2009年02月28日

国家経営者

ドトールコーヒー名誉会長の鳥羽博道氏の「私の履歴書」が最終回となった。

2月1日から読みはじめ、毎日の日課のようであったが、「創業者」というのは逞しいという感想を改めて思った。自身で理想を掲げ、その実現のためにひたむきに努力する。言うは易いが実践はなかなか難しい。

我社の創業者も沢山の苦労を乗り越え二代目にバトンタッチ。二代目は戦後の混乱期に「復興は電気から」というスローガンを掲げ、経営の近代化に取組み、高度成長期に飛躍的な成長を遂げ、今日の事業基盤を確立された。

1980年、二年余にわたる闘病生活から復活、「第二の創業」を宣言し、「優良企業に挑戦する」というビジョンを掲げられた。
これからという時再び病に倒れ、以来、三代目の現社長がこれに取組んでいる。


鳥羽氏の「私の履歴書」を読みながら、我社の創業者や二代目社長の「想い」に馳せたが、昔話として仕舞い込んではならないと強く感じた。
何らかの形で、深く探求しなければならないと思っている。


さて、最終回であるが、鳥羽氏は、自身の夢は実現できたと述懐しながら、次なる「理想」を明らかにしている。それは、『努力に応じ、国民等しく幸せに住める社会』『世界から尊敬される国、日本』の実現であり、そのためには、「卓越した国家経営者」の出現を願っているという。

私も同感である。

今の政治家は、夢や理想が描けておらず、ともすれば「前例主義」で国家を運営しているように思える。
第二次大戦での敗戦以後、官僚主体の国家運営は日本をトップレベルにまで引き上げてきた。しかし、現代ではその手法は通じず、今必要なのは、「国家百年の大計」だと思う。

事業家は、創業に当たり夢のような理想を描き、それに向って努力する。この姿勢を政治家が持つべきだ、というのが鳥羽氏の主張である。そしてそれを「国家経営者」と称しているのである。

鳥羽氏は、自ら掲げた「最後の夢」実現のために、上場企業の創業経営者七人で「だるまの会」を作り、そこで理想実現の方策を話し合っているとのことである。
その内容も一、二紹介している。

私の感じた一番の策というのは、「今年に限り生前贈与の税率をゼロにする」、というアイディアである。GDPを上げるために、千五百兆円といわれる個人金融資産を消費に結び付けようというもので、一年間は贈与税率をゼロにする。ただし、贈与は現金に限ること、一年以内に消費することを条件にする、という内容である。

なかなか面白いし、現実的でもある。事業経営者ならではの発想である。


夢や理想は、まず描けなければ実現などできるものではない。

卓越した国家経営者の出現を私も願っている。


posted by 伊藤保徳 at 18:43| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月27日

最高のリーダー

ディズニー関係の本を以前から読んでいるが、その多くは「サービス」に関したものである。究極のサービスについて、いろいろ書かれているが、我社のような製造業では、直接活用することは難しいと感じていた。

ディズニーリゾートは、昨年9月、創業90周年の記念事業として社員とその家族約3000名で出かけ、そのサービスに触れ、改めて「こうあるべきだ」、と思った。

ああしたサービスを、スタッフがキチンと行なえるようになるためには、それなりの教育訓練があり、きめ細かなマニュアルが用意されているのだろうと考えていた。
勿論それもあろうが、「リーダー」にスポットを当てた本を見つけた。

『感動をつくる』−ディズニーで最高のリーダーが育つ10の法則ーという本である。(リー・コッカレル著、月沢李歌子訳、ダイヤモンド社、2008.11第1刷)

著者は、ディズニーで上級副社長を10年以上勤め、退社後はディズニー・インスティチュートを代表して、リーダーシップ研修やプロッフェショナル研修の講師を務めているという。いわば「研修のプロ」である。

《ディズニーが秘策を公開。感動のサービスは「人づくり」で生まれる。》というコピーにつられた購入した本だが、著者の実体験と共に、指導のための系統だった説明であり、とてもわかりやすい。むしろ、日頃「人づくり」や「リーダー」の育成に、試行錯誤している人にとって、「思考の整理」に役立つ内容である。(私もその一人だが・・・。)


