りに出来ないのだ・・・』と感じた。

計画通りに仕事が進むことは理想であるが、環境の変化によって計画変更を余儀なくされることも少なくない。
しかし、「事業の倫理」で示されている、「目的」「準備」「順序」「方法」それぞれにおける「倫理生活」という視点は全くなかった。

計画は「策定」されるが、「それで終わりであとは机の引き出しに・」、というケースが如何に多いことか。


策定された計画を、狙い通り実践し事を実現するために、それを実行する「人」にもっと注目するべきであろう。しかも「その心」に。
posted by 伊藤保徳 at 17:37| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

事業の倫理

昨日のモーニングセミナーで、「事業の倫理(成就の倫理)」という資料が配布された。

講話では、倫理研究所の宮崎名誉研究員が、「純粋倫理の本質」を「明日を拓く」というテーマで話されたが、その内容はわかりやすいものであった。
以前から聞いていることも多く、改めて基本を確認した。

一番の印象は、教材である「万人幸福の栞」に書かれている、「言葉」一つひとつに、深い思いを寄せられていることであった。

栞は純粋倫理創始者の丸山敏雄氏によって書かれたものであり、「研究員」はそれを心から信じ、実践し、自分なりの「体験的把握」をされていることが良く理解できた。

その講師から配布された資料「事業の倫理」であるが、『参考までに・・・』という説明があっただけであった。
一般的に言われている「企業倫理」とは違い、「事を成就するための倫理行動」、というような内容である。

この資料で目にとまったことがある。それは「引用元」の本である。
『サラリーマンと経営者の心得』(丸山敏雄著、株式会社新世書房、1954年初版)の156ページからの引用である。この本は、数ヶ月前に購入し、ざっと目を通しただけであるが、タイトルだけは覚えていた。

早速そのページを開いて見たが、本文がサラリと書かれているのに比べ、資料は体系化されていた。

これは、もう少し深読みしなければいけないと思っている。


内容は、「事業は何のためにするのか?」という目的の重要性から、準備、順序、方法、始末について記されているが、準備から始末まで、「モノや金」には一切ふれず、専ら「人の考え方(心)」が述べられている点が興味深い。

「事業の倫理」というからには当然のことかもしれないが、日頃、「全て人なり」といっている割には、ここまで考えておらず、恥ずかしさも覚えた。

「全て人なり」と、お題目の如く言っているが、「目的の理解」から始まり、事を成就するに当たり、「準備する時の心構え」、「ことを進める順序」、「実行するする時の姿勢や態度」、そして終了したときの「後始末」と、「人が行動するときの心のありよう」が示されているのである。

今は、資料や本を見た感想であるが、もう少し理解を深め、この「事業の倫理」を改めて紹介するつもりである。
posted by 伊藤保徳 at 08:30| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

捨てる生活

昨晩、瀬戸市倫理法人会では幹部研修会があった。

幹部研修というのは、毎月一回午後七時から一時間ほど、倫理研究所から派遣される講師によって行われているもので、「テキスト」をもとに、純粋倫理の原理を学んでいる。

夕方からというのは、急な用事が入ったりして出席者は少ないが、その分、濃密な時間になることもある。人数が多ければ、どうしても講師からの一方通行になるが、少なければ、「対話」があり、それなりに楽しいものである。

昨日は、七つの原理の内、『発顕還元の原理』を解説してもらった。
原理というだけあって、極めて当たり前のことである。しかし、日頃「気づかず生活」をしていることが多く、反省させられることが多い。

「発顕還元」とは、「出る・入る」の調和のことであり、「捨てる心なくして、得られる物はない」、というものである。

偶然であろうが、毎週発行されている「今週の倫理」(599号、2009.2.14〜2.20)の中に、倫理研究所創設者丸山敏雄氏の言葉があった。それが、「発顕還元の原理」に関するものであった。
(これは、講義を聞いてわかったのだが・・・。)

丸山敏雄氏は、《「純粋倫理」に則った生活を、一言で「捨てる生活」と表しています。これは経営者が日頃その判断・決断を行う時に、「固定観念」や「執着心」、そして「自己中心の我欲」などを捨てることが大切、という教えです。》とある。

