2009年01月31日

狛犬デザイン

昨年、地元瀬戸を愛する有志で、「せと狛犬プロジェクト実行委員会」を立ち上げた。

これは、瀬戸の町を活気付け、多くの人たちに瀬戸に来てもらおうとする「町おこし」の一つである。

瀬戸は「やきもの」の産地で、その歴史は1300年といわれているが、「陶祖」として祀られている加藤藤四郎が制作、奉納したといわれる「陶製の狛犬」(文化財)がある。

その「陶製狛犬」をシンボルにしようということから、「狛犬」をモチーフとしたキャラクターデザインを募集した。
立ち上がったばかりの組織であり、PRも十分とは言えず、どれほどの応募があるか心配していたが、締め切り間際(1月20日)になり、沢山の作品が寄せられた。総数200点余であった。


当初はプロジェクトで優秀作品を選ぼうと思っていたが、作品に添付された「コンセプト」(思い)に感動し、数点に絞り込むことを躊躇した。
そこで、寄せられた作品を広く市民に公開しようということになり、今日から一週間公開展示をすることにした。

場所は、名鉄尾張瀬戸駅にある「パルティ瀬戸」の三階フロアである。

スペースのこともあり、80余点を展示することにしたが、今からその作業にでかける。


どんな反応があるか今から楽しみである。


posted by 伊藤保徳 at 07:08| Comment(0) | 街づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

人材開発白書

(1月29日)富士ゼロックス(総合教育研究所)の『人材開発白書2009』発刊記念シンポジウムに出席をした。

二ヶ月ほど前、雑誌「ウエッジ」の広告でこのシンポジウムを知り、早速申し込んだが東京会場(12月11日)はすでに満席であり、大阪会場に参加することが出来た。

『人材開発白書』なるものの存在すら知らなかったが、シンポジウムに出て多くの刺激があった。


『人材開発白書』とは、1998年経済同友会において発表された「新しい個の育成」の流れを汲んで、当時、教育部会長を務めていた小林陽太郎氏(富士ゼロックス総合教育研究所会長)の意向で、継続研究し人材開発問題に取組んだのが発端とのこと。

94年以降毎年『人材開発白書』として発表されてきたようだが、ここ五年程は途絶えていたようで、久しぶりの発表になるそうだ。

2009年版は、「人が成長するのは本人努力もさることながら、他者との「かかわり」が大きいのでは?」、という問題意識のもと、アンケートの分析によって五つの提言にまとめられている。
白書のタイトルは「他者との"かかわり"が個人を成長させる」である。

最も基本的なこととして、「社会人の能力開発の7割は、業務経験によってもたらされる」、ということである。そして、その経験を「相手任せ」にするのではなく、意図的に仕掛けること、即ち「かかわりのメカニズム」を明らかにして行動に結びつける、ということであった。

「人は仕事を通じて成長する」、というのは持論であり、「成長の場である職場」、「上司・同僚とのかかわり」、「社外とのかかわり」など、私にとって行動の裏付けとなる内容であった。


提言は以下の通りである。
1、人材開発の場としての職場の再評価
 「かかわりの束として」職場をとらえ、見直す。

2、「かかわり」を通じた、振り返るきっかけの提供
 自分と向き合い、将来に向けての見通しをつけさせる。

3、「かかわり」を通じて成長できる職場の開発
 助け合い、そして将来を共に語り合えるような職場づくり。

4、一通り仕事を覚えた人に対する職場外での「かかわり」の奨励
 時に職場を飛びだし、外の目から自分を見つめさせる。

5、組織の力を活かした企業経営の推進
 「他者とのかかわり」を基盤とした、今の時代にふさわしい組織力経営を考える。


いずれの提言も、日常的に(程度の差はあるが)行われていることばかりである。しかし、それは「意図的に行われているか?」と問われると残念ながらそうではない。
職場リーダーの「気働き」に委ねられているし、結果としてそうなっている、というのが現実である。

その意味では、意義ある研究内容である。

白書をじっくり読み返しながら、我社流の「職場作り」に取組みたい。

posted by 伊藤保徳 at 06:42| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月29日