「最高のリーダーが育つ10の法則」というサブタイトルが示す如く、10項目について「原則」が紹介してある。
法則1、だれもが大切
法則2、型を破る
法則3、社員をブランド化する
法則4、研修を通して魔法をつくる
法則5、問題を排除する
法則6、真実を学ぶ
法則7、無料の燃料を燃やす
法則8、一歩先行く
法則9、言動に注意する
法則10、人格を育てる

これだけを見ると、法則2、3を除いてはとても欧米人が書いたように思えない。
各「法則」を、体験を交えながら解説しているが、それも「ステップ・バイ・ステップ」のような展開で、一種のマニュアルと言っていいほどだ。

更には、各法則ごとの最後に、「アクションステップ」というチェックリストが用意されており、「このようにやりなさい・・・」と、極めて親切である。
例えば、「法則1」のアクションステップは、
・一人ひとりが大切であることを示すためにどんなことをしているか、たびたび自問する。
・従業員一人ひとりが、お客様一人ひとりが、自分は特別だと感じられるような環境をつくる。
・一人ひとりの個性を認める。
・だれに対しても、どんな時でも心から敬意を払う。
・部下を知るための時間をつくる。
・一人ひとりに知るべき情報を知らせ、学ぶべきスキルを学ばせる。
・職位や肩書きに関わらず、部下が話をしたいというときには耳をかたむける。
・話を聞くときは、集中して聞く。・・・などである。


特別のことではない。日頃、大なり小なり実行していることばかりである。
大きな違いは、「計画的であるかどうか」と、「継続しているか」ということになる。

本を読みながら、我社のリーダーに達に、この「10の法則」を説明し、それぞれに「アクションステップ」をつくらせてみてはどうであろうかと考えた。
10の法則全てでなくてもいいが、日頃行っていることを整理したなれば、それこそ自身のリーダーシップモデルではなかろうか。

法則(原則)が増えるに従い、レベルも上がり、最高のリーダーになるのだと思う。
posted by 伊藤保徳 at 15:05| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月26日

自分とは?

先日、日本経済新聞の「私の履歴書」を紹介したが、この中(2月23日)でドトールコーヒー名誉会長の鳥羽博道氏が、自身の思想の原点について書いていた。

それは、次のような文章である。
《マニュアルや契約書にこだわらず、事情に合わせ、きめ細かく対応してきた。喫茶業に進出した出発点が「人の不幸をつくらない」という思いであり、オーナーの喜びが私の喜びだったからだ。

さらにその原点はと考えると、「至誠通天(至誠天に通ず)」という言葉に行き着く。父の好んだ言葉であり、この四字を記した書が実家の壁に飾ってあった。私は日々それを見ながら幼少期を過ごし、いつの間にか自分の指針にしていたのだった。》

「オーナーと共に」というタイトルで書かれた文章の最後に記されていたが、感慨深く読んだ。

それは、純粋倫理の勉強をしている中で、「両親祖先への感謝」ということがよく出てくることや、自身も「両親の子ども」であり、数多くの影響を受けていることを実感することがしばしばあるからだ。

確かに祖先、両親がいなければ私は存在していないし、そのこと自体に感謝の念を意識しなかっただけである。


こうした思いをズバリ表現した一文に遭遇した。
倫理研究所発行の「今日の道しるべ」という、一日一語の「日めくりカレンダー」があるが、それの20日に、《自分とは、親祖先に他ならぬ》という一文があった。

会社の私の部屋に掛けてあるものだが、出社すると一番に「今日の日付」にしているが、鳥羽氏の一文を読み、《自分とは、親祖先に他ならぬ》を思い出し、改めて見てみた。

解説として・・・
《自分の中に先祖がいると生命科学は教える。わが細胞中の遺伝子は、父母から半分づつもらった。父も母もまた両親から半分づつ・・・。だから自分を大切にすることは、親祖先を大切にすることだ。なんと不思議な、有り難く、尊いわが命だろうか。》