このこともよく言われていることだが、この「捨てる」、ということはなかなか難しいものだ。

「固定観念」、「執着心」、そして「自己中心の我欲」を捨て去ることが本当に出来るものなのか?と思ったが、講義をききながら一つ理解できたことがある。

それは・・・
《捨てる生活というが、一体何を捨てるのか?それは「わがまま」や「私欲」である。》という説明である。

「わがまま」を捨てるとは、素直な気持ちになることであり、「私欲」を捨てるとは、世のため人のためになる考えを持つことである。これは、ロータリークラブでもよく言われていることである。

更には、「素直とは集中力だ」、との説明を聞き、モヤモヤしていた気持ちが一気に晴れた。


「捨てる生活」・・・。こういう達観した物言いは出来ないが、少なくとも、「わがままや私欲」を捨てて決断し、そのことに無我夢中になることだということは理解できた。
「無我夢中」という言葉が思わず出てきたが、ここにも「無我」という字句が出てくる。


些か理屈っぽいが、「無我」にならないと「夢中」にもなれない。
素直にならないと集中できない、ということと同じような意味である。

日常は、こんな気持ちで生活をしていないが、「はまった時にはこういう経験」をしたことがある。

もっと、「意識して生活すべき」と反省。

posted by 伊藤保徳 at 13:09| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

話して記憶する

私の読書量は多い方だと思っているが、いつか書いたように、その本の「全てを読みきる」、とうより「虫食い読み」の場合が多い。(小説は違う。)

しかし、購入した本はなるべく長く手元に置いて、思い出してはまた読むというスタイルである。世の中には、読むことが楽しいという人も多いが、私は読書は手段だと考え、その本から知識はもとより、考え方などが得ることに価値を置いている。

本を読みながら、多くの発見や気づきを得ているが、それを自分のものにするのは、「書いてみる」「話してみる」ことを実践している。

書きながら未消化の点を見つけたり、話した反応によってプラスαをしているが、この事によって記憶に残るのである。私にとっての「読む書く話す」は、一つの記憶法ともいえる。


一年以上前のことであるが、テレビで島田紳助さんが、自身の記憶法について話していたことがある。彼は、「しゃべくりの天才」だと思っている。司会をしながら実に多くの話題を展開させているが、「どうしてそれだけいろんな事を覚えていられるのか?」という質問に対し、次のように話していた。

『毎日の生活の中で、この話は使えると思ったことは三回話すことにしている。一回目より二回目と、話していてその情景がハッキリしてくる。そうした情景を覚えておけば、今度同じような場面にであった時、その話題が出てくる。』・・・というような内容だった。

昨日までは、「話す事は記憶に残る」、という理解をしていたが、昨晩のテレビ番組(一分間の深イイ話)を見ていて島田神助さんが面白い話をしていた。

『俺、本はあんまり読まない。学校で習ったことなんかも殆んど忘れてしまった。でも、クラスの仲間との当時のやり取りなんかで、よく覚えていることがある。今でも、当時と同じような調子で話すことが出来る。それは《心に記憶をしているからや》。』・・・と。

私にとって、「心に記憶する」という言葉は衝撃的であった。

記憶のメカニズムを考えれば、当然「脳」で記憶するものだと思っていたが、「心に記憶」は新鮮な言葉である。
使える話は「三回話す」という意味もわかったような気がする。

「話す」という行為は、単に情報伝達というだけではなく、「心の通い合い」があるはずで、それは、感動であったり、共感であったりする。逆な言い方をすれば、その感動や共感のない話は単なる伝達行為で、心には残らないともいえる。

そうすると、単に「書いて、話す」という記憶行為について、「三回話す」ことは重要であるといえる。
共感の得られない話は三回も出来ないということである。

共感を得られたから三回も話すことが出来るといえるし、同時に、社会生活で「必要なこと」としての証ともいえよう。


やはり彼は「天才」であると思った。
posted by 伊藤保徳 at 07:32| Comment(2) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日

論語考E

石平氏の著書『論語道場』(致知出版社)は、著者と論語に造詣が深い八人との対談集である。
八人はそれぞれ、論語の中で、「好きな言葉」とか「若者に贈りたい言葉」を述べている。

対談の一番最初は、大正生まれの儒学の大家として有名な伊與田氏であるが、月刊誌「致知」にもよく登場される人物である。

氏が、これからの若者達に贈りたい言葉としてあげているのが、《一を以て之を貫く》である。
質問に答えて、
《「一以て之を貫く」ですね。一番中心となるのは「一」、その「いち」とは孔子でいえば、すなわち「仁」ですね。