注意深く読む

倫理研究所が発行している「職場の教養」という小冊子がある。
「朝礼で活用しよう」、という狙いで毎日様々な話題が取り上げられており、とても参考になる。

しかし、昨日(1月28日)の文章は腑に落ちないものであった。
『ザルで水をすくう』
みなさんは「ザルで水をすくって、バケツに移してください」といわれたら、どうしますか?《そんな無駄なことは、いくらやっても意味がない》と思う人がほとんどでしょう。

たしかに、どんなに一所懸命に水をすくおうとしても、ほとんどはザルの目からこぼれてしまいます。そこで通常は「効率のいいやり方」を考えます。しかし、ザルで水をすくう方法は完全に間違いと言い切れるでしょうか。

ザルですくえば、数滴しかバケツには溜まりませんが、二回すくえばさらに増え、繰り返していけば、やがて確実にバケツ一杯に溜まります。

もちろん効率があがる方がよいでしょう。しかし、それを求めすぎないことです。利益を優先して追求するあまり、効率のいいやり方に夢中になり、最終的にはザルで水をすくうよりも悪い結果になった会社は、世に多く存在します。

仕事というものは、誠実に取組み、そして確実に成果をあげることが求められます。「効率」だけではなく、「確実」に成果をあげる方法を模索しましょう。

今日の心がけ◆仕事は確実に仕上げましょう


以上が全文である。
28日、モーニングセミナー前の役員朝礼で輪読したが、その時からどうも腑に落ちないのである。
要するに、「意図がわからない」のである。

「バケツで水をすくうこと」は必ずしも間違いではない。利益最優先は問題だ。仕事は誠実、確実に行う。などなど、フレーズそれぞれは理解できる。
しかし、全体を注意深く読んでみると、その意図がよくわからない。

今日の心がけが「仕事は確実に!」ということであり、これが意図する文章ならば、「ザルで水を・・」というのは否定されるべき例えのように思う。

また、仕事を進める上で、利益最優先が「効率追求」と同じ意味で使われている点も気になるところである。


仕事は、「確実」であることが大前提であり、それを最も合理的(効率的)な方法で行うべきだと考えている私にとって、「ザルで水をすくう」、という一文は腑に落ちない内容であった。
(筆者の意図が汲み取れていないかもしれないが・・・)


短い文章でも、注意深く読んでみると、いろいろな発見がある.
今後も心したい。
posted by 伊藤保徳 at 09:14| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月28日

教育現場

昨日のロータリークラブ例会は、市内中学校の校長先生をゲストに迎えての卓話があった。
私が教育委員会の一員であった頃、学校教育課長であった人で、現在水無瀬中学校の校長である。

少しばかり知っている人でもあり、興味深く聞かせてもらったが、テーマは「現代中学生気質」という、教育現場の話であった。

まずは中学生の生活状況に触れられた。
生活指導の基本は、「早寝、早起き、朝ごはん」とのことだが、想像はしていたもののその実態は「大人」に近い状況である。

朝自分で起きられない人41%、寝る時間はマチマチながら、0時過ぎに寝る人が30.6%だという。
多くの大人と同じ、「夜型人間」が30%以上である。ただ、朝ごはんをキチンと食べている人は82%という結果に、少し安心をした。個人的にはもっと少ないと思っていた。

さて、こうした生活実態の中で、特に気をつけている事として、「キレる」は使いたくないという話があった。
レジュメを見ただけでは、何のことなのかわからなかったが話を聞いて納得した。


「キレる」とか「キレた」、というのは今や一般的に使われている言葉だが、指導する立場から言えば、「キレた」、といってしまった途端に真実が見えなくなってしまうというのである。

「キレた」結果として、暴力をふるったりするが、これは昔でいえば一種の喧嘩である。そうであれば、双方の言い分を聞き、原因を確かめ指導することが出来る。しかし、「キレた」、というとその当事者の行為(暴力)が正当化され、言い分を聞いたり原因を確認しないまま放置されてしまうことがある。

従って、「彼はキレやすい」、というよな観念を持ってしまい、「暴力はいけない」という世の中の是非を教えなくなってしまう。これは問題であり、「キレた」、という言葉を使わないようにしているとの内容であった。