若い頃、あたかも自分一人の力で生きているような錯覚をしていた。
考え方や価値基準のようなものは、殆んど祖先や親から引き継いでいるものだと年を重ねてから理解できるようになった。

素直に考えれば、至極当たり前のことであるが、それがよくわかっていないのである。

「私の履歴書」にあるように、《父の好きだった言葉が、いつの間にか自分の仕事の指針にしていた》のである。意識をせずしてである。

自分とは?と、何も難しく考える必要は無い。
要は、親、祖先が自身の基盤である事を認識し、その上に己の修養を積み上げればよいのである。このことこそが己の「運命」を拓いてゆくことなのである。


《自分とは、親祖先にほかならない》、かみ締めるべき言葉である。
posted by 伊藤保徳 at 06:37| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

日本語を学ぶ

今日の瀬戸市倫理法人会モーニングセミナーの講話は私の当番であり、日頃感じていることについて話をした。テーマは、「日本語を学ぶ」であった。

相手に自分の気持ちを伝えるうえで、言葉はとても重要であるが、ともすれば日本語は小さい時から使っている事もあり、きちんと学んだと言う記憶がない。
尊敬語や謙譲語などは教えてもらったことがあるが、それは日本語を学ぶと言うより、対人関係を円滑にするための「礼儀」として学んできた。

従って、「日本語」をいまさら学ぶと言うような気持ちは全くなかった。
しかし、「致知」(2月号)にあった、東京世田谷区教育長(若井正文氏)のインビュー記事を見ていささか驚いた。

義務教育の中で、「日本語」という教科を創設し、平成19年から「日本語授業」が始められたという。

ふと思ったのは、わざわざ「日本語」という教科を作らなくても、「国語」の時間でいいのでは?ということである。
この点について教育長は理由を二つ述べている。
《一つは、教科「日本語」の内容が学習指導要領に定められた「国語」の内容だけでなく、社会科的な内容、理科的な内容、また算数・数学的な内容なども含み、教科横断的な内容になっていることです。

二つ目の理由は、学習指導要領で定められた「国語」と違って、小学一年生から多くの古典に触れさせるとともに、漢字も多用していることです。》・・・と。

いうなれば、日本語が日本人をつくり、日本文化をつくりあげているという基本思想があり、日本語を学ぶということは、総合的な日本文化の学びであるという認識であるとのこと。

この記事を読んで、一種感銘を覚えた。

と言うのは、『日本創生への道』(丸山敏秋著、倫理研究所)の中にも同じことが書かれていたことを思い出したからである。ここでは、日本文化の本質として、「日本語」と「天皇家」のことが説明してあった。


さて、「日本語の授業」なるものがどんなものかと興味が増すばかりであるが、記事の中で、小学校中学校の「教科書」を一般にも販売していることを知り、早速購入することにした。

この教科書が一週間ばかり前手元に届き、いったいどんなものかとページをめくって驚いた。

小学校一年生の教科書とは思えないような内容である。
一番最初のページこそ、「鉛筆の持ち方」の図説であるが、以降は、「春夏秋冬」の四季にあわせた「詩」や「俳句」などが紹介されている。

これを、声をそろえて音読しているという。

小学一年生の「春」にあたる部分を紹介すると・・・、
「季節を楽しもう」〈1〉として、山村暮鳥の「風景」という詩が紹介されている。そして、「春はどんな季節ですか?」「春を感じる言葉をさがしてみましょう」という設問がある。

「日本語の響きやリズムを楽しもう」〈1〉では、小林一茶の俳句が紹介され、《俳句は、日本で古くから続けられてきた短い詩です。》という解説がある。

そして次には「漢詩」、「地域の民話」、「短歌」と続くのである。
一年生では習うことのない「漢字」もたくさん使ってある。(もちろんふり仮名はある)

「秋」になると、「論語」まででてくる。


教科書全てに目を通したわけではないが、確かに「国語」という領域ではなく、総合的な日本文化の学びのために編集された意図がよく理解できる。

改めて「日本語」を学ばねばならないと思った。
posted by 伊藤保徳 at 10:57| Comment(4) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大局観