「仁」というものが、一番根本になって、そこからいろいろ人間関係も生まれてくるのですから。ですから、「仁の心」というものをお互いに深め合っていけば、自ずから相通ずるのです。

世の中に経済制度や社会制度などいろいろなシステムがありますが、その根底にある一貫した哲学や理念がないとだめですね。外部的な生き方も大切ですが、やはり根底的なところでの精神的一貫性がないと人間が成り立ちません。

だからどこの人間社会でも、うまく掘り下げていけば、必ずその根底の部分が見つかるのですね。やはりそこを目指していくべきで、一時の対立などに一喜一憂をせず、「わが道は一を以て之を貫く」べきです。》(P31〜32より抜粋)


「一を以って之を貫く」、その一とは「仁」なり、ということであるが、しからば「仁」とは、ということになる。
論語五十八章の中に、「仁」は百五回出てくるとのこと。それだけ重要な言葉であるが、「仁」は基本中の基本であることが理解できる。

「仁」についてわかりやすい説明がある。(『論語』安岡定子著、田部井文雄監修、日本能率協会マネジメントセンター刊)
「仁」とは「思いやり」と解釈をするが、人格者を「仁者」ということがある。この場合は「八つの徳目」を備えた人の事を指しているようである。従って、「仁」には、スモール「仁」と、ラージ「仁」があるという説明である。(この説明にはとても納得した。)

参考までに八つの徳目とは、「仁」(思いやり)、「義」(正義)、「礼」(礼節)、「智」(知恵)、忠(まごころ)、「信」(信頼)、「孝」(親孝行)、「悌」(長幼の序)、である。


伊與田氏の勧める言葉、「一を以って之を貫く」とは、「基本の大切さ」を説いており、人として生きていくための「根本精神」は、常に「相手を思いやる心」であるといういうこと。

人は一人では生きてはいけない。人間関係はもとより、広く自然界の万物との関係性の中で「生かされている」といえる。
こうした思いは最近になって強く感じるようになった。

「相手を思いやる心」、それは感謝の気持ちであり、全てが学びの対象であると思えるのである。

改めて思う。「論語」は生き方の指導書であるということを。
posted by 伊藤保徳 at 07:25| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月15日

論語考D

「論語」に関する本を読んでいるが、今日読んだ本はとてもわかりやすいのと同時に、今後勉強を進める上で大いに参考となる内容であった。

『論語道場』(石平著、致知出版社、2007、12、6第一刷)は、致知出版社30周年謝恩キャンペーンで、書籍一括購入サービスがあり、購入した一冊である。

著者の石平氏(せき・へい)は、1962年中国四川省生まれで、1988年に日本に留学されて以来、日本で活動されている評論家である。
何でも、留学時代神戸の本屋(ジュンク堂)で、中国の古典コーナーがあるのを偶然発見して、そこに「論語」の本がズラリと並んでいるのを見たとき感動したとの事。

その時の事を次のように語っている。
《中国ではあの頃、「論語」はまだ見捨てられていた時代ですから。日本でそれほど広く皆さんに愛読されていることを始めて知りました。

それ以来、十九年間も日本で暮らしていますが、実生活の中で感じたのは、学者や知識人だけでなく、多くの日本人は「論語」を実際の読んでいないかもしれないけれど、「論語」の精神がそのまま血となり肉となって生活の中で活かされているということです。

伊與田先生の言葉で言えば、まさに「論語」読まずの「論語知り」ということですね。》(P15より抜粋)


これは、伊與田覚氏との対談での言葉であるが、本全体が「対談」で構成されている。
著者と伊與田覚氏をはじめとして、八人との対談内容が載せられている。内容は、「論語」に関することが中心であるが、それぞれの人が「論語」の中で一番好きな言葉や、若者に贈りたい言葉などを解説しており、とても分りやすく勉強になった。

「論語」の理解に少し近づいたような感想を持った。とても身近なことばかりで、祖父母や両親から小さい頃言われた記憶のある言葉も多くあった。


著者は「あとがき」で、八人の凄い顔ぶれに最高の敬意を示している。
その八人とは、《儒教の普及と人をつくる教育の推進に生涯を捧げてきた大正生まれの儒学の大家、伊與田覚氏》、《武士の末裔として日本精神と東洋精神の昂揚と実践に範をたれてきた伝道者、渡邊五郎三郎氏》