いわれてみればその通りであり、何か勘違いがあるようだ。

いうなれば、「事の善悪」を大人がもっと明確に示してやることが今最も必要なことなのであろう。大人としての責任でもある。


事例として、中学生の喫煙問題も紹介があった。
煙草を吸っていた中学生を親にも同席してもらって注意をしたときのこと。親から信じられない発言があったという。
子どもに対し、「だから言ったでしょう。人前で煙草を吸わないようにと・・・」。
開いた口がふさがらない。

この親は自宅での喫煙は許しているようで、事の善悪が全くわかっていない。
一種のモンスターペアレンツである。


全ての子どもや親がこういう状況ではないことは理解しているが、好ましくない状況にあることは確かなようだ。
我々大人がもっとしっかりしなければいけないと痛感した。
posted by 伊藤保徳 at 08:53| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月27日

社長語録

我社の方針発表会は毎年1月下旬に行われている。

方針を正しく理解し、各部門の計画に盛り込む活動が、一ヶ月余に亘って行われるが、部門長や管理者にとっては極めて重要な仕事の一つである。

4年ほど前から、その方針理解を深める勉強会も実施しているが、正しく理解し、的確に計画化することはなかなか難しいことである。
言葉としては認識できるものの、「咀嚼」することが十分では無いように思う。

かく言う私も、十分とは言えず、絶えずその原点に返りながらトップの意図を深く理解しようと努力している。
原点とは、「我社創業の心」である。


言葉というのは、「心の表れ」ではあるが、率直なものは普段の「話」である。何気ない会話の中にその人の「価値観」(本性)が表われる。
しかし、「意図した言葉」とは、その本性に思いが加わっていると考えねばならない。思いとは、「問題意識」や「目指すこと」などである。

方針の説明が、「意図した言葉」であるとするならば、それを理解する時、「価値観」と「問題意識」をあわせて理解する努力が必要になる。


こうした力をつけるための方策の一つが「社長語録」の作成である。

人間学を学ぶ月刊誌「致知」の2月号に、「社長語録の作成が効果的である」という記事があり、意を強くした。(P126、「社長の先見眼」)

我社では、「言葉のリング(輪・和)」として、創業者、先代社長の時折の言葉を抽出して展示してあるが、それは、それらの言葉から「人となり」を感じてもらいたいからである。

「語録」にするとすれば、その言葉を自分流に翻訳をし、「文字にする」ことである。


展示されている言葉の数々は、研修の折に時々引用しているがまだ不十分である。

こんな思いから、先日の方針発表でトップの「意図ある言葉」を思い出してみた。
メモを見返してみると、十個程の「キーワード」が見つかった。
難しい言葉ではない、注意していなければ聞き流してしまうような言葉も多くある。しかし、原点に立ち返ってみてみると、とても重大な意味を持っていることに気が付く。


今までは、そうしたことを感じながらも文字には残していない。
先ずは今年の方針説明から「社長語録」の作成に取組んでみたいと思っている。
posted by 伊藤保徳 at 06:49| Comment(0) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月26日

民族の食

中日新聞で元旦からスタートした連載企画、『農は国の本なり』の第一部が終了した。
新聞によれば、多数の反響があったようで、その幾つかの意見が25日に掲載されていた。

第一部は、「越えろトヨタショック」というタイトルで、農業を通して、日本人の生き方、仕事のあり方、地域や環境の再生など、多面的に言及した内容であった。
記事の全てを読んだわけではないが、印象として、「農業政策を根本的に見直す必要がある」、と感じている。「減反政策」などは、全くおかしなものである。


農業のみならず、漁業も大変難しい局面にあるという。

専門的なことは解らないが、食糧問題は今や逼迫した問題であることは感じているが、「そこまで深刻なのか?」という内容の記事があったので紹介する。

「致知」(致知出版社)2月号に、『日本人よ、食のモラルを取り戻せ』というタイトルのインタビュー記事がある。東京農業大学教授の小泉武夫氏が「食の乱れは民族存亡の危機」と、警鐘を鳴らしている。

先ずは「自給率問題」である。
現在日本の食料自給率であるが、ここ何十年と下降の一途を辿っていたが、ようやく下げ止まり1ポイント上がって40%になったとの事。しかしアメリカの128%、カナダ145%、フランス122%に比べれると格段に低い。