我々の業界に「オートメルビュー」という新聞があるが、その2月18日号の「オートメ評論」欄に、米国オバマ大統領を評価する一文があった。

執筆しているのは、オートメ総合研究所所長の白岩禮三氏である。

内容は、オバマ大統領の「大局観」を褒めたものである。
大統領は、今の経済危機に対し、その政策を「景気回復」とは言わず、「米国経済の再構築」といい続けている点である。

即ち、「景気回復」といえば、回復前の経済が正常であり、それに戻すというニュアンスになるが、「再構築」という言葉を使い、根本的に変えようとしているのである。
つまり、かって経験した好景気というのは、資源の無駄遣いの上に成り立っていたという反省に立ち、「経済の再構築」こそが、米国の新しい指標にしようとしているのである。

それが、「グリーンニューデール政策」である。

我が国はどうであろう。
国会では「景気回復」「経済対策」という言葉ばかりである。しかも「定額給付金」などという、ばらまきとしか思えないような小手先の施策ばかりである。

いうなれば、大局観が無いのである。寂しいかぎりである。


ただ、そんな中にあって、安倍内閣の時の大田弘子経済財政政策担当大臣は、時代を見据えた発言をしている。
大田弘子著『経済財政諮問会議の戦い』(東洋経済新報社)で、「危機を反転する成長戦略のビジョンを」、と主張している。
この内容は、大臣当時に演説された内容で、以前ブログにも書いた。

氏の談話が紹介された小冊子(My経営情報、2009.2)から一部紹介する。

《2002年以降の世界経済は、米国の消費がエンジンになって牽引される構図が続いてきた。しかしその構図は明らかに終焉を迎え、世界経済は次の大きなステージに進もうとしている。それがどんなものかはまだ誰もわからない。しかし考えておかなければならないのは、新しい世界経済のステージで日本はどの位置に立てるのかという問題である。

日本経済が直面している地域経済の低迷、消費の冷え込みといった問題は、今回の金融危機で起こったことではなく、金融危機の前から抱えていた課題だ。

従って今大事なことは、一時的な目先の施策ではなく、地域の弱さ、消費の弱さ、雇用の弱さへの根本的な取組みである。》

そして、成長戦略として、@サービス産業の生産性の向上。A世界に開かれた経済システムの構築。B人材を活かす。の三つを上げているが、これは大臣当時の演説にあった内容と同じである。


現内閣の進めている施策に比べ、大局観のある提言である。
この事に付いてもっと議論を深めるべきである。

オバマ大統領の言う「経済の再構築」と視点は同じである。


何故大局観のない施策検討に終始するのかといえば、「国民への迎合」がそうしているのだと思う。マスコミでは、今の政治は「国民不在」と非難するが、そうではなく、選挙に勝つために国民の顔色ばかりを伺っているため、小手先の施策しか思いつかないのである。

「100年に一度」という言葉が良く使われるが、真にそう思っているのであれば、根本的に構造を変革必要があろう。
オバマ大統領の言う「再構築」であり、大田氏の言う「世界経済の中での位置づけ」を明らかにするべきであろう。


今こそ、日本の特徴や強みを再認識し、日本型の経済構造を構築することをビジョンとすべきである。
posted by 伊藤保徳 at 04:35| Comment(1) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月24日

魅力の基準

今月の「私の履歴書」(日本経済新聞)は、ドトールコーヒー名誉会長の鳥羽博道氏である。

家を飛び出し、裸一貫で今日のコーヒーショップチェーンを築き上げられたが、その道のりは大変であったようだ。読んでいて感じるのは、氏の真面目でひたむきな姿勢である。
その態度行動が、人をひきつけ、チャンスを呼び込んでいるように思う。

2月23日は、「オーナーと共に」というタイトルで、「コロラド」というフランチャイズ店の経営改善についての話であった。

オーナーの性格によって経営不振に陥る店もあったようだが、氏の喫茶業への出発点は「人の不幸をつくらない」、という思いであり、こうした経営不振の店には頭を悩ませたようだ。
ある時、「店の魅力、商品の魅力、人の魅力」という言葉がひらめき、この考えで経営指導を行うことを決意された。