《知の巨人と呼ばれる不世出の碩学、渡部昇一氏》、《稀代の教養人として知られる日本きっての国際戦略家、岡崎久彦氏》、《不屈の意思で巨大組織の改革を成し遂げた現役の財界領袖、葛西敬之氏》、《金融市場の最前線でリーダー的な役割を担う風雲児、北尾吉孝氏》

《日本国の教育再生を一身に背負った春風駘蕩の女性政治家、山谷えり子氏》、《安岡正篤先生の孫として生まれ、今や多くの子供たちに論語の素読を教えるカリスマ女先生、溝本定子氏》

以上の八人である。
そして、各氏の形容は著者自身によるものである。


残念ながら直接会ったことのある人は皆無であるが、いろいろな書籍で考え方にふれたことのある人ばかりである。
対談では、「論語」との出会い、「論語」が日本人の実生活の中に生きていること、そして昨今それが薄らいできていることへに危惧など、「論語」を理解する上で大変参考になる。

全ての人たちが子どもの頃から「論語」に接しており、今でも判断の基準にしたり、新しい発見があったりするとの事。


一つの文章を「暗誦」したり、その意味を理解することも一つの勉強方法である。しかし、この本からは、もっと基本的な、「生きていくことの知恵」を学べたような気がする。

次からは、各氏が論語の中で「好きな言葉」を紹介しながら、自身の感想も述べていきたいと思っている。
posted by 伊藤保徳 at 23:21| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月14日

リーダーシップ論

中国から日本に留学し、今我社でアルバイトしている大学院生がいる。

彼との出会いは、私が社会人大学院にて「人的資源開発研究」の講義をした時である。もう4年位前になる。講義終了後、幾つかの質問を受け、それに答えたことが印象に残っていたようで、その後付き合いが始まり、今は我社の仕事を手伝いながら研究を続けている。

一昨年から、私の主宰する「経営塾」の事務局を担当してもらっているが、これは彼の研究に役立つのではないかと思ったからである。

彼の研究は、中国進出の日本企業の経営のあり方が中心であるが、その一環として「リーダーシップ論」(トップやエグゼクティブを対象)にも取組んでいる。

先日、その小論文を読ませてもらったが、二つの点が新鮮であった。
一つは、「リーダーは組織の中でつくられる」、というもので、長期雇用のもと昇進昇格を経てステップアップしていくものであるという内容。

極めて日本的である。欧米や中国では、「リーダー」は良き素材であることが前提で、リーダーシップを「技能」(スキル)として育成しリーダーとなるのが多いと聞いたことがある。
これとは逆の発想が「リーダーは組織の中でつくられる」、というものだと理解した。共感できる内容である。

二つ目は、リーダーの要件として、「徳才兼備」を上げている点である。
「徳」とは人格、「才」とは技能のことであり、この二つをバランスよく持っている人が理想のリーダーということである。

特に、「徳」についての言及が論語を始めとする中国古典であるところが面白い。
何でも、今中国で「論語」がブームだそうだ。北京大学の女性教授がテレビで論語解説をしたことから注目をあび、「改めて論語を!」という動きが活発化しているという。

この事に影響を受けたわけではないだろうが、彼は古典を勉強しながら何かをつかんだようだ。

担当教授からは、「今更なぜ古典?」というようなコメントがあったようだが、私は共感した。それは、「リーダーも人である」、という認識が基本にあるところである。
「人」であるということは、人格や人間性こそがリーダーとしての重要な要件になると考えるからだ。

ただ、「研究課題」としては範囲が広がるのでうまい絞込みが必要だと思う。

しばし、「中国古典」の話をしたが、中国と日本とでは認識が大きく違うこともわかった。


そろそろ論文もまとめの段階のようだが、「日本で研究した意義」を感じられる内容にして貰いたいと願っている。
posted by 伊藤保徳 at 08:16| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

ポスター標語

先日、メンタルヘルスに関するセミナーを開催したが、その折、参加者全員に配布された資料の中に、ポスター、グッズ、図書などを紹介したパンフレットが入っていた。

安全衛生に関する催し物をすると、厚生労働省、労働局発行の印刷物が沢山配布されるが、加えて、「中央災害防止協会」からの資料も多くある。こちらは専ら「販促用パンフレット」である。

それには沢山のポスターが紹介されているが、目を引いたのは「コミュニケーション」に関するものである。

・屋外で女性が微笑む写真に、『元気なあいさつ つながる心』というコピー。
・男女が話し合っている写真に、『名前を呼んで 話しかけ』というコピー。
・安全帽と作業服に身を固めた男性が相手の肩に手をかけ『仲間を守る合言葉 《ご安全に》』
・職場風景の写真に、『気にかけ声かけ 元気な職場』
・女性が微笑みながら、『ありがとう 気持ちを言葉に』