そんな中、1961年に42%であったイギリスが今、72%にまでなったという。その内容は詳しく紹介されている(P45)が、いうなれば「農業を国家的に考えている」ということである。
氏は、「やり方次第である」と断言している。

次は「食べる側の問題」である。
とても強烈に感じる小見出しである。「民族の食を捨て去った日本」、とある。
《端的に言って、日本人が食に求めるものが「おいしくて体にいいもの」ではなく、「安くて手軽に腹を満たせるもの」に変化してしまったのではないかと感じています。》

些か極端とも思えるが、そのように感じることも少なくない。

そして、その根本原因が戦後アメリカによる政策にあるという指摘である。
《大本を辿れば、戦後アメリカが「米を食べるのはやめなさい、小麦の方が頭が良くなる」といって、自国で余った小麦を日本に買わせました。そこから端を発し、まだ栄養が足りないからもっとバターを食え、もっと牛肉を食えと、いろいろ要求してきたのです。》

ことの真実を知りたい欲求に駆られるが、自身の小学校時代(昭和20年代後半)を思い出すと、給食はコッペパンに脱脂粉乳であり、それを「ハイカラ」だといっていた時代であった。

過去の歴史は変えようがないが、この事の重大性に気づき、今後如何にすべきかを考え、実行していかねばならない。

我が国の伝統ある食文化。「和食」が世界でブームの兆しがあるというが、やはり「和食」は《民族の食》ということであり、日本人に最も適した食事ということなのであろう。

その大切な《民族の食》を失い、加えて「世界一食べ物を捨てる国」というレッテルを貼られてしまった日本。まさに、「食のモラル」が地に落ちてしまっているのである。
記事を読み、氏が警鐘を鳴らす意図がよくわかる。


以前から「食育」の必要性を書いているが、改めてその重要性を感じる。
そしてその対象は、子ども達にではなく我々大人に対して必要であるということを。
posted by 伊藤保徳 at 06:33| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

読む書く話す

昨日、浜村淳氏の講演内容を紹介したが、系統だったものではなかったものの、幾つか印象に残っているものがある。

その中の一つ、「ボケ防止」のことである。

浜村氏が司会をしていた番組の一つに、健康に関する番組があり、リスナーからの関心事を取り上げその道の専門家に登場してもらうという内容である。
最も多くの質問があったのは、「認知症」に関することであったそうだ。
(参考までに、「ボケ」という言葉は禁止用語のようだ。)

認知症にならないためには、@文字を書くこと、A新聞・雑誌を読むこと、そしてB映画を見ること、の三つを上げられていた。
それぞれについて詳しい解説があったが、基本的には「頭を使う」「脳を活性化させる」ということであろう。
私は紹介された三つのことに加え、「話すこと」も加えてはどうかと思った。


このことを改めてここに書こうと思ったのは、昨日「致知」の2月号を読んでいて、全く同じような記事を見つけたからである。

「致知」の連載記事に『大自然と体心』がある。2月号で第72回である。
今回は、「気配りが自らを健やかに養い、ボケを予防する」、というタイトルで、浴風会病院院長の大友英一氏が、脳の若さを保つ秘訣を語っている。

最初に「ボケ」という言葉について触れている。
《「ボケ」というのは、「痴呆」のことで、いまは「認知症」が公の病名ですが、温かい気持ちで「ボケ」ということばを使うのは悪くないように思います。》・・・と。私も同感である。

さて、「ボケ対策」であるが、「書く」ことの効用について説明がある。
《長年、外来で患者さんを診ていますと、短歌や俳句を詠むご老人にはアルツハイマー病が少ないことに気づきます。

これはどうやら「書く」という作業が良いのだと思い至り、日記を書くこと、こまめに手紙を書くことを患者さんにお勧めするようになりました。手紙や葉書を一枚書くにも、書き出しはどんな言葉でいこうか、拝啓だろうかと、言葉を探すからよいのです。

作家や画家、作曲家や指揮者、政治家など、ものを書いたり、自分の意見をまとめ表現するような職業人はボケにくいことが様々なデータで実証されています。》(P132より抜粋)