しかし、問題はその「魅力」という言葉であり、基準が人それぞれだということであった。

そこで、自ら店に出かけ、徹底した清掃、外壁塗装のやり直し行い、店内の絵、花、置物、椅子などを置き直したという。翌日から売上も増えたようで、その後不振店を一軒一軒そのようにしていったとのことである。

まさに、「魅力の基準」を自らが示したということになる。


このことは、組織のリーダーに対してとても重要な「態度」を示している。
先ずは、フランチャイズチェーンとはいえ、契約の論理だけではなく、「人の不幸をつくらない」という思想のもと、親身になって指導していることである。
そこには、「一緒に働く仲間」、「共に世のため人のため」という意識があるからだ。

《マニュアルや契約書にこだわらない》、と述べているように、その店(オーナー)の事情に合わせたきめ細かな指導がされている。

次は、「自らがやってみせる」ということで、「魅力の基準」を示していることである。
本文では、「店の魅力基準」のことしか紹介されていないが、「商品の魅力」や「人の魅力」についても店同様に、言葉で、態度でその基準を示されたことであろう。

リーダーとしてメンバーに対し、どんな行動を取ってもらいたいのか?
まずは「言葉」で明らかにすべきだが、それにもまして自らが望む言動を実践すべきである。

指導する時の有名な言葉に、「やってみせ、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かず」、というのがあるが、まさにこの実践である。


我社には四十数か所の営業拠点があるが、その成績にはばらつきがある。
その運営は、拠点責任者の性格によって大きく異なる。むろん、基本的なルールや運営の取り決めごとは守られているが、「魅力」という一歩踏み込んだ価値観で見たとき、不十分な点は多いといえる。

鳥羽氏の「履歴書」を読みながら、成績のばらつきはこの点にあるのではないかと思った。

別な表現をすれば、『店の魅力は商品の魅力にしかず、商品の魅力は人の魅力にしかず』、である。

やはり、源は「人」なのである。
posted by 伊藤保徳 at 10:24| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月23日

記憶より記録

日常的に良く使っている言葉に、「記憶より記録」というのがある。

「職場の教養」という小冊子の、今日(2月23日)の言葉が「記憶ではなく記録」である。
職場において、マニュアルなどに示されていないことが数多く発生する。それらに対処した結果を記録しておくことにより、それが職場の共有財産になるので、とにかく書き記す習慣をつけよう、という内容である。

「書き記す習慣」というのは、「メモをする」ということを連想するが、ここで言っていることは、「メモ」ではなく「記録」である。
「メモ」も記録の一つには違いないが、それだけでは財産として共有することは出来ず、記録化には工夫が必要だと思っている。


「メモ」といえば、会社の大先輩を思い出す。
社会に出て、最初のカルチャーショックであったことを思い出す。とにもかくにも「メモ」をされていた。加えて、「日記」も毎日付けられていた。

出張をされる時も鞄には必ず日記帳が入っていた。聞くところによれば、10代後半から付けはじめ、今までつけなかった日は一日もないとのことで、当時50歳だったと思うが、ビックリしたことを思い出す。現在も元気な様子であり、恐らく今も書き綴られていることであろう。


こうした上司のもとで、少なからず影響を受けたと思うが、私もメモはする方である。

ただ、「メモ」はどこまでいっても「メモ」で、記録とはイコールではない。

一歩進めて、「相手を意識したメモ」というものがある。
会社でいえば、営業マンの「日報」のようなものである。日々の出来事や活動内容の報告である。これは相手に理解されることが前提であるが、「メモ」の域をでないものも多く見られる。


「記憶」より「記録」である方が確かであることは言うまでもない。
私がブログを始めたのも、一種の記録化であるが、一番気をつけているのは、思ったことや感じたことを率直に言葉にすることである。