そして、文字だけのものもある。

・『笑顔のあいさつ あなたから』
・『目くばり 気配り ゼロ災職場』・・・などである。

安全衛生の「緑十字マーク」が入っていなければ、倫理運動の啓発ポスターと言ってもいいほどだ。

あいさつを始め、職場でのコミュニケーションが「安全確保」や「職場の保健衛生向上」に、大きく関わっていることを物語っているといえよう。

逆説的に言えば、職場のコミュニケーションが希薄になっているとも言える。

現場では、一にも二にも生産性向上が叫ばれているが、それは当然である。しかし、問題なのは「人間的配慮が欠け」、人をまるで機械の一部のような扱いがあるのではないかと心配される。

生産性は、動作分析をして、作業ごとの時間を如何に短縮するかという事であるが、人の生産性が最も高くなるのは「楽しい時」ではなかろうか。
その楽しさはいろいろあるが、仕事の場面でいえば、「やりがいがある」とか「夢中になれる」、という気持ちになった時である。

いうなれば、「理性一辺倒」ではなく、感性に訴えて生産性を上げる、というアプローチがあってもいいと思う。


具体的な方策は見出していないが、少なくともそれは「仕組み」ではなく、「仕掛け」のような気がする。
そのヒントが「ポスター標語」にあるようだ。

管理監督者が自ら進んで、「あいさつ」「笑顔」「めくばり、気配り」を行なったり、「名前を呼んで話しかけ」るような状況を作り出すことこそ重要である。

それでこそ、安全で快適な職場環境が実現できると思う。
posted by 伊藤保徳 at 22:37| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

考える

「致知」二月号の特集は、「富国有徳への道」で一番最初の記事は、牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)と原丈人氏(デフタ・パートナーズグループ会長)の対談であった。

内容は、現在の行き過ぎた経済主義から、新たな公益主義を構築するべきである、というものである。目指す方向はお互い同じようだが、各論については両者の意見は殆んど違うという、珍しい対談であるという印象を受けた。


この中で、牛尾氏が、「ITは人類を滅ぼす」ということを語っている。
《私は、ITが出てきた時から、あれは人類を滅ぼすと思っていました。電話帳を引くようなものでね。要するに答えを求めて検索ばかりで、自分ではなにもものを考えていないわけですから。

インフォメーション(情報)というものは、それを集めて自分の中で整理してナレッジ(知識)にする。ナレッジを集積するとそこから自分独自のインテリジェンス(知性)が生まれる。そしてインテリジェンスに基づいて経験を積んでいく中でウィズダム(知恵)に達するわけです。人類を幸せにするためには、このインテリジェンス、ウィズダムを通じて技術開発の方向を決めていかなければ道を誤ります。》(P18より抜粋)


私は、「ITが人類を滅ぼす」ということまで考えていなかったが、インターネット社会となり、人々が考えたり、思い巡らすという行為が極端に減ってきたように思っている。

昨日名古屋で合宿研修を行ったが、会食の会場で同じようなことを感じた。
午後からの研修を終え、少しばかりのアルコールも用意し、リラックスしてもらおうと思っていた。場所は館内のレストランである。

ところが、数人が部屋備え付けの「浴衣」で出かけてきた。若い人達である。
「ラフな服装でよい」、といったが、部屋着でくるとは思ってもみなかった。(当人達には着替えてもらったが)

会食が始まりしばらくはそのことが話題となった。「常識がない」とか、「考えれば分るだろう」という意見の他に、「服装のこともよく聞いて参加すれば・・・」というものがあった。

若い人たちには、「教えてもらってない」、という気持ちが手に取るように分った。

「会食」の意味、外部の人も利用される「レストラン」で求められる立ち振る舞いや服装などなど。彼らにすれば、その意味を考える前に「正解」を安直に求めるのである。
まるで、ナビゲーターに指示されて運転をしているようなものだ。考えたり、思い巡らすことをしないのである。


牛尾氏の言葉が重い。
何でも「検索」で回答を求め、その通りに行う。これが人としての生き方だろうか?

考える機会を会社でも、自身の生活の中でも多くもつ事の必要性を感じる。
posted by 伊藤保徳 at 07:57| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。