このように説明されているが、その理由についても解説がある。

脳の働きには、インプット(外部からの刺激を受ける)とアウトプット(受けた刺激に対して反応、判断、対応する)という二つの働きがある。

大友氏は、アウトプットである、「何かを表現する」(書く・話す)こと、即ち、周囲への気配りや表現のために頭を使うことが脳を活性化するとしている。
そして、《世のため人のため、相手の立場を考えて気配りをしていくと、それは自制心をもって自分をコントロールしていくことですから、認知症の予防にもなると思われます。》と語っている。

勧められている「行動」は、倫理の実践そのものである。

自分本位ではなく、相手本位の「行動」がボケの防止になる。
勉強していることが、裏付けられたような思いである。


「読む」というインプットを増やし、「書く」「話す」というアウトプットの質を高めていきたいと思う。
posted by 伊藤保徳 at 07:22| Comment(0) | 人づくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月24日

言葉の力

我社の対外的行事で最も大きいのが、新春懇談会である。
一般的に言われる「賀詞交歓会」に類するものだが、仕入先や協力工場の方々を対象に、「カワムラ・パートナーシップ新春懇談会」と銘打ち、もう30年近く続いている。

メインは講演会であり、今回は映画評論家である浜村淳氏であった。
名調子の「シャベリ」が売りであるが、とても74歳とは思えない。

講演の内容は系統だったものではなかったが、多くの方から、「90分が短く感じられた」、との感想を聞き、改めて「言葉の力」を感じた。


話術の名人といわれた徳川夢声氏の「絶妙な間」の話。
無声映画時代の活弁士、西村小楽天氏の「七五調」の語り。
男性化粧品マンダムのCMでのブロンソンの一言。
マクドナルドの「最初の一言の秘密」。
結婚披露宴での「スピーチあれこれ」、などなどいずれも興味ある内容であった。

しかも、これらを「歯切れのよい言葉」、「テンポのよい語り口」で説明されるので、引き込まれるのである。

言葉には「霊」が宿っているといわれるが、講演を聴きながらそれを実感した。

日常の「意図しない言葉」でも、相手にとってそれは「嬉しく」感じられたり、逆に何気ない一言が相手を傷つけていたりすることがある。
言葉は口にした瞬間から相手のものとなり、それを取り消そうと思ってもそれは出来ない。

故に、心して発言するべきであろう。

浜村氏は、「言葉には神が宿っている。言葉には魔物が宿っている。」と表現されていたが、全くその通りだと思う。
己の言葉に宿るのが「神」か「魔物」か?
それこそ己の心の有り様であろう。

意図しない発言、何気ない一言、というのはありえないのかもしれない。
あり得るとすれば、それは「自己本位」の言葉であり、相手や社会性を考えない「我」からでる言葉ではなかろうか。

気をつけたいものである。


意図して使う言葉こそが「力」をもつのである。
posted by 伊藤保徳 at 10:14| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月23日

言葉の読み方

一昨日の夕方、NHKのニュースはオバマ大統領の就任演説を中心に伝えていた。
当然の事ながら、我が国の首相もその感想を求められ、わずかながら発言内容が放送されていた。

そのコメントを聞き、残念ながら失望した。
放送されたことが全てではないと思うが、あまりにも表面的な感想であった。

《現在の経済危機について認識も一致している。また、国民の潜在力を引き出そうとする手法も我が国と同じであり、お互い連携していけると思う・・・。》
このようなコメントであった。

先ず、現在の経済状況の認識であるが、「危機感」という点では大きな温度差があるように思う。

オバマ大統領の危機意識は、国の建国精神にまで遡り、国民全体が「その気にならないと・・・」という訴えである。そして「新しい責任の時代」の新しい処し方を示している。
麻生総理は、政策の一番に「経済対策」を掲げているが、しかしそれは「アノ手、コノ手」という手段ばかりである。

この経済危機に立ち向かう基本的な思想が感じられないのは私だけだろうか?
今、最も重要なことは、「意識の改革」だと思うのだが・・・。

もう一つ、《国民の潜在力を引き出す》ことであるが、現在報じられているいろいろな政策で、潜在力を引き出すものとは一体なんであろうか?
私にはよく解らないが、もし、(給付金交付による)国民の消費拡大ということだとすると、「潜在力」の意味が違うように思う。