メモや記憶を辿りながら、思いを文字にすることで、一つの「物語」になる。それは、深く記憶することにもなるが、第三者が見ても活用することが可能であると思っている。


メモは自分のみが分る「符牒」のようなもので、それを整理して「記録」となる。その記録が、行動内容だけではなく、「狙い」と共に心の動きまで盛り込まれていたとすれば、大いに活用できることになる。
それこそ職場の共有財産である。
いや、共有財産になる前に、自分を磨くことになろう。


一日に一つくらいは「記録」すべきことはある。
「職場の教養」にある「今日のこことがけ」《気づきはすぐに記録しましょう》

全くその通りである。
posted by 伊藤保徳 at 06:43| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

論語考F

私が先頃から論語に関する本を読み出したのは、「致知」の記事がキッカケである。

それは、「こども論語塾」で講師をされている、溝本定子氏と「石塾」を主宰されている、岩越豊雄氏の対談記事であった。その中で紹介のあった『子どもと声を出して読みたい「論語」百章』(岩越豊雄著、致知出版社、2008、1初版)という本を早速買い求めた。

読んで見て、今までの「論語本」とは一味違い、現代的でわかりやすい解説が気に入った。
そして、どんどん興味が増していった。

この本の紹介はまたの機会とし、今回は溝本定子氏が気に入っている「一章」について紹介したい。

石平氏との対談(「論語道場」)で、氏は一番好きな言葉は、「徳は孤ならず、必ず隣あり」と述べている。『子曰、徳不孤 必有隣』・・・先生が言われるには、「徳のある人は、決して孤独にはならない。必ず共鳴して理解し合える隣人が現れるものだ」と。

溝本氏が、「こども論語塾」を開講した頃のエピソードを披露している。
《いざ開講、ということになり、果たして何人の子どもが着てくれるかとても心配をした。そんな気持ちを見透かしたように、友人からメールが届いた。たった一行「徳は孤ならず」と。》

なかなか知性的なやり取りであり感心した。
私はこの「徳は孤ならず・・・」に一つの思い出がある。(知性的ではないが・・・)

中学一年生の頃だったと思う。書道の課題でこの文字(六文字)が出た。読むこともままならず、半紙に六文字をバランスよく書くことが求められるが、なかなか難しい。六文字の画数が極端に違うからである。

書道は小学校の二年の頃から習っていたが、塾ではなく担任の先生に放課後指導をしてもらっていた。中学校に入ってからはそれはなくなってしまったが、書道の時間は好きな授業であった。


「徳不孤 必有隣」の六文字の大きさを、心もち変えて書いてみた。
そして自分の名前の一文字「徳」は、特に気を入れて書いたように思う。

これがはからずも「金賞」になったのである。


その時以来、「徳不孤 必有隣」という言葉は頭に残った。
意味は当時でも理解していたが、論語の一章であるという認識はなかった。
しかし、13〜14才頃にこうした言葉に接し、今でも覚えているということは当時の教育環境が良かったのであろう。感謝である。


今、改めて学びながら、「今だから理解できること」も多く、論語の意味の深さを少しづつ実感をしている。
posted by 伊藤保徳 at 17:39| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

消える里山

本地の将来を考える会で行っている、「親子農業体験・本地の米づくり」の最後のイベントである、「収穫祭」が今日行われる。

昨年6月に田植えを行い、10月に稲刈りを行い、収穫した米を使ってのイベントである。
内容は、餅つき、五平餅づくり、そして「おこしもの」づくりである。
その準備のため、昨日午後から会場に出かけたが、山の上から改めて地域全体を眺めて見て、懐かしい里山風景が殆んどなくなってしまっていることに一抹の寂しさを感じた。

会場は、小高い山の頂上にある「尾張恵比寿」の境内であり、ここからは地域全体を見渡すことが出来る。正確には、見渡せるようになったのである。
数年前から、その山のふもとの開発が進み、「尾張恵比寿」の社のみが孤立したような形になってしまったのである。

地権者の同意があってのことであろうが、もう少し地域全体のことを考え、話し合うべきだと思った。

この場所は、自宅から二キロ余のところにあるが、昔は緑豊かで麓の家々から煙が立ち昇る「里山」であった。
農業の衰退と共に、住宅開発などが進められたが、この山だけは残っていたのである。それが、今や周り木々が切り倒され、地肌が丸見えになってしまったのである。