大統領の演説と、我が国の政策を単純に比較することは出来ないことは認識しているが、「言葉の力」だけを見てみると大きな差があることを感じる。

「民をその気にさせる」ことが「まつりごと」の根本だと思う。組織でも同じことである。
その時、言葉は重要である。

いろいろな政策を細かく説明する事も重要だが、それで理解が得られたというのは大きな間違いである。

人は先ずその考え方や方向性に共感し、そこに向かうためのアノ手コノ手が納得できた時「その気になれる」のである。
考え方や方向性は、価値観であったりビジョンであったりするが、それを的確に伝えるのが言葉である。


就任演説を通じて、いろいろなことを学ばせてもらった。
組織の責任者として、あるいはリーダーとして「言葉の読まれ方」にも留意が必要である。
posted by 伊藤保徳 at 06:47| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

就任演説

「トップのスピーチはこうあるべきだ」、と思った。
アメリカ第44代のオバマ大統領の就任演説を新聞で読んだ感想である。

21日の夕刊各紙で、演説の詳細が報じられているが、訳し方に違いはあるものの、「大局観」ある内容だと思う。

夕方のテレビニュースでも、演説内容について識者の感想や分析を交えながら伝えていた。
《経済危機に直面し問題なのは自信を失っていることだ。しかし、我々の能力が失われたわけではない。》という字幕があったが、今の国民の状況を的確に掴み、挑戦する気持ちを鼓舞しようとする思いは伝わってくる。


演説内容を表す言葉として、「新しい責任の時代」としてあるが、これはアメリカ国民のみならず、世界に対するメッセージとも受け取れる。
アメリカがナンバーワンの国家であるという誇りと自覚がそう言わせているのかもしれない。

内容を細かく見てみると、我が日本国民も「新しい責任」を考え、それの遂行に努力しなければいけないと感じる。
後半、次のように語られている。

《我々が立ち向かう挑戦は新しい。それに立ち向かう手段も新しい。しかし、我々の成功のカギを握る価値観は古い。それは労働、勇気、公正さ、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心などだ。これらは我々の歴史を通じて前進の静かな原動力となってきた。

いま求められているのはこうした真実に立ち戻ることだ。
求められているのは新しい責任の時代だ。

米国民の一人ひとりが個人、国家、世界に対して義務を負うという認識だ。いやいや請け負う義務ではなく、喜んでつかむ義務だ。難しい課題に全力で向うことほど、精神を満たし、我々らしいことはないからだ。》(日本経済新聞より)


今、百年に一度といわれる未曾有の不況下にあるが、よく「価値観の転換」などといわれるが、大統領は「手段は新しいが、価値観は古い」、即ち、確固たる価値観は不変であり、その原点に返るべきだと訴えていると思う。

新しい責任の時代への取り組みは、国民が価値観のもとに一つになるということでもある。


以前紹介したが、「致知」1月号の中に、「老舗研究」という記事があった。
その、「老舗に学ぶ」という内容ととても似ていると感じた。

「老舗に学ぶ」とは、《絶えざる基本徹底》であり、その基本として、@勤勉、A正直、B倹約、C堪忍、D知足・分限、の五つが紹介してあった。
此れに、忠誠心や愛国心が加えれば、大統領の演説に益々似てくる。

基本にあるのは「自助の精神」であろう。

サミュエル・スマイルズの『自助論(セルフ・ヘルプ)』の最初のページに、《個人個人が勤勉で活力に溢れ、気高い心を持っていれば国家は進歩しますが、怠け者でわがままで堕落した人間が多ければ、国家は衰退します。私たちが常日頃社会悪だと言って非難しているものの大部分は、自分たち自身のゆがんだ生活から生じた当然の成り行きといえるのです。》・・・と。(記事より抜粋)


誠に心打つ文章である。


アメリカ大統領の就任演説は、地球上の全ての人へのメッセージとして受け止めたい。
posted by 伊藤保徳 at 06:02| Comment(2) | 経営に関して | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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