この山は、その昔(小牧長久手の合戦)、徳川家康が進軍の途中でしばしの休みをとったとの言い伝えがあり、陣笠を掛けたという「笠がけの松」が残っていたり、権現様が歩いたということで、「権道路」(ごんどうじ)という地名も残っている。


その地域に住む人はその人たちなりの事情があることは分る。しかし、もう少し全体のことを考えたならば、今進行中の開発には躊躇されたのではなかろうか。
いうなれば、自己中心で、「世のため人のため」という考えに欠けていたのであろう。

積極的に「世のため、人のため」というのではなく、「そのままにしておく」という役立ち方もあると思う。


農業をやっていたときは、地域の連帯こそが基本原則であり、自己の「権利主張」は後回しであったと思うが、代も変わり、地域の全体を考える心が喪失してしまったと思う。

「時の流れ」だと、簡単に片付けてしまってはいけない。
個人の権利を尊重しつつも、もっと話し合いをするべきであった。


一度消えた里山は二度と復活をしない。

「残す」「守る」ために、我々の生活そのものを見直すことが必要だと思う。

開発が済んだ頃、今までにない問題に遭遇し、「昔を懐かしむ」というようなことにならないことを望みたい。
posted by 伊藤保徳 at 06:41| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

夢たまご

瀬戸市では4年前からキャリア教育に積極な取組みが始まった。

キャリア教育とは、子どもたちが小中学校の段階から「働くこと」に触れ、職業意識を育む、というものであるが、背景には、フリーターやニートといわれる人たちの増大がある。

関係省庁が積極的に取組んでいるが、瀬戸市では三年前、経済産業省の「地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェト」に参加、商工会議所が中心となって推進してきた。

内容は、中学二年生の職場体験を中心として、その事前事後の学習など、いろいろなメニューがあるが、それぞれの学校の特長を活かして進められている。

推進のポイントは、「地域自立・民間活用」であり、三年間は補助金事業であるが、昨年からは「自律」を求められ、教育委員会、会議所からの財政支援の下であらたなスタートをきった。


プロジェクトがスタートして間もない頃から、「自律」は大きな課題となっており、推進委員会でもたびたび話題になっていたが、なかなか具体化しなかった。
そんな中にあって、委員の一人から「夢たまご」というアイディアが出された。

彼は、プロジェクトスタート以前から子どもの育成について熱心に活動をしており、そんな中から「子どもに夢を持ってもらいたい」、という思いから、この「夢たまご」を思いついたという。

「うずらの卵」くらいの大きさで、陶器製である。小さな穴が開いており、その中に自分の夢を書いて入れ、キーホルダーやストラップとして持ち歩いてもらおうというものである。
自身が陶磁器関係の事業をされており、すでに「モノ」になっていた。

彼のアイディアは、それを販売してキャリア教育の資金を生み出そうというものであったが、なかなか賛同が得られなかった。
しかし、その後この「夢たまご」を使ってのイベントなどが行われるようになり、市内小学校では一定の評価が得られるようになった。


キャリア教育の推進に補助金がなくなり、自律的な推進が求められるようになって一年。いよいよ真剣に資金獲得の方策を実施しなくてはならない状況となり、この「夢たまご」を利用しようということになった。

「キャリア教育夢たまご基金」の募集である。
関係者でその基本的な考え方を確認し、次の委員会で承認をしてもらう予定である。

検討に参加している委員は、いづれもキャリア教育に熱い気持ちを持った人ばかりであり、夢は膨らむばかりである。しかし、一般に協賛を求めるにはきめ細かな準備が必要であるし、それなりの手続きも必要になる。

誰にどんな訴えをすることが最も効果的なのか。運用に当たって、もう少し議論を広げることも必要であろう。


夢のある話ではある。
多くの人に、《「夢たまご」に、子どもの将来を託す》、という意識をもってもらいたいものである。
posted by 伊藤保徳 at 06:54| